10話・オカルト刑事 前編

オカルト刑事









 広島に着いて、まっすぐ県警へ向かった。

 まずは腹ごしらえと、お好み焼き村まで足を運びいっぱい決めたいところだがそうもいかないのでコンビニでチキンカツとおにぎりを買い歩きながら食べる。


 そう、本来なら友達とくるはずだった広島。真夏で熱中症に気をつけながら路面電車に乗って商店街に行って買い物をして、原爆ドームへ行って平和の大切さを学んだり、カープ一色に染まる街中で「あかん!阪神のスパイやってバレたらどうしよう!」など軽口を叩いてを笑いあったり。

 厳島神社に行ってロープウェーや水族館に行って、呉に行って大和ミュージアムに行って、尾道へ行って大林映画のロケ地へ回って。


 今は11月、すっかり北風がでもっと厚めのコートを着てくればよかったと

大きな荷物とキャリーバックを持った若者とすれ違うたび、悔しくて腹がたった。

 コンビニで買ったチキンカツを冷えた麦茶で無理やり胃の中へ流し込む。

当たり前の青春が僕を待っていたというのに。


 何故僕は警察にいかなければならいのか。


 このまま逃げてしまいたい、と思った矢先に弥勒からラインが入る。

「話をつけたので、まっすぐ署に向かえ。案内に山上さんの名前を出したら多分会ってもらえる。」

―――――――話がつくような相手ならば、ご自身で赴けばええやろ、と一人ごちる。


 この男はいつも見透かしたようなタイミングでメッセージを送ってくる。

 何度か会ううちに、ほだされていくのがわかる。

 部下に冷淡そうに振る舞っておきながら、こちらに向ける視線が優しい。

 今回だって旅費は向こう持ちだ。小遣いまでくれた。冗談でグリーン車がいいと言ったら本当に用意してきた。


 わざとだ。

 自分を信じ込ませようとする甘い罠だ。

 わかっていてもあの香水の居心地の良さに酔いしれたくなるのは何故だろう。

 毒だ。わかっている。

 ただ無性に腹が空いてくる。

 人を貪ることに慣れたこの男は、相手の心理をつくのが非常に上手いのだろう。

 常に監視されている。その毒があまりに甘ったるくて反吐が出た。


 でも弥勒の監視はまだ、マシと言える。


 広島に来てから、ずっと視線を感じている。


 あの時、アパートで感じた全身を突き刺すような視線。

 ただあの時のような明確な怒りは感じられず、じっとこちらの動向を探っているようだった。


 ほっと胸をなでおろす。

 やはりまだ見捨てられたわけではないのだ。

 そう安心して我に返る。

 何故だろう、視線の主に見放されることが、とても恐ろしい。



 県警に着いて受付窓口で一瞬どうすべきか迷った。

 ヤクザの差し向けで警視に会いに来たなど取り押さえられてもおかしくない。

 しかし、素直に現状を述べるしか僕になす術はない。

 しどろもどろに「弥勒さんの紹介で…山上警視に…」とつげると受付の婦警さんは目を泳がせたあと、思い出したようにああ、と呟いた。

「斉東さんですね、ご案内いたします。」

 どうやら本当に話はついていたようで、若い婦警は席を立つとこちらへと僕を促した。


 婦警についていくと3階の一室に案内された。

 ソファがテーブルを挟んで配置されていたその部屋は来客用の応接間ようだった。

 僕を残すと婦警はそのまま去ってしまった。

 異様なほど話がスムーズに進んで拍子抜けながらソファに座る。


 今この現状は、得体のしれない視線の主の機嫌より、よっぽど現実的な恐怖のはずなのに、何故こうも僕は余裕で居られるのだろう。

 一人残されて、考える。


 警察相手はどうしても緊張する。

 道路交通法など犯してないにも関わらず、対向車線に現れたパトカーに、妙にビビって背筋を伸ばしてしまうあの感覚。

 関係者として捕まったらどうしようという焦りを覚え、その焦りのあまりの小ささに口元に笑みがこぼれた。


 あれ以来、恐ろしいという感情の天秤の片方に、常にあの時の招き猫にひれ伏した時の感情が乗ったままである。


 生来、僕はビビリだし肝は常に落ち着きもなく歩き回っている性質だが、今は不思議と捕まることへの恐怖心は少ない。弥勒を信じているわけでもないが、あの時以上の絶望はきっと訪れないだろうとう余裕が、今の僕の頭を冷静にさせる。

それよりも気になるのは視線だ。


 見透かされている。


 こうして、広島まで出向いて、警察に会うことが、全て無駄に思える。


 村上くんを狂わせたあのアカウント。

@tsuitachi_zenchizennou

 スマホを開いてあのアカウントを見る。


―――――

11月12日

人間ちゃんにお顔踏まれたい


11月12日

いい加減ちょっとしんどい



11月12日

んにゃぁ~彼女の兄貴の腹を吸いてぇ~!!!!!


―――――


 僕を突き刺すように見つめる視線の正体は、あのアカウントの主だと確信したいのに、どこかでやはり違うのではと思い始めている。

 ツイタチ様のアカウントは、相変わらず自身を神だと思いこんで発信を続けている。


 村上くんのアカウントには未だにログインすることは叶わないままだ。


 なにかヒントが隠されていないか、新幹線の移動中はフォロワーのアカウントを片っ端から覗いてみたが、無言でツイタチ様の投稿を拡散しているか、引用や返信で褒めちぎるか罵詈雑言を浴びせるかのいずれかで、目ぼしい情報は得られていない。


 そして弥勒以上に僕をよく観察しているようだった。


――――

11月12日

いや、お前が見てるからだからね?


――――


 向こうの言い分としては僕がアカウントを覗く回数が増えたので、その度に反応を返してやっているといったところか。

 完全に思考は見透かされていた。

 最初こそぞっとしたが二日も経てば「これはそういうものだ」と脳な納得してしまっていた。

 律儀に投稿する当り、根は真面目なのかも知れない。

 

「ツイタチ 神」で検索をかけた時、中国地方…広島と岡山、愛媛の一部で信仰されている土着信仰が引っかかった。

 ツイタチとは断罪の神で、悪い行いをするものを食い殺すとされているらしい。

随分とおっかない神だ。


 これがこのツイタチ神なのだろうか。

 中国地方に纏わる色んな神が元になって、複合して今の信仰の形に落ち着いているらしいが、どうも違和感を拭いきれないでいた。


―――――――まるで村上くんのように、なにかに上書きされて、輪郭がぼやけていくような。


 ただ、はっきりとわかった事ならある。

 このアカウントが村上くんを唆したのだ。

 村上くんは善良…とまではいかずとも真っ当な人間だったはずだ。

 いい加減で、小心者で、品もなく、矮小などこにでもいる青年だったはずだ。


 ツイタチ様さえ、村上くんを相手にしなければ。

 ツイタチ様のアカウントは、リプライをフォロワーへの返信はごく丁寧に返すが頻度自体はそう多くないものだった。

 何故、村上くんに返事を返したのだろう。

 無視している返信も多いのに何故、村上くんを相手にしたのか。


 ああ、こいつさえ居なければ8月にしまなみ海道を自転車で走っていたはずだ。

 あのアカウントがなければ。

 今、警察署のど真ん中でこんな縮こまることもなかったのに。


 ソファに腰掛け思考を巡らせているとガチャリ、とドアが開く。

 驚いてソファから立ち上がろうとして、入ってきた男はそのままでいいと制した。



 中に入ってきたのは中年の男と女だった。

 黒い髪は櫛を通していないらしくボサボサでスーツはよれてシワだらけ。

 猫背で覇気がなく目は虚ろでヤニの匂いを漂わせている。

 目立つのは顔の真ん中に縦に入った獣の爪痕のような3本の傷。うち2本がさしかかった右目は変色し殆ど見えていないようだった。

 年は40代半ばと言ったところか。


 男性にどこか見覚えがあったが、思い出せない。

 こんな大きな傷を顔に持つなら記憶に残りそうなものだが、歯がゆさから後頭部を軽く数回掻きむしる。


 男性に続くように入ってきた女性も年は男より年上で、肩まで切りそろえた髪と少々きつめの化粧、こちらはぴっちり着込んだニットのセーターにアイロンが丁寧にかけられたスーツを羽織り、背筋を伸ばし男とは対象的にモデルのように凛とした佇まいをしていた。


 美人ではないが、ブサイクというわけでもない。

 中年の女と目が合うとニッコリと微笑まれ、まるで同級生の母親に街中で会ったような気まずさを感じる。


「久しいな、元気してたか?」

 ドカッとソファに腰掛けながら男は名乗りもせずにそう告げた。


 久しいも何も、会ったことなど無い。

 完全な初対面のはずだ。

 でも男に対して懐かしいような印象を抱いている以上、きっとどこかで会った事があるのだろう。

 えーっとと呟き思い出そうとすると、男は懐から電子タバコを出しながら少々不機嫌そうに吐き捨てる。


「島根で会ってるだろうが。」

「あ。」

 そう言われて思い出したのは幼少期の頃だ。

 家族旅行で島根に行って、迷子になったことがある。

 その時警察官の男の人に離れた家族を探してもらったことがあるのだ。

 泣いていた僕にシールと飴くれた警察官。

 顔まで思い出せないが、この男は恐らくあの時の警察官なのだろう。

「ああ、あの時の…その説はお世話になりました。」

「いや、元気なら良いんだ。」

 なにかを納得したようにうんと頷き電子タバコを深く吸う。


 一息ついて男は姿勢を正し僕に向き合う。女性は立ったまま体をこちらに向けた。

「広島県警獣害対策課、山上伊吹だ。こっちは本部の捜査一課の宮比初子警部。」

「よろしくね。」

 紹介された女は手をひらひらと振りながら優しそうに微笑んだ。

「一課ってことは…」

「村上八朔の事件の担当者だよ。」

 思わず椅子から立ち上がって女性と向き直った。

 村上くんの事件の担当者。

 村上くんの友人ということで、僕の周りの人間は皆、警察から事情聴取は受けている。が、彼女の顔は覚えていなかった。

 僕を担当していた警察は若い制服姿の男性だった。

 

 真っ先に思い浮かぶのは、弥勒が探している共犯の存在である。

 疑われているかもしれない。

 接触禁止例が出ている村上くんが弁護士や教団の力を借りて僕に接触している以上、僕は重要参考人になってしまっていた事をすっかり抜け落ちていた。


「あの…僕は…」

「ひとまずは大丈夫よ、坊や。」

 弁明をしようとする僕を見越して、宮比警部は挨拶の時上げた右手を今度は縦に振り、座り直すようにジェスチャーで促す。

「坊やって…」

「坊やのアリバイは証明されているし、逮捕しようとかそういうわけじゃないの。ただ話を聞きたいだけよ。」

 宮比警部が話す言葉の抑揚は、大げさというわけではないが全体的に演劇のように芝居がかっているようだった。

 ドラマの台詞を聞いているような、現実味のない錯覚に陥る。


「ただね、まず疑いから入るのが私の仕事だから、尋問のように感じることがあるかもしれない。そこはご了承願いたいわ。特に坊やは今とっても悪い男と二人繋がってるわけだしね?」

 すこし体から力が抜けて沈むようにソファに座り込んだ。

 それに習うように宮比警部もドカッと豪快に山上警視の横に座り込む。


「それにしても、駄目よ~、坊や。被疑者から手紙を受け取ったならまっさきにウチに相談してもらわなきゃ。被疑者とお友達と間違われても文句は言えないわよ。ああ、いえ、今もお友達なのかも知れないけれど…」

 べらべら喋る宮比警部と違い山上警視は口数が多い方ではないらしく、電子タバコを吸いながらぼんやりとした目で警部と僕を眺めている。

そんな山上警視におかまいなく、演技がかったように宮比警部は続ける。

「被疑者に返事を返さなかったのは偉いわ。でも藤原くんと関わっちゃぁ駄目でしょ。あんな顔だけのろくでなし、頭のてっぺんから爪先まで裏社会に漬け込まれた反社男よ?」

「藤原?」


「弥勒藤太の前の名前。」


 聞き覚えなの無い名前に反応すると、宮比警部とは反対におおよそ感情の籠もらないボソッとした低い声で山上警視が答える。

「あいつは自分の本名が嫌いで、しょっちゅう名前を変えるんだ。」

 俺が最初に会った時は田原だった、と電子タバコの湯気とともに吐き捨てるように呟いた。

「私が会った時には藤原くんだったわ。戸籍のお名前ね。下の名前、とっても可愛らしいのに自信がないなんて残念よね。」

「俺だったら親を恨むね。」


 どうやら相当キラキラした名前であるらしい、尋ねてみたいが、知ったら最後、逆鱗に触れ東京湾に沈められそうな気配を覚え首を軽く振った。

「藤原…弥勒くんには私からも言っておいてあげるから、もう関わり合いになっちゃ駄目、身を滅ぼすわよ。」

「…そうしたいのは、山々です。」

 本当に、そうしたかった。

 だが、向こうはこちらの動向を手に取るようにわかるらしく、実家も割れている分、到底逃げれそうにない。

 視線をそらす僕に、心配らないわよ、と宮比警部は続ける。


「マル暴にも連絡入れてるから、心配はいらないわよ。縁を切りなさい。」

「俺からも言っておく。ここから出たらこちらから連絡がない限り、あの男とは連絡を取るな。」

 警察のお偉いさんにそう言われてもまだ、安心できなかった。


 弥勒の、あの時の、薬を朔也くんに渡すか尋ねた時の迫力を思い出し、身震いする。

「悪い男って魅力的よね。」

 その様子を見た宮比警部は困ったようにため息を付く。

 そういうわけではない、と言い切れない自分が憎い。

 出来れば、関わり合いになるのを避けたい。


 だが、あの男の毒に吐き気をもよおしながらも、舌の上に広がる甘みを覚えたのも事実だったからだ。

 反吐がでそうになりながらも癖になりつつある。


「で?」

 話をぶつ切りに、山上警視が割って入る。

 深々と背もたれに沈みながら電子タバコを持っていない手で額にかかる髪をかきあげた。


「俺にどうしろと?」

 どうと言われても、弥勒にはあのツイタチ様のアカウントの件は山上警視でなければ対処できないと言っていた。どうにかしてもらわなければ、村上くんのアカウントの中身は知ることが出来ない。

 一体どこまで話がついているのだろう。僕は疑問をそのまま正直に話した。


「山上さん…宮比さんも、一体どこまで…その、把握してらっしゃるんでしょうか?」

「うーんとりあえず、貴方と藤原…弥勒くんが村上八朔の家に行って薬を入手したことは知っているわ。村上が残した、妙なアカウントを調べてることもね。」


 ほぼ、ダダ漏れということか。

 本署の人間とあって余程優秀なのか、単に弥勒が不用心なのか。

 しかし警察の口から先日の事を述べられると、自分の行いが一般人のそれから大分外れている事が伺えて一気に血の気が引いた。


「で、どうしろっての?」

 山上は今度は自分ではなく宮比に向かって尋ねた。

「俺に何を期待してるんだ。何も出来ねえよ。」

「あら?そんなことはないわよ、ねえ?」

ねえ、と同調を求められても、僕は山上警視のことを知らない。弥勒から「オカルト刑事」だと紹介されただけである。


「弥勒さんが、この件は貴方でなければ駄目だと。」

「どう駄目なんだ。」

「ええっと…弥勒さんは…貴方がオカルトに詳しいと…」

 オカルトという単語が出た途端、山上は呆れたようにハッと笑いを吐き捨てる。


「俺は獣害対策課の課長だ。普段何してるかわかるか?」


 獣害対策課、という単語を聞いてふと何故それが警察にあるのか、少し疑問を抱く。

 市役所に相談窓口があるのは知っている。警察にも相談窓口があるのだろうか。

よくニュースで市街に入り込んだ鹿や猪をさすまたや網を持って追いかけ回している姿を見ることがある。農林水産省ならいざ知らず、警察の…それも警視が付くような専門の課あるとは初耳である。


 僕はオカルトは好きだがそういった警察の事情にあまり詳しい方ではない。

 捜査一課が殺人事件担当で、警視や警部がキャリアでなければなりいくい上の方だという知識はあるものの、警察詳しい仕事内容というものをぼんやりとしか知らないのである。


「市や農水、農協等と協力して人里に獣が降りてこないように見張ったり罠を仕掛けたり市民から相談に乗ったりするのが俺の仕事だ。要請がない限り駆除もできない。追っ払ったり、捕まえたりするだけだ。通報を受けて庭に入ってきた野良犬を捕まえて保護団体に引き渡したり、畑に出た猪を獣医を呼んで捕まえたり、主に獣を相手にする仕事だ。殺人事件なんて、獣による獣害以外対応しようがない。人が人を殺した事件と、その殺人犯の鍵垢の捜査はお門違いも良いところだ。」


 感情が籠もらない機械のような抑揚に徐々に苛立ちが混じっている。つらつらと吐き出す様子から、どうも今この状況自体に心底不満を抱いているらしい。


「貴方は適任だと思うわ。ガイシャが"つみしろ"だって、貴方が言ってこなければ知るのは随分先の事になっていたわ。」

「つみしろ?」


 聞き慣れない単語をそのまま聞き返す。

 扉からノック音がして、失礼しますと制服姿の若い男性がお茶を持って入ってきた。

 氷と麦茶が入ったガラスのコップとピッチャーを机の上に置くとそそくさと出ていった。

 いただきますと断りを入れて飲み干す。随分のどが渇いていた。


「"つみしろ"ってのはこの近辺一体の因習の産物だよ。」

山上はガスコップを持ち上げると一口麦茶を口にする。


「この辺は獣害が本当に多くてなぁ~。獣は神の御使いだ。よく御使いは獣の皮をまとって山から降りてくるなど言われているが、そんな事はない。動物なんだ。そのものなんだよ。そして獣を恐れた人々から、獣に襲われるのは悪い人間だと称した。だから日頃から罪を悔い改めて過ごすって言う土着信仰…ツイタチ信仰が生まれて、広まった。」

「ツイタチ…」

あのアカウントの名前。中国地方の一部に根付く土着信仰。

「ツイタチ信仰は生贄を捧げていた風習が存在する。その生贄の名前を"つみしろ"って言うんだ。」

「被害者が…小江あかりさんが"つみしろ"?」

「ああ。」


 山上は背もたれから背を離し、かがみ込んで電子タバコを深く吸い込む。吐き出された水蒸気が天井の空調の風に流されて渦を描いた。最初、山上のことを無口な性質だと思ったが、どうもそうではないらしい。


「"つみしろ"には作り方がある。この辺は獣害が多いのをツイタチ信仰の浸透した土地では罪を犯すと御使いに食われて死ぬと信じられているだろ?だからわざと罪を犯させるように孤児を引き取って教育するんだ。肩代わりや身代わりではなく逃げるための時間稼ぎに近いな。引き取った孤児を一切叱らず甘やかして育てて悪童に仕立て上げるんだよ。その悪童に罪を犯させて御使いをおびき寄せ、御使いに食わている間に、自分たちは過去の過ちを反省し見逃してもらおうって儀式だ。」


 それが本当なら、なんと身勝手で人間らしい儀式だろうか。


「小江あかりはあの夫婦の実の娘ではないわ。養子よ。」

足を大きく組み替えながら宮比警部が言う。

「作ろうとしたのね、都会の真ん中で。」


"つみしろ"を。


「でもそれなら…」


――――失敗してるじゃぁないか!


 小江あかりの親族たちは、葬式でそう叫んだそうだ。


「小江夫婦は、"つみしろ"を作ろうとした。父親はこの辺の出身の人間で、母親はツイタチ信仰を真似たとある新興カルト教団の信者。どういう経緯か完全な真意は不明だが小江あかりを引き取って"シロ姫"と呼び娘ではなく"つみしろ"として育てた、で間違いないだろう。だが、」


「儀式は失敗した?村上くんは…獣に…」


 成り下がってしまったのか、獣に。

 人でなしに。



「いや。」

 山上は首を振って否定する。


「横取りしようとしたんだよ、村上は。」


――――あいつは、あくまで人だよ。


 空になったガラスコップに麦茶を注ぐ。

 んっ、と差し出され慌てて自分の殻になったガラスコップを差し出した。

 注がれる液体を眺めながら、警視という身分相手にこんな事をさせて良いのか、と無駄な心配が頭をよぎる。


「私も電子タバコ買おうかしら。」

 どこもかしこも禁煙でイライラしちゃう、と宮比は麦茶をすする。

「ガイシャの母親と、村上が関わっていた教団"つきはじめ"は事件の関与を完全否定しているわ。白々しくもね。でもまぁ、連中は末端まで口が軽いから、村上が教団に出入りを繰り返していたのは認めているわね。」

 どこまで本当かわからないけれど…と宮比は肩を竦める。


「教団の入れ知恵かどうか知らないが、村上は御使いの獲物を横取りしようとした。結果、儀式は失敗した。いや、失敗したから村上は獲物を横取りしようとしたのか…どちらにせよ失敗した所為で教団内は知らんが、小江の親戚筋で8月から3人獣に食い殺されて死んでいる。」

 山上はボサボサの髪をかきむしりながらテンヤワンヤよ、とごちる。


―――――3人は、随分多い。


「俺の仕事はさっきも話したが、人間様に害なす動物を自治体と農水と協力してとっちめることよ。人間が人間を殺す殺人事件は知らん。これが御使いの仕業なら東京まで出向いただろうさ。弥勒も何勘違いしてんだが…」

「…村上は容疑を否認してるわ。」

「でも村上の仕業だろ?」

 違うわ。と宮比は返す。


「小江あかりの致命傷は腹部の切り傷だけど、獣に引き裂かれたとしか思えないものなの。」

「え?」


 山上は一瞬片目を目を見開いた。やはり傷がある方の目はまぶたの反応が鈍いらしい。

「初耳だな。」

「嘘でしょ?貴方の耳に入らないはずがないわ。」

「いやマジで。おい、こいつの前でいいのかよ。」

「構わないわ。彼の協力はこれから先の捜査で不可欠になるはずだから。」

「凶器は押収しただろう?サバイバルナイフ、調書にはそう書いてあっただろ。」

「そう書かざるをえなかったのよ。」


 宮比は現場のことでも思い出したのか、気持ち悪そうに口元を手で覆う。その動作はどこまでも芝居がかっている。


「ナイフはあくまで引きずり出された小腸を食べやすいように切るためよ。ガイシャの傷口は、あの大きさのナイフによるものではなかった。ホトケを見た時、まるでヒグマの爪痕かと思ったわ。傷口とナイフから動物の体液と毛が検出された。検査の結果ハクビシンに近いと判明したわ。」


 ハクビシンは猫より大きいが、人の腹部を切り裂けるほど鋭利な爪を持っていない。

 雑食で主に果物や小動物を食べるとされている。

 ハクビシンの仲間で、人間に致命傷を追わせるような動物は記憶にはない。

もしいるとしても、西日本に存在するとは思えない。


「怖い話をするわね。」

 宮比は手招きをして僕に顔を近づけるよう促す。机に片腕を着いて身を乗り出した。

 これ以上何が怖いというのだろう。

 もう十分不気味だ。

 というより、もうずっと怖かった。

 弥勒も、事件も、あのアカウントも、今の状況もなにもかも。

 恐ろしくて腹がたって仕方がないのだ。


「検査結果が出た直後ね、消えたのよ。その毛と体液。」


「消えたって…」

「蒸発するように消えてしまったのよ。跡形もなく。じゅわーって。現場はあっけにとられたらしいわ。まるで狐に化かされたみたいにね。風で吹かれたか、熱気を受けたか、ひっくり返して痕跡を探したけど見つからないの。」

「そんな。まるでオカルトやないですか。」

「そうよ。村上は取り調べで"自分は殺してない"しか言わなかったけど、でかいハクビシンに似た化け物が眼の前でガイシャを襲ったか、って尋ねるとハイとは言わなかっけど否定はしなかった。ただ、」


『結局、僕はおこぼれしか預かれませんでした。』


そう呟いたという。


「ああ~最悪だ、確かにそれは俺の……」

 山上は頭を抱えた。勘弁してくれ、と目を伏せる。


「ただでさえもう3人もやられてるのによぉ…やっと落ち着いてきたってのに…」

「上にも下にも頭の硬い連中ばかりよ。化け物によって殺された、なんて信じない。大型のヒグマほどあるハクビシンに似た動物が、ヤクザの事務所から瀕死の村上を担ぎ上げ血の一滴もこぼさず現場に運び腹部を引き裂いて殺害したあと、煙のように消えた。なんて話は誰も信じようとしない。共犯の人間が居て、凶器はあのサバイバルナイフだと断定し提出するしかなかった。」

「でも、殺したのは村上だろう。」

 山上は食い下がらない。

「村上が内臓を食い荒らしたから、小江あかりは助からなかったんだ。腹部を切り裂かれただけなら、発見された当時まだ息はあったんだろ?」

「村上は利き腕の指を4本骨折していて、利き腕とは逆の腕で小腸を食べやすい大きさに切っただけかもしれない。」

「傷害罪だろ。発見時まだ息はあったんだから。死体損壊罪ではないはずだ。」




「―――――――不起訴になるかも知れないの。」

 馬鹿な、と思わず声が出た。




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