呪詛・ツイタチ編
ツイタチの場合
彼に村を案内して貰っていた時のことだ。
ここ朔日村には方角の端に12宇、祠があり其々ツイタチ神を模したという招き猫が祀られている。
真っ黒な漆で塗りつぶされた胴体に赤い塗料で描かれた縦縞。顔には鼻と口はなく大きな1つ目が縦縞がぱっくりと割れるように掘られている。中々に不気味な姿をしていた。
祠自体の歴史は浅いそうで、明治時代に「信仰には御神体が必要だ」と、当時の村長の意向で作られたものらしい。
申の方角には役場とコンビニがあり、その日は生活に必要なものを買い足すついでに近辺を案内して貰ったいた。
役場の駐車場の中に設置されたこじんまりとした祠は、職員によって毎日手入れが施されており、他のどの祠よりも綺麗な外観をしている。
「これはこれは……まあ…………」
普段壊れたラジオのごとく喋り倒す彼がそれを見た瞬間、端正な顔を大きくしかめて絶句した。
最近修繕されたであろう真新しい屋根に、五寸釘で藁人形が打ち付けられていた。
黒茶色の人形には藁人形によくあるような写真は張られておらず、首の所に紙垂が二つくくりつけられている。
「髪の毛じゃんこれ……」
そう言うと彼は細く長い指でツンツンと藁…――――髪人形をつつく。
「呪いかなあ……神社の敷地内なら兎も角、なんでこんな所に……」
「やっぱ神社には丑の刻参りに来る人っているの?」
私の問いかけに、彼は身をかがめて顔を覗き込む。
190cmを超える彼の高身長では、私の呟きがたまに聞き取りづらい為だ。
「……いるよ。夜中に来る人。大体半年に2,3回は来るよ。」
「結構来るね。やっぱ嫌な感じする?」
「夜道は危ないし野犬も出るし、危ないけぇ昼にしてくれんかなあって思うよ。」
「呪う事自体は別にいいんだ。」
「人が人を恨むなんざ日常茶飯事じゃろ。ただ、ゴミ置いて行くんだけは止めて欲しいわぁ。掃除すんの誰だと思ってんのかな。」
「効力はあると思う?」
人が人を呪う時には色々作法や制約がある。
丑の刻参りにしてもそうだ。
顔を白く塗りたくり、白装束に身を包み、頭にロウソクを3本以上巻き付ける。魔除けの鏡を胸元にぶら下げ、懐に守り刀を携え、櫛を口に咥える。午前2時頃、神社の御神体に憎い相手に見立てた人形に五寸釘を打ち込む。
儀式の最中は誰にも目撃されてはならず、もし見られたら呪詛が呪術師に返ってくる為、必ず始末しなければならないという。
それを48日間行う。
相当な準備と労力を有する。
そうやって手間暇をかけて相手に”呪われている”意識をさせなければ発動しない。
呪いというものは相手に”呪われている”と意識させなければ効力をなさない。
どれだけ相手の不幸を願い、その不幸が叶ったとして相手にその意図が伝わらなければ単なる偶然の範囲を超えないのだ。
所謂ノーシーボ効果だが、自己暗示こそが呪いの本質とも言える。
「うーん、運気を操る人はおるけども……―――物理でぶん殴ってくる人に比べては害は少ないと思うよ。」
「随分と軽く見てるね。霊媒師とか本物もいるわけじゃない。そういう人たちの呪いとかは効くんじゃない?」
「どーだろ。気休めにしかならんと思うがなあ……―――――まあ、それで当人の気が晴れるならやれば良いんじゃない?としか。―――――俺はやらん方が良いと思うけどね。悪意を持って人を傷つける行為はいけん。直接手を出さなくても、巡り巡って自分に返ってくるからね。この辺だと俺がそう決めたし、下手すりゃ死ぬからね。」
この辺一体には、「悪いことをすると神の使いの動物に食われて死ぬ」と言う言い伝えが色濃く残っている。
過酷な獣害から身を助け合い生き残る為に、許し合うことを吉とする風習だ。
挨拶ではこんにちはよりも先にごめんなさいが出る程だ。
悪意を持って人を傷つける行いは、信仰に反する。
この祠は毎日職員を手入れしている。誰かしら気がついて処分してしまうだろう。職員に気が付かせることが目的なのかもしれない。
改めて髪で出来た人形を見る。
写真を貼り付けていないのは、呪った相手も呪った自身も悟られないためか。
だとしても、恐らくこの呪いは本気ではない。髪を使うなど凝ったやり方をしているが、結局のところ気休めの域を脱していないのだろう。
なんとも無責任で浅はかな。
この村は西日本を中心に広がるツイタチ信仰の総本山だ。
村人も総じて信仰に厚い。他所から来た者の仕業かもしれない。
「それにしても、祠に打ち付けるなんて随分と罰当たりだよね。」
「罰当たり?」
「ほら祠壊しミームってあったじゃない。因習村ホラーと同じくらい流行ってるでしょう。」
祠壊し。
何が皮切りであったか詳しく覚えてはいないが、一時期オカルト界隈で流行ったネットミームがあった。
主に宗教に無頓着な若者が何らかの理由で祠を壊してしまい、信仰深い老人に「お前あの祠壊したんか?」と問い詰められ、纏わる神に呪われ厄災に見舞われるというものである。
厄災とは祠を壊したことにより神の怒りを買った、封印されていた恐ろしいものが解き放たれてしまった、単純な偶然による不運、信仰深い村人による実害まで幅広く、日々様々な制作者によって小説、漫画、ゲーム等、祠壊しをメインとした創作物が生まれている。
「勝手に呪いの道具にされて、祠の一部も穴が空いてしまってる。神様がカンカンに怒って、呪詛返しよりも神様に呪われそうだよね。」
「神が?人を、呪う?」
そう言うと彼は両頬に手を当てて、祠から一歩後ろに下がった。
そして、意外な一言を口にする。
「怖い。」
私は驚いて彼の顔を見た。美しい顔がひどく青ざめている。
彼はオカルトには強い方である。
人が死ぬ映画を見れなかったり人が傷つく創作物に関しては強い忌避感を抱くが、怪談や都市伝説といったオカルトや超常現象について怯えた事など一度もなかった。
「なんだよ、千鶴。急に怖い話するなよ。」
「怖くないでしょ、いや最初から怖いでしょ。呪うのは人だけじゃない、祠を壊されて人を呪い殺す事だってあるかもしれないって話。」
「いやいやいや、それめっちゃ怖いよ。そんな奴居たら怖すぎるだろ。」
「でもよくある話だよ?●●様の祟りじゃあ~とか。」
「それは人間が倫理観を失わないよう、長年培われた注意喚起みたいなもんじゃろ。神の祟なんぞ……うわー考えるだけで怖い。」
「ツイタチ信仰だって似たようなもんじゃん。」
「全然違う!」
大きな声を張り上げて、彼は強く否定する。
「畜生のことか?ありゃあ本能みたいなもんじゃろ。それこそただの注意喚起じゃ。神は違う。」
焦りに近い怯えに私は少し違和感を覚える。
彼は腕を伸ばし祠の屋根に打ち付けられた髪人形を乱暴にもぎ取ると、再び大きく後ろに下がった。
「いや、流石に申は大丈夫だと思うけどさぁ……」
「そんなに、恐ろしい事なんだ…?――――祠を壊すって……」
「や?別に。」
「どっちなんだよ。」
「祠を壊す事は悪いことじゃけども、そんな恐れる事じゃない。ただの器物損害じゃろ。それで呪ってくる神が恐ろしいよ。」
「祀られてる神様が?」
「意図して人に害なす……――――神はそんな事滅多にせん。もし祠壊されたくらいで呪う神が居るとしたら……――――俺は相当怖いと思う。」
普段自身を神だとのたまう男がここまで恐れるとは、本当に恐ろしい行為なのかもしれない。と、私はゴクリと息を呑んだ。
彼の言葉はほぼ妄言だが、信仰に関しては本物である。
彼は髪人形を強く握り締めると、更に取り乱しながら叫んだ。
「だって、治安悪い証拠じゃん!?そんな奴、近所に居たら夜道歩けねえよ!」
は?と思わず間抜けた声が喉からこぼれ落ちる。
「そんな問題?」
「それ以外になにがあるんだよ!俺の知り合いに人呪う神が居たら怖すぎるわ!」
納得がいかない私の様子を見て、彼は目を細めながら続ける。
「そうか、今のちーちゃんには難しいか。ほら、例えるなら人ちゃんの家の軒先に猫が小便垂れても、怒ることはあってもその猫を撲殺しようなんざ思わんじゃろ?」
「ああ、そういう事……」
「人のやることなすことに目くじら立てるような奴は、”やばい”神だよ。」
やだねー、と言って彼は首を横に振る。
「人から手っ取り早く信仰を集める方法は畏怖を……恐怖を与える事じゃ。じゃけぇ、イキ上がって災いを振りまくぞ―っていう、そういう言い伝えを遺したりする奴もおる。おるけども、そういう奴ですら実際に何かしようとまではいかんじゃろ。法も理性もあるわけじゃし。まあ、何しても怒らない神も大概だけどな。うんこ垂れようが社燃やされようがニコニコしてるタイプ。俺とか。家の軒先に小便垂れられるじゃろ?それを朝一に見つけて、うわやだなーって思うじゃん?そういうことが積もり積もって機嫌が悪くなって……」
「ある日プッツン切れて人を襲っちゃうとか?」
「違う違う、機嫌の悪さは人には向かんよ。お前だって猫に向かんじゃろ。せいぜい猫避けにペットボトル置く程度じゃ。人を駆除するのは今は禁止されとるしな。それでなくても神ってのは大体人が好きなもんじゃ。―――――同じ神に八つ当たるのよ。」
「ああ。」
「八つ当たりで態度悪くしたりして、そうして神同士でいざこざが起きると巻き込まれて人が死ぬ。」
「………」
「そういう時、大勢死ぬ。千単位、いや万単位で死ぬ。」
彼は人形を指でつまみ上げるとブラブラと揺らす。
災害や疫病のことだろうか。
「悪意を持って他者を傷つけようとする行為は、巡り巡って必ず己に返ってくる。死後や生前関係なくね。神ならば、嫌と言うほど実感しちょるはずじゃ。そりゃあ虫の居所が悪さから直接人を呪う神だって、居ないわけじゃないだろうよ。俺の知り合いに居ないってだけで、多分余所にはいると思うよ。じゃがなぁ、―――――気休めの範囲を超えるなら、それなりの覚悟とそれに伴う責任を背負わないけん。背負ってまで人間を呪い殺したいとか馬鹿なこと考えるやつの気は知れん。人間もそうよ、人を呪ってもええことなんかなーんもありゃあせん。辞めたほうがええ。」
「……―――――それでも、相手を許せない場合はどうすればいいの。」
悪意を持って人を傷つけてはいけない。
当たり前の事だ。
――――――その当たり前が出来ないのだ。
人間はそんなに器用でも綺麗な生き物ではない。
怒り、悲しみ、恨みや妬み。負の感情は必ず生まれる。
どうしようもなく、許せない事がある。
それを飲み込んで前を向けるほど、全ての人が潔癖で高潔なわけではない。
人を愛するのならば、嫌と言うほど、見てきたはずなのに……
彼はきょとんとして、首を傾げる。
「だから簡単でわかりやすい”理”を作ったんじゃないか。」
――――――悪いことすれば、死ぬ。
こちらを見る彼の顔に日が差し込む。
白髪がふわりと風に吹かれて舞い上がる。
相変わらず、その顔は美しい。
――――――呪いだ。
人に浅はかで可愛い生き物でいて欲しいという、傲慢な神の呪いだ。
厄介なのは、呪いをかけた本神は善意で言っているという事だ。
彼は違うと言ったが、やはりそこに区別など無いのではないか。
この土地は呪われている。
慈悲と言う名の呪いで覆われている。
「それより、見ろよ千鶴。これなにか挟まってるぜ。」
彼は髪人形の腹をかき分けると、一枚の紙切れを抜き取った。
赤い紙は小さく折りたたまれており、黒く書かれた文字がうっすらと透けて見える。
「呪いの言葉かな?」
「相手の名前だったりして。」
恐怖より興味が勝り、覗き込む。
そこに書かれていた文字を読んで、二人仲良く言葉を失った。
『藤原蜜柑に、どうか幸せが訪れますように。』
「――――――――これは……えーっと……」
頭に浮かび上がる身近な人の顔。
この世で最も愚かな男。
筆記体は彼のものではない。別人によるものだ。
ゾッと背筋が凍る。
なぜ幸福を願うのか。
こんなやり方で。
逆であるのなら、むしろ思い当たる節しか無いのだが……
「いや、まじないではあるんじゃろうが……俺に言うなら兎も角、申に願った所でなんの意味もなかろうに……」
「なにをやったんだ、あの人は……」
対象が身内ということもあって、誰が何のためにやったのか、興味があった。
一応当人に電話をして確認したが、ここ最近大きな不幸はあったが幸福が訪れることはなかったという。
娯楽も乏しい田舎。
やることも特になかったので数日間、彼と二人で張り込みをしてみた。
結局誰も訪れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます