第22話 紐の行方

 紐は俺の旅行カバンの奥底にあった。

 宿のお婆さんに渡すつもりが忘れてしまい、荷物に紛れてカバンにしまったようだ。


 俺は紐を掴むと大急ぎで孫娘さんこと白咲しろさきが入院している病院に駆け込んだ。


 病室には温泉旅館で視た孫娘さんその人がベットに横たわっていた。

 一見するとただ静かに眠っているだけのようでもあったが、酸素マスクをつけられ、点滴が3本も打たれていて痛々しく、さらによく見ると孫娘さんの肌は生気が薄れて真っ白になっており、生命力が低下していることに気づかされた。


「おい。聞こえるか? 下着を見つけたぞ」


 そういって俺は紐───もとい『ネイキッド☆ストリング』を孫娘さんの手に握らせた。


「確かにこんな下着、人に見られたら顔から火が出るほど恥ずかしいな。死んでも死にきれないといった理由がわかったぞ」


 しかし孫娘さんの手に力はなく、なんの反応もなかった。


「おい。しっかりしろ。下着が見つかったからって安心して逝くんじゃないぞ。

 そうだ。温泉の温度だが計ってきたぞ。俺が言った通り、やはり湯温は39.3度だった」


 そう告げると孫娘さんの心電図が一瞬だけピコンと跳ね上がった。

 俺はその変化を見逃さなかった。


「───!!

 ど、どうだ。俺の言ったことが正しかっただろう。やはり湯温は39.3度だったんだ。あの湯温を39.2度などと判断するなんて真の温泉愛好家とはいえないな。わははははは」


 俺はわざと孫娘さんを煽った。

 俺が煽る度に孫娘さんの心電図がピコンピコンと跳ね上がった。


「どうだ悔しかったら何か言ってみろ。このまま何も言わないままってしまう気か?」


 俺が固唾を呑んで見守ると、孫娘さんの口が薄っすらと開き、声が絞りだされた。


「───し……」


「───ん? し……?」


「───し……したぎも……あなたが……もっていってたのね……。ぜ……んぶ……ぜんぶ……あなたの……せい……じゃない……。私がのぼせたのも……下着がなくなったのも……あなたのせい……」


 孫娘さんは薄っすら目を開くと俺を睨みつけた。

 みるみる顔色が戻り、生気が蘇るのを俺は目の当たりにした。


「あ、温美あたみ! 孫娘さんの意識が戻ったぞっ! ナースコールだ! ナースコールを押すんだ!」


「…グス。わかったっス。押せと言われれば背中でもナースコールでもなんでも押すっス。ワタシは素直でいじらしい後輩社員っス……。ナースコールをポチッとな。…グス」


 意識が戻った孫娘さんは上体を起こそうともがき始めた。


「お、おい。無理をするな。意識が戻ったばかりなんだ。安静にしていろ」


 俺は手で孫娘さんを制し、ベッドに戻そうとしたが払い除けられた。


「う、うるさいわね……貴方の指図は受けないわよ……。

 ……下着を見つけてやったですって? 貴方が盗ってただけじゃない!

 このヘンタイ! スケベ! 女のテキ!

 貴方まさか私の下着で変なことしたんじゃないでしょうねっ?

 いやだわ汚らわしいっ! タイーホよ! タイーホ! おまわりさぁーんこのひとですぅーっ!!!」


 急に元気よく騒ぎ出した孫娘さんを見て、駆け付けた看護師の皆さんもこれは何事かと驚いていた。


「それに湯温が39.3度ですって? そんなわけないわよ! 何がよ! そんなの役立たずのガラクタだわ!」


「それについては確かに湯温は39.3度だったが、場所によっては39.2度の所もあった。俺がかった源泉に近い所は39.3度だったが、おそらく孫娘さんがかったであろう場所は39.2度だった。だからどちらも間違ってなかったんだ」


「え…? そ、そうだったの。な、なるほどね。確かにそういうことはあるかもね」


「非礼を詫びよう。自分が正しいと思い込み、他者の意見をないがしろにしてしまった。人として狭小で恥ずべき態度だった。何より同じ真の温泉愛好家に対して無礼だった。すまなかった。お前は湯温に対して絶対の自信を持ち、俺に対して勝負を挑むなど見上げた孫娘さんだ」


「え……ええ~……?? そ、そうね。わ、私も……貴方の云う湯温を疑って……ご、ごめんなさい……?

 ……あれ? なに? なんで……? なんでこんなに素直に謝れないの……!? ここはお互いに折れて仲直りする流れなのに……!?」


「まったくだ。こっちが大人になって譲歩してやってるのに、とんだ孫娘だ」


「───っ!!!

 それよっ! その態度よっ! その生意気な態度が気に入らないのよ! 貴方ねっ! 私は会長の孫娘なのよ! ちょっとは敬いなさいよっ!」


「だから言っているだろう。会長の孫娘だろうが大統領の孫娘だろうが、会社の社員でなければ上司でもなんでもない。赤の他人だ」


 そう言い返されると孫娘さんは「我慢ならん!」といった様子で両手両足をバタバタさせた。

 困った孫娘さんだ。後で気持ちが落ち着く檜風呂のアロマでも与えてやろう。


 そうやって俺たちが病室で騒いでいると、幟別箱音のぼりべつ はこねさんと会長が病室にやってきた。


「あっ……! 白咲しろさきっ! よかった! 意識が戻ったのね!」


「フガフガー!(しぃちゃん~!(※孫娘の白咲しろさきの愛称))」


箱音はこね! お爺ちゃん! 丁度良いところに!

 決めたわ! 私、お爺ちゃんの会社に入社する! そしてコイツの上司にしてちょうだい!」


 おやおや? 孫娘さんが何かを言い出したぞ?


「おい。やめておけ。うちの会社はブラックだ。お前みたいな温室育ちの孫娘なんてマグマに落ちた一粒の水滴のように一瞬で蒸発してしまうぞ」


「はぁ? 何言ってるの? お爺ちゃんの会社がブラックなわけないじゃない! 貴方がゆとり世代の申し子なだけよ!」


 俺がゆとり世代の申し子だと……?

 まったく、何を言っているんだこの孫娘は。世間知らずにも程がある。

 まあいい。それなら一度、うちの会社に入社して現実というメガトンハンマーで宇宙の彼方まで吹き飛ばしてやろう。


「あ、あのね……白咲。会長もいる前で言い難いんだけど、うちの会社がブラックなのは有真ありま君のいう通りなんだよ?」


 見かねた箱音さんが間に入ってくれた。


「な、なによ箱音、貴方までそんなことを言うの? 小学校からの親友だからって言っていい嘘と悪い嘘があるわよ。お爺ちゃんの会社がブラックなわけないじゃない!」


 なんとふたりはそういう関係だったのか。


「そ、それはね、白咲。社長───つまり貴方のお父さんが会社のお金を私的な交友費として使い込んでいるからなの」


「え? あのが?」


「そうなの。だから社員は薄給で長時間、奴隷のように過酷な労働を強いられているのよ」


「なんですってー!? ちょっと、お爺ちゃん! どうなってるの!?」


「フ、フガフガ……?」


「駄目よ、白咲。会長は身内にはだから。貴方を溺愛してるけど、息子である社長も猫可愛がりなの」


 なんと、そういうことだったのか。

 つまりうちの会社がブラックなのは会長ではなく、社長のせいだったのか。


「わかったわ。それならお爺ちゃん。私を会社の社長にして。そしてクソ親父は代表権のない顧問として会長にスライドさせるわ。そしてさんざん泣かせたお母さんへの罪償いをさせてやる。そしてお爺ちゃんは隠居。実家の温泉旅館に帰ってお婆ちゃんのお墓を磨いてて」


「フガー!」


「会長が「それは良い! ぜひそうしよう! わしも婆さんの墓の近くでゆっくりしていたかったんじゃ~!」と言っておられるわ」


 嘘だろ? フガーしか言ってなかったが?

 それに俺にはそのフガーは「ええ~!」というフガーに聞こえたのだが……。


「決まりね。どう? これで私は貴方の会社の上司───それどころか社長よ。社長に対して不遜な態度は許さないわよ。さあ、私を敬いなさい!」


 うーむ。なんとも釈然としないが会社から給料を貰っている以上、権力者に逆らうのは得策じゃない。

 俺は礼節を尽くすことにした。


「ほーっほっほっほっ。ようやく私の力の凄さがわかったようね。貴方には今まで以上にキツイ仕事を課してやるから覚悟なさい」


「……くっ。仕方ない。おい。温美。お前も目を付けられないように今のうちに服従しておけ。この我がまま孫娘は敵に回すと厄介だぞ」


「…グス。わかったっす。服従しろと云われれば靴底の裏でもなんでも舐めます。ワタシは無抵抗でいたいけな後輩社員っス……。グス……」


「ちょ、ちょっとその子、なんでそんなに泣いてるの……?

 ……ていうか、ちっちゃっ! 中学生? 小学生? えっ? うちの会社の社員?

 か、かわいい……! 可愛すぎるわ!

 あ、貴方こっちにおいで。お姉さんがよしよししてあげる。

 ───っていうかよしよしさせて! おねがいっ!」


「おい。そいつは大学時代からの俺の大切な後輩だ。粗末に扱うなよ」


 その言葉に温美がピクンと反応した。

 その様子は、まるで「ごはんだよ~」と云われた犬猫のようだった。


「大切……? 今、有真センパイ、ワタシの事を大切って言ったっスか?」


「ああ。言ったぞ。温美は(いつもB級品の饅頭を持ってきてくれるから)俺にとってとても大切だ」


 そういってやると急に温美はムクムクと膨れ上がるように存在感が大きくなった。


「新社長。有真センパイは頭の中が温泉で、血管には源泉が掛け流されているような超が付くほどの温泉バカです。そして他者に対する気遣いが全くできない「友達にしたくない人10年連続No.1」の殿堂入りレジェンドです。


 しかし───!


 ワタシがひとりで何千、何万個の温泉饅頭を検品し「人間離れしている!」と言われるのと同様に、有真センパイもひとりで日本全国津々浦々の温泉旅館を漏らすことなく営業し、弊社の温泉饅頭の販路を爆発的に激増させた功労者です。

 おそらく有真センパイは仕事として営業に行ったのではなく「会社の経費で温泉に行けるぜ!」と毎日温泉地へ赴いたと思いますが、それでもこんなことができる温泉好きは他にはいません。弊社の宝です。だからそんな有真センパイにイジワルしないでください。っス」


 舎弟語尾をかなぐり捨て、毅然とした態度で温美は新社長に言い放った。

 俺はそのその内容に「本当に褒められているのか?」と疑念がよぎらなくもなかったが、温美の熱意は新社長に伝わったようなので、何も言わず黙っておくことにした。


「怒った顔もギャンカワでたまらないわっ!

 わかったわ。まだアイツのことは気に入らないけど貴方がそういうなら許すわ。ヒドイことはしないで今まで通りに扱うわ」


「それだけじゃダメです。こんな人材がヒラの営業職なんで世間体が良くありません。有真センパイを営業部長にするべきです。っス」


「そうねっ! 貴方の言う通りっ! それがいいわっ!

 おい! そこの超が付くほどの温泉バカ! 貴方を営業部長に任命してあげるから感謝しなさい!」


 新社長はビシッ!と俺を指差すと、早くもワンマンな辣腕らつわんを振るい始めた。


「どう~? これで満足~? 私が部下の意見もちゃんと聞く心優しい社長だってわかってくれた~?」


 新社長は温美の頭をナデナデしながら媚びに媚びた。

 会長が身内に激アマというが、どうやらそういう依怙贔屓えこひいきな気質はこの孫娘もしっかり受け継いでいるようだ。




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【後書き】


 私の小説をここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

 (⋆ᵕᴗᵕ⋆)ウレシイデス

 次のお話でフィナーレで~す♪

 (ノ≧ڡ≦)☆ラストーー!!

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