星々のフリーヤ

第1杯 砂漠の殺し屋ジルコン

肌を焼く黄金の太陽。果てしなく広がる砂が体にまとわりつく。砂は歩を進める度、足をあげる度、サラサラと足の甲を流れていく。時折吹く風が全身の水分を奪っていった。汗を拭おうと首に手をやるとザリッとした砂の感触が手を傷つけた。

果てしなく広がる砂、とは言ったが……

一旦立ち止って、腰に下げた丸いボトルから水を喉に流し込む。水を飲みながら青年は行く先を静かに見つめた。果てしなく広がる砂とは言ったが、実際には、砂の海の終わりはもう見えている。

だいたい一キロぐらい先に、オアシスがもう見える。さらにその奥には街があり、家々の群れの中から宮殿のドーム型のコバルトブルーの大屋根が顔を出していた。あれが青年の見ている蜃気楼でなければ、日の出ているうちに目的の場所に着くだろう。

「水もまだ全然あるし、余裕か……」

砂漠の一キロはそう簡単なものでは無いが、その厳しさは青年の得た情報通りだった。一人旅とはいえ、万全の準備が功を奏したようだ。水は十分｡しかし足は破裂寸前だった｡

「くそぉ、やっぱりラクダの一頭でも買えば良かったか……あとあれだ。話相手｡正気を保つために｡蜃気楼に話しかけ始めたときは自分でも『ヤバいなこれは』と思ったね」

青年は太陽に向かって大声で話しかけている｡

彼は今まさに正午を指した時計の針のように、人差し指をピッと上げる｡

「でもな、もう少ししたら話し相手やらなにやらに困るわけはないんだ｡なんせ行先はあのバドル王国｡賑やかな地元民と浮かれた観光客でごった返してるはず！ どこに行っても歓迎ムードだろ」

太陽はジリジリとした暑さだけで答える。

青年はまた一人歩き出して、しばらくして先程の自分の見当違いな発言に呆れて笑った。

「フフ……いやぁ……歓迎されるわけないか」

ザッザッと音を立てる砂に話しかけるように呟いた。

「殺し屋の手伝い……死体の掃除屋として行くんだからなぁ」

予想とは裏腹に、街の人は青年を本当に歓迎した。それはそうだ。何故青年が入国したのか、皆は知らないからだ。青年の期待通りこの国の人々は基本フレンドリーらしく、市場（スーク）を通ると様々な人が青年に声をかけた。

果物の並んだ屋台の店主は

「よぉ！ 楽しんでってな！」

と言いながら青年が見たことの無い独特なドぎつい色のフルーツを一つ、浮遊魔法でよこしてくれた。

買い物に来ていたらしいお節介そうな女性はすれ違いざまに

「あなた宮殿前広場には行った？ いい場所なのよ～～ん、はい、これが地図ね 」

と手を使わずに羽根ペンで地図を書いてくれた。

この世界の住人は皆魔法を使い生活している。だが、通常個人が使える魔法は1つのみ。多くの人々は浮遊魔法だったり、操作魔法だったりと、比較的単純な魔法____通常魔法（バシャル）が使える。

例外がいる。通常魔法（バシャル）に加えてもう1つ、遥かに複雑な魔法____特殊魔法（バラーク）をその身に宿して生まれる人がいる。少数派とはいえ、その魔法の種類は数に数えたり、効果により分類したりすることのできないほど数が多く、複雑である。

通常魔法者（バシャラー）と特殊魔法者（バラーカー）の比率は大体8対2ぐらいだ。

そんな世界だから、人々は力を他人に分け与え、分け与えられて、協力し合って生きている。

しかし歓迎ムードの中油断しきっていた青年は、そんな助け合い社会の中で一気に孤立することになる。

布で顔半分をマスクのように覆っているが、優しい目元をしているおじさんに行先を聞かれ、彼は素直にその場所を言ってしまった。

「僕は友人と待ち合わせをしていてですね、''この国で一番見晴らしのいい塔の上''なんですけど、どの方角にあるか分かりますか？」

その青年の言葉におじさんの顔が一気に強ばるのがわかった。マスクの上から見てもわかる、引き攣り様だった｡

この市場（スーク）は、砂を固めた道は広い｡しかし住宅街の役割も兼ねていて、赤やオレンジなど、この国特有の色とりどりの洗濯物が頭上に吊るされていた。

つまり遠くの建物、ましてやどこにあるか分からない塔などを探すのは難しい場所であった。

そもそも雇い主と落ち合うために指定された場所の特徴があまりに抽象的で困っていたから、おじさんの厚意に甘えて質問したのだ。しかしこのような反応をされて青年は大変戸惑った。よく見ると周りの人々も青年を白い目で見ている。

「あー、あの〜......」

「そこは殺し屋の住処だよ。それの友人だって？ ホントならあんまりこういうことは言いたくないんだけどもねえ、そういうことならこっちは君を軽蔑して、無視するしかないんだよ」

おじさんは早口でそうまくしたてて、青年に小さな紙片を押し付け踵を返して去っていった。同時に周りの人々も青年から距離を取るように散り散りになって歩きだした。人が消え広くなった道の真ん中で青年は立ち尽くした。

(おい……ちょっと待てよ、雇い主の殺し屋は自分の住処を待ち合わせ場所にしたっていうのか！？)

ありえない、と思うと同時にむしろ一種の怒りまで湧いてきた。

雇い主はもしかしたらとんでもないアホかもしれなかった。そしてこのおじさんから押し付けられた紙片はなんだ？ そう思ってパッと開くと、この国の文字で

「ここから南東の方向に」

そう書いてあった。青年は拍子抜けした。あのおじさんは結局場所を教えてくれたのだ。

でも何故だ？ 呆れと混乱に邪魔されて答えは出ない｡不思議に思いつつ、紙を握りしめ南東へ向かった。

少し歩くと場所はすぐにわかった。ピンとくるとかそういうこと以前に、その塔の麓には人が全く居ないのである。塔の入口の階段の一段目に、「この塔の上だ」と積もった砂に書いてあった。さっきの紙片の文言といい、なんだか子供のやる宝探しのゲームをやらされているみたいだった。

「おいこの伝達手段、風が吹いてメッセージが掻き消えたらどうするつもりだったんだよ」

若干呆れながらも、昔やった自分の家での誕生日パーティのことを思い浮かべた。今なら雇い主をあのピニャータのようにボコボコにできると思った｡

感情に任せて青年はズンズンと階段を登っていった。

砂の煉瓦でできた塔は壁がボロボロで、この塔がどうバランスを取っているのか謎なほど穴だらけだった。

しかしそこから見える景色は上等な絵画のようだった。多くの色彩が彩る街、陽の光を反射して青く輝くオアシス、遠くに見える青と黄金の宮殿......。

しかしそのときの青年にはそんなものをじっくり見ている余裕はなかった。相手が殺し屋だろうとなんだろうと、一言物申さなければ気が済まないと思っていたからだ。いくら有名な殺し屋だとしても自身の住処をこんな塔の上にするなど有り得ないし、そこにバイトを呼び付けることなんかもっと有り得ない｡バイトが色々と困るに決まってることくらいわかるだろう。今後付き合っていくためにも意見くらいは言わねばやっていけまい｡

それに階段が思ったより長い。理不尽にも、さらに胸の中の怒りが大きくなった。

青年は本気で、第一声を「福利厚生をちゃんとしろ！」にするつもりだった。

しかし実際に彼と対峙したとき、そんな感情は一気に消え去ってしまった。

最上階にあった部屋はそれなりの扉も何も無く、階段の延長として唐突に現れた。ただ部屋といっても、壁はやはりほとんどが壊れていて所々に模様の入った赤い布が張ってあった。向かって最奥の、象一頭が通れそうなくらいの一際大きな穴からはあの黄金の宮殿が真正面に見えた。青々とした明るい空も相まって、その手前……穴の縁に人が座っているのに気付くにはあまりにも、穴から見える景色が眩しすぎた。

その人影がこちらを振り向いた。逆光で全く顔が見えない。

「お前が雇った掃除屋か？」

彼の声は想像していたものよりも少年らしさがあった。縁から飛び降りた彼はこの暑いのに黒いフード付きのローブを着ていた。緊張で彼を凝視することしかできない｡彼がこちらへ歩いて来る。彼の歩調より遥かに早いリズムで心臓が鼓動する。気付けば彼の頭は青年の目の前だった。

「思ってたより若いな」

彼が顔を上げ青年の目を見た。彼の日に焼けた浅黒い肌に、満月のような金の瞳が二つぽっかりと浮かんでいた。しかしまだまだ黒フードが邪魔で表情はよく見えない。

「あの、殺し屋のジルコン……だよな……？ あんたこそ……僕より身長が小さい。もっとこう屈強な……大男を想像してたのに」

彼の威圧感に少々どもりながらもそう答えた。あの、と言った部分は声が掠れさえした｡

それを聞いた彼はふん、と小さく鼻を鳴らした。

「身長と年齢は比例しない」

彼は少し語調を強め、僅かに眉をしかめた。ふいと青年から顔を逸らし、また部屋の奥へと歩いて行ってしまう。

気分を害しただろうな……と青年は思ったが、どうやらそうでも無いらしい。彼は彼の身長よりも大きな縦に長い袋を拾い肩にかけた。どこかへ行く支度をしているようだ。

「ジルコンは仕事で使ってる名前だ。俺はニグム。早速だが仕事に行く。ついて来い」

唐突なニグムのぶっきらぼうな自己紹介と共に、二人の奇妙な生活が始まった｡