橙色の灯り

枚島まひろ

第1話 挨拶

 わたしはこれを、とある駅の改札を抜けて直ぐのところのベンチにて、自分の膝を机にして書いております。先ほどそこに見えるお店で、ノートとペンを買い、そのままの勢いで書き始めたという具合です。慣れないことをしているので、少々字が歪んでいることでしょう。しかし、あなたはそんなこと、気にも留めないのでしょうね。(いいえ、わたしはこのような、あなたに対する不平不満を言いたくて、これを書いているのではありません。あなたが細事を気に留めないというのは、当に承知のことですし、いまさらそこに腹を立てても仕方がないのですから)。


 また、この格好のまま最後まで書ききることはないだろうということも、最初から伝えておかねばなりません。すなわち、わたしはこれをどこかで中断し、宿でも探したあと、寝支度を済ませてしまい、それからやっと落ち着いて、ゆっくりと再開するだろうということです。一度に書いてしまった方がよいことはわかりますが、それをするには、いまの体勢はあまりに書きづら過ぎるし、それ以上に周囲から目立って仕方がありません。知らない土地に来てまで、他人の怪訝な視線ばかりを浴びるだなんて、わたしには癪ですから。


 それでも、いま慌ててノートとペンを取ったのには、当然わけがあります──この勢いのまま始めなければ、きっとわたしはついには書かないだろうし、そうなればあなたとの関係に、いやなしこりが残るでしょうから。


 さて、あれから数時間(いや、これが読まれるとき、あなたにとってはもう数日間かしら)が経ちましたが、あなたはいかがお過ごしでしょうか? あのときのあなたは、随分と興奮なさって、ご高説を垂れていらしったけれど、少しは頭が冷めましたか? もしかすると、いまではわたしへの仕打ちについて、幾らか良心を痛めておいでかしらね。それとも、もうわたしのことなんて、すっかりお忘れになってしまいましたか? (いいえ、あなたに限ってそれはないでしょう。なにしろ、あなたは過去に執着し過ぎるお男ですもの)。


 明日を向いているならよろしい。しかし、もし未だ昨日ばかりを見ているのなら……きっとこのノートがあなたにとってよいお薬になることでしょう。率直に言って、これはあなたを勇気づけるためのノートです。あなたの長らく沈んでしまった心を──底冷えして、焦燥と後悔ばかりが沈殿してくるその可哀想な心を、奮い立たせるためのノートです。自分でも驚くばかりですが、どうやらあなたのためならば、いまのわたしにはこんなことまでできてしまうらしいのです。なんと身の程知らずで、大それた、それでいて他愛の精神に溢れた行いでしょう! (まるであなたのお好きな物語の、例のすべてをお赦しになった娼婦のようですわね)。


 ただし、もちろんこれはわたしの「都合」であって、「つもり」でしかございません。あなたがこれを「過剰」だとか、あるいは「重たい」だとかとお受け取りなさると、わたしの行いは、一転毒の所業へと様変わりしてしまいます。ですから、わたしとしては、あなたには断固行動で返していただくことを期待します。すなわち、あなたにも同様の仕事を要求しているのです──お返事を寄越してください。もちろん、つり合いなんて望みません。ただあなたにとって満足のいく程度に、しかしどうか心だけは解放して。


 しかし、わたしはこのノートに至る経緯と趣旨とを語るのに夢中になって、随分と退屈な挨拶をしてしまいました。まったく、前置きばかり長くても仕方がありませんね。腰と手と、視線とが痛くなる前に、わたしはある程度まで書き進めてしまう必要がありますのに。ですから、最後に一番大事なこと──このノートにおいてわたしが何を書きたいのか──を示すことで、わたしの長すぎた前置きを締めくくりたいと思います。


 わたしはここで、わたしの過去について告白します。ついには誰に対しても口を開けなかったわたしの過去、きっとあなたが人づてに、断片的、あるいは一面的には聞き知っているだろうわたしの過去について、そのわたしなりの解釈をです。先日、あなたはあの大喧嘩(いまやわたしは、あれを簡単に「喧嘩」という言葉を使って表現できます)にて、「告白小説を書く」とおっしゃいましたね。どうか、それに触発されたのだ、とでもお思いください。とにかく、あなたに先んじて、わたしはこれを書きます。あなたみたいに、書かないためのうまい言い訳は並べません。では、そろそろ始めてしまいましょう。

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