9話・うしのはら 前編

丑の肚



―――――――――――


 件とは頭が人間で体が牛という怪異で、生まれてすぐ予言を吐き、その後数時間から数日で亡くなってしまうというものだ。

 件が語る予言はどれも疫病や災害など不吉なものとされ、凶兆として描かれる事が多い。

 日本各地に残る件伝説だが、朔日村の周辺にも存在する。


 ある村で件が生まれた。

 村で一番大きかった牛から生まれた件は既に子供ほどの大きさをしており、その首はたいそう美しい娘の顔をしていた。

 村の男が件をひと目見て惚れ込んでしまった。


 件の伝説を知っていた男は、件が予言を吐いたあと死んでしまう事を畏れ、件の口を口輪で塞いでしまい、そのまま自らの妻にした。


 妖怪を嫁にしたということもあって男は家から勘当された。件を連れ山奥に移り住みひっそりと生活を始めた。

 男が山にこもって10年後、男は土砂に巻き込まれ妻である件とともに帰らぬ人になってしまった。


 残されたのは年端もゆかぬ娘で、その娘はどこからどう見ても人の姿をしていたが、顔はあの母親の件に瓜二つでその齢にも関わらず見たもの全てを虜にするような美しい顔をしていた事から、間違いなく男と件の娘であることが伺えた。


 親をなくした娘を気味が悪く思いつつも不憫さが勝り、村長の家で奉公人として預かる事にした。


 娘は口が聞けなかったが、身振り手振りや簡単な筆談で意思疎通は可能だった。

 他の女中の娘等とまじり真面目に働いていので、村に溶け込むまで時間はかからなかったそうである。


 娘は日に日に美しく成長していった。

 絶世の美女がいるという噂はたちどころに近辺の村々に届き、件の娘を一目見ようと連日村長の家には人だかりが出来た。


 縁談も毎日のようにやってきた。さる大名まで娘を側女に向かえたいと書状送ってきたらしいが、村長は娘の出自のこともあって相手を慎重に選んでいた。

 断れる身分ではないはずだが、当時の朔日村の村長はかなりの豪商でそれなりに影響力があった事が資料に残っている。


 件の娘を預かってから、村の者はまだ一度も娘の声を聞いていない。

 最初の一言は、村の凶兆の予言だろうと、誰もが思っていた。

 そして娘は半分は人なので、予言を口にしても死なないかも知れないと、淡い期待も抱いていた。


 ある日、村の外れに住まう狼藉者が、件の娘に乱暴を働こうとした。

 娘と仲が良い女中が見つけ村の若衆を読んで事なきを得た。

 妻も子供もある身で、嫁入り前の小娘に手を挙げるなど、狼藉者とは言え、娘に手を出す直前までは誰も男がそんな事をしでかすとは露程にも思わなかったそうである。


 だが同時に、無理もない。と誰もが思ったそうだ。


 娘はひと目見た瞬間、誰もを狂わせるほどの美貌を持っていたのだから。

 赤子も、老婆も、僧侶も娘の美しさに見惚れ時間を忘れるほどだったという。

 お奉行を呼びに行っている間、狼藉者は例の件が生まれて以来使われていない牛小屋に押し込められた。


 しかし、お奉行が駆けつけ牛小屋に向かうと、捕らえた狼藉者が忽然と姿を消していた。

 おおがらな男だったので見張りは3人付けていたが誰も狼藉者の不審な動きを目撃していなかった。

 村中、ひっくり返して男を探したがその日は男を見つけることは叶わなかった。


 翌日、牛飼いが血相変えて村長の家に駆け込んできた。


 様子がおかしい牛がいる。


 牛飼いに着いていき牛舎にたどり着くと一匹の雌牛が瀕死の状態で横たわっていた。


 雌牛の腹が、パンパンに膨れ上がっていた。


 種付は行っておらず、妊娠もしてない牛である。

 前日までピンピンしていておかしな様子もなかった、と牛飼いは話した。


 もぞり、と牛の腹が大きくうごめいた。


 腹の中になにかいて、それがもぞもぞと大きく動いている。


 死にかけた牛は中の何かが蠢く度に苦しそうに鳴いた。


 耐えかねた牛飼いは村長の了承を得て牛を楽にしてやることにした。

 嫌な予感が全員の頭をよぎる。

 牛の首筋を刃物で斬り、大の大人が4,5人かけて牛を吊し上げ血抜きをしなおも蠢き続ける腹を一文字に裂いた。


 牛の腹から瀕死になった狼藉者が這い出てきた。


 狼藉者は牛の腹から這い出てきた時はまだ息があったが、翌日になると衰弱が激しく死んでしまった。


 あの娘はやはり件の娘だ。

 人ならざる、ひとでなしだ。


 それ以降ピタリと娘を欲しがる縁談は途絶えた。


 が、娘の美しさは衰えることはなく日毎にその輝きを増していく。

 光に吸い寄せられるように、狼藉者が村の内外から一人、また一人と現れては娘を我が物にしようとした。


 その度に牛が一頭、また一頭犠牲になっていく。


 これに一番嘆き悲しんだのは件の娘であった。

 同じ母体から生まれた母の兄弟たちを惜しんだのか、自らの美貌に狂わされる村人を哀れに思ったのか、これ以上男に襲われたくないと恐れたか、定かではないが。ともかく、娘は深く傷つき、声もなく毎晩さめざめと泣き崩れていた。


 四頭が犠牲になった折、とうとう娘は主に頭を下げ出家をすると申し出た。

 村長は娘に情が湧いており、たいそう惜しんだが、これ以上牛を失うわけにもいかず、申し出を受け入れた。


 しかし娘は荷物をまとめ村から出た所を数十人の賊に攫われてしまった。

 賊はこの世のものとは思えない魔性の美女をひと目見て、我が物にせんと、娘が一人になるのを狙い、待ち伏せしていたのだ。


 慌てて村人は娘を救うため山に入ったが、普段は農作業と牛の世話しかしない若い衆は戦闘に慣れておらず、みな賊に返り討ちにされてしまった。


 そして、翌日以降、一頭、また一頭と牛の腹が膨れ上がり、中から瀕死の状態か死んでしまった賊が湧き出てきた。

 このままでは牛が全滅してしまうと頭を悩ませていると一人の浪人が、村を訪れた。

 事情を聞いた浪人は、賊取り戻してこようと名乗り出た。


 浪人は背丈が人より頭一つ分ほど高く、真っ白な頭髪をしており、瞳は血を垂らしたような真っ赤な色をしていた。

 顔は思わず男も年よりも赤子ですら見惚れるほどの美丈夫だった。


 男は諸国を旅しており普段は人を襲う妖怪を退治して回っているという。

 お礼は握り飯一つでいいと言うと農家から縄を拝借すると山の中に一人入っていた。


 半日ほどして、男は残りの賊を全員無傷で捕らえ上げ、娘を担いで村に帰ってきた。

 賊は皆まるで子犬のように大人しく抵抗もせずそのまま御用となった。捕まった賊はみな、神でも崇めるように浪人を慕い感謝の言葉を吐きながら奉行人にしょっぴかれていった。


 娘は暴行を受けた痕が残ったものの命に別状はなかった。

 村は感謝歓迎し、礼は握り飯だけでいいと村を去ろうとした浪人を家に招待し、手厚く饗した。


 三日三晩飲めや歌えや開かれた宴会の後、浪人の所に件の娘がお礼に参じた。


「お礼にどうか嫁に貰って欲しい」と頭を下げた。


 娘はその時初めて言葉を口にした。それは予言ではなく恋慕の懇願だった。

 娘の声はまるで貴人が奏でる琴のように美しい音をしていた。


 村人は、この浪人相手なら牛の腹に沈むこともないのではないかと期待した。

 今まで娘の意見など耳に入れず無理やり手籠めにしようとしていたから罰が下されたのであって、娘が望むならそれも起きないのではないか。

 これほどの美丈夫なら娘に釣り合うだろう。


 村人も村長もそれがいい、村に腰を据え、そうしてくれと浪人に頭を下げた。


 しかし、それまで上機嫌だった浪人は一気に気を悪くした。



「畜生と交わるのは御免だ。」



 そう吐き捨てた浪人をなおも縋る件の娘を足で蹴り飛ばし浪人はそのまま村から出ていこうとした。

 娘は美しい顔を涙で汚しながら、浪人の背に向かって呪詛を吐いた。


「貴方は、今、死にます。」



 それに浪人は腹を立て、とうとう刀を抜くと娘の首をはねて殺してしまった。

 勢いよくはねた首は村長宅の中庭の池に落ち、真っ赤に染まった。

 宴は一変して阿鼻叫喚に変わった。

 浪人を捉えようとした瞬間、浪人の体は霧のように溶けていなくなってしまった。


 一同狐に化かされたようにあっけにとられたが、気を取り戻し、真っ先に向かったのは牛舎である。

 案の定というべきか、牛舎の中で今までより大きく腹が腫れ上がった牛が苦しそうに悶えていた。


 また屠殺せねばならない。とうとう五頭目である。

 しかし浪人はなんと素手で内側から牛の腹を裂いて自力で這い出てきた。


 浪人は無傷でピンピンしており、真っ白な頭髪は牛の血で真っ赤に染まり、首を大きく降ってに当りに撒き散らした。


「なんてことをしてくれたんだ…」

 件の娘を殺し、牛を殺した浪人に村長が詰め寄る。

 あんなに美しく健気な娘を!よくも…と村人が口々に声を上げたが、浪人は気にした様子もなく、


「もう大丈夫だ。妖怪は退治した。安心して暮らすと良い。あの池はよくないのでとっとと埋めなさい。」と笑顔で返し、血に濡れたまま村を去っていってしまった。


 あっけらかんとした浪人があまりにも不気味で、ましては素手で牛の腹を裂くような剛腕である。村人は引き止めることも出来ず、去っていく男の後ろ姿をただ眺めていた。


 娘の首を回収しようと池を覗き込むと、池は真っ赤に染まっていた。


 どれだけ探しても娘の首は見つからなかった。


 首のない件の娘の亡骸を、村人は共同の墓地に入れて弔った。


 その後娘の首が入った池は、どれだけ掃除をし入れ替えても真っ赤な血のような水がたまり続けたという。


 やがて池は「牛の腹」と呼ばれ、その姿を池の面に写した者に予言を告げるという噂が流れるようになった。

 予言は必ず死に関するもので、名前を呼ばれ死にゆく者たちを、村人は娘の祟だと恐れ、村長は家を移しそのまま屋敷を禁足地とした。




―――――――――


「その牛の腹を埋めて建てたコンビニがこちらになります。」


 図書館に行った帰り道に、バス停近くの日よけが出来る場所を…と案内されたのがそこである。

 そこは村の南側にあるバス停の近くの小さなコンビニは大手チェーンの看板を掲げているものの、窓に「トイレありません・営業時間7:00~21:00」と貼られており個人が契約しているフランチャイズ商店であることが伺える。


「昭和の初めまで池があったらしいけど、俺はまだ生まれてなかったから、あれから1度も見てないんだ。」

 そういう彼はアイスを買っていた。


 本来、村へは友達のグループに混ざって旅行として訪れるはずだった。

 諸事情で計画が流れ、同じ事情でSNSが炎上し自宅が晒された私は、彼の家に身を寄せていた。

 ついでに市の図書館で郷土資料を漁って彼名義で数冊借りることにした。滞在中に配信用の資料をまとめることにした。


 本来ならアポ無しで読むことが許されない資料も、彼の顔だけで読ませてもらうことが出来た。こういう時地主の血縁者は強い。

 私が資料を漁っている間、彼は市の出身漫画家の本を読んでいた。途中までは中学生の時に読んでいたらしいが最終巻まで読むのは初めてだったようで、時間の半分は43巻を片手に虚空を見つめ呆然としていた。無理はない。


 図書館を出て、バスの時間までまだあるのでそのまま店内で涼むことにした。彼と二人、3席しか無い飲食スペースに座る。


「いわくつきの土地は結構あるけど、結局後から住んでいる人の気持ちの持ちようじゃ。不運がもし続いても連続も祟りだと言ってしまえばそうなるし、偶然と割り切ればそこで"いわく"は切れるじゃろ?」


 アイスを食べなが彼は話す。

「あのまま、村であの女を飼い続けりゃ、そっちのほうが人に害を及ぼすと思ったのね。実体があるってそれでだけで強いからさ。」

 浪人のイケメンはきっと恨まれるのに慣れてるし、と零す。


 そうだね、と返事をしながら借りてきた書物をカバンの上から撫でる。

 3冊は彼が読んでいた作家の別の漫画の1から3巻、もう3冊は私が借りた村の伝承を子供向けにまとめた絵本だ。


「ていうか、ちーちゃんなんでそんなん調べようるんだっけ?」

「…晦がアドバイスしてくれたんじゃない。配信とかするといいって。そのネタを集めてるんだよ。」

「そうだっけ?」

 私が縋る思いで始めた気休めの提案者は、やはり無責任に忘れている。

 アドバイスをする輩に限ってこうだ。



―――私の彼には、空想癖がある。


 彼が語る村の伝承には必ず彼に似た人物が登場する。

 白い髪、赤い瞳、頭一つ分背が高い、天涯孤独の美丈夫。

 彼は、まるで実体験のように白髪の美丈夫の英雄譚を私に語る。


 大体の話は他所から村を訪れた美丈夫が村の者に慕われその土地に住まう怪異を倒し、伴侶を得て土地に腰を据える話である。

 最初、彼が物語に自分を交えて語っているかと思った。


 彼女の私の目から見て色眼鏡抜きでも彼は相当な美青年だと思う。

 唯一違うのは彼は天涯孤独ではなく、実家には彼そっくりな妖艶な母親と神社の神主の叔父、数人の使用人といっしょに暮らしている。


 彼は実家には金が無いと言うが、比較的質素な生活を心がけているだけで金回りに困った様子はなく、住み込みの使用人の世話ができる時点で相当なボンボンである。

 白髪赤目は生まれつきだと言っていた。肌の色は黄色人種のそれなのでかえってその白さが際立つ。


 上記に加え胸から腕、背中にかけて橘と猫をモチーフにびっしり彫られた和彫りの入れ墨。

 にも関わらず、彼は驚くほど周囲に溶け込むのが上手かった。

地元においても、東京においても、彼の外見に驚くものはほぼいない。


 多様性のこの時代にジロジロ見るのは失礼だが、遠くから見ても彼は相当目立つ。

 それなのに、見て見ぬふりをしているわけではないのに、彼は誰からもその存在を異質に思われない。


 それに伴うかのように、彼は不思議なことに、昔から人にとても好かれやすい。

 ぎょっと身構えたのは私と私の兄ぐらいで、みんな初対面でも彼に好印象を抱く。

 私の彼に対する第一印象は、ヤクザのボンボンで出会った当初は怖くて仕方がなかった。


 しかし彼の性根は真面目で明るく人懐っこいカタギの好青年で、好感をもつのにそう時間はかからなかった。彼を狙っていた娘は多くいたので、付き合い始めた当時は随分嫌がらせも受けたものだ。


 そんな彼を快く思わなかった父親が施したのが入れ墨である。

 せめて見た目だけでも忌避されるようにの呪いが込められたものだが、彼自身はたいそう気に入っていて、自慢のようにさむがりなのを我慢して、薄着をしては見せびらかしている。


 しかし彼に会う人々はその自慢の入れ墨が、見えていないわけではないが、彼に関わる人は誰も気にもとめていないのだ。言及することを避けてるのではない、する必要がないから誰も言及しないのだ。入れ墨がないかのように、いやあって当たり前だというように振る舞う。


 彼は己が不幸だったとは微塵も思っていないので、入れ墨を入れられた経緯を含め、父親との思い出をよく人に話す。


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