第6話 先日の思い出

「到着だ。ここが目的地の温泉旅館だ」


 俺と温美あたみはついに温泉旅館に到着した。


「すぐにまたこの温泉旅館に来れて本当によかった」


 俺は数週間前に訪れ、記憶にもまだ新しい旅館を眺め、先日訪れた時のことを思い出していた。




~ 数週間前 ~


「お、おお…! おおおおおおぉ~っ!!」


 俺は感動に打ち震えた。


「み、見事だ。なんという温泉だ。まさにこれこそが秘湯───それも秘湯中の秘湯だ。全温泉愛好家が感動の涙に溺れるだろう」


 そこは山の中にある岩場だが、温泉の湯が窪みに溜まり、もうもうと湯気を立ち昇らせていた。

 周囲は拓けていて開放的だが、一帯は木々が生い茂り、見渡す限りの原生林が広がっていた。

 幽玄、幻想、ファンタジー……そのどんな形容でもこのロケーションは表現し尽くせない。「こんな温泉あったらイイな~♪」が具現化された、まさに理想の温泉だった。


 さっそく掛け湯をして、俺は温泉にかった。


「湯温は39.2……いや、39.3度か。温泉としては高めだが、源泉かけ流しとしては低温だな。かり易くて有難いが、これは珍しい。

 泉質は炭酸水素塩泉、それに含鉄泉と含よう素泉も少々か。

 ならば冷え性、皮膚病に効果があり、飲めば鉄欠乏性貧血症や高コレステロール血症の改善が期待できるな」


 俺は肩までどっぷり温泉にかると、全身の力を抜いて揺蕩う湯に身を任せた。

 そして時を忘れてただただ温泉と一体となって時間を過ごした。


 ───どれくらいの時が過ぎただろうか。


 ようやく満足した俺は温泉からあがるべく、岩場に足を掛けた。

 すると、その時、俺は傍らの岩の上に異質な物を発見した。


 ───それは紐ようだった。


「なんだこの紐は……? なんでこんな所に?」


 俺は怪訝に思い、周囲を見渡してみた。すると別の場所に瓶子へいしがお供えしてあるのを見つけた。

 おそらくこの温泉を神聖視し、御神酒おみきが奉じられたのだろう。


 ということはこの紐は注連縄しめなわの一種か、紙垂しでだろうか?


 俺はその紐をしげしげと観察し、撫でたり伸ばしたりしてみた。

 その紐はシルクのようにすべすべで手触りがよく、伸縮性にも優れていて柔らかだった。


 これが何の紐なのかよくわからないが、こんなところに放置しては不憫だと思い、俺は宿に持って帰ることにした。

 宿のお婆さんに渡せば、その正体も明らかになるだろう。


 しかし本当に良い湯であった。

 俺は大満足で温泉を後にした。

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