【短編】魔法使いだったあの日々

お茶の間ぽんこ

魔法使いだったあの日々

 地元の外れにある森の奥、そこにはかつて俺たちが入り浸っていた秘密基地がある。俺は小学生時代の記憶を頼りに森の中を歩いた。


 十分ほど歩いた先には開けた土地があり、段ボールや年季を感じる木材によってつくられたボロボロの基地が今もなお残っていた。入口には泥などで汚れきったカーテンがかかっていて、俺はそれをかきわけて入った。


 中には、長い髪の毛をボサボサにして汚れた服を着ている女がいた。だが俺にはそいつが誰なのかは昔の面影を重ねて分かった。


「よっ」俺は声をかけた。


 真ん中に置いてあるテーブルに向かって何かの作業に没頭していた彼女はその声で俺に顔を向けた。


「かっくん、久しぶりだね」


 彼女、みのりは落ち着いた様子で答えた。


 みのりは無造作に置かれた物品を片付けて俺に座るように言った。


「ちょうど魔力補給の新作を作ったところ。これなんだけど」


 差し出されたものは使い古された容器に注がれた異臭が漂う液体だった。客人に振舞うようなものではないが、彼女は本気みたいだった。


「いや、俺はいいや」俺は手を振って断った。


「そう。せっかくりんご、オレンジ、バナナを一年熟成させて作ったのに」


 彼女は肩を落として、代わりにそれを飲んだ。やはり飲まなくて正解だった。


「そんなもん飲んでてお腹壊さない?」


「私は常に魔法に身を置いているから耐性ができているのよ」彼女は美味しそうに飲んでケロッとした顔で答えた。


「ずっとここに?」


「うん」


「その、まだこんなことをしているのか」


「こんなことって?」彼女は真面目に聞いてきた。


「魔法とか言ってるそれ」


「かっくんもやってたじゃない。それに魔法は実在するわ」


「それは小学生のお前が一人で言ってた話だろ」


「小学生時代も今も同じだよ」


 俺の問いに対して彼女は至って真面目に答えてくる。俺は呆れて押し黙った。


「かっくんはここに何しに来たの」


「そのさ、俺結婚することになったんだ」


「え…そうなの?」彼女は驚いた顔を見せた。


「それこそ小学生時代につるんでたメンツを招待しようと思ってさ。だけどお前だけどうしても見つからなくて…でももしかしたら、と思ってここに来たら本当にいるとはな」


「そっか…。かっくんも結婚するんだ」


「だからお前もさ、もうそろそろ現実を見て…」


「そういえば私たち昔は大魔王ゴルドバ討伐に行ったよね」


「?」俺は急な発言に虚を突かれた。


「あれ? 覚えてない? 世界の時間が止まったときがあったじゃない。魔法を使える私たちだけが動けて、諸悪のゴルドバを倒しにいったでしょ」


みのりは語り続ける。


「あのときやばかったよね。こーたが石化の呪文にやられて、怪力のパーワンに壊されそうになって」


 彼女の妄想力は常軌を逸している。それをまるで本当にあったかのように語っていた。


「間一髪だった。かっくんのテレポートで移動させてなかったら今頃こーたはこの世にいないよ」


 みのりはうんうんと頷いて妄想を膨らませる。


 俺はそんな彼女に呆れきっていた。


「もう大人になれよ」俺は冷めた声で言った。


「え?」


「みのりの母さん、みのりが急にいなくなって心配してんだぞ」


 俺がみのりの家に行ったときを思い出す。彼女の母親いわく、彼女が失踪して五年になるらしい。こうして能天気に暮らしている彼女を見て腹立たしさすら感じた。


「母さんだけじゃない、俺も、昔つるんでた奴らも心配してるんだ。ありもしない魔法なんて何が良いんだよ」俺はそう言葉を連ねた。


「魔法はあるよ」みのりは平然と言った。


「ないって言ってるだろ。じゃあ今ここで魔法を使ってみろよ。炎とか出してみせろよ」


「いいよ。待っててね」


 彼女はそう快く返事するとテーブルの真ん中にコップを置き、その中に枝木を入れた。


 そしてそれに向かって手を向ける。


 それから数分。その枝木には着火する以前に煙すら出てくる気配はなかった。


「ごめん。今日は調子が悪いみたい」


 彼女はかざした手を降ろし、肩を回した。


 俺はそんな彼女に苛立った。


「いい加減にしろ!」


 思わず大きな声を出す。


 彼女はビクッと肩を震わせて俺を見た。


「お前、本当昔から変わってないな。なんかそういう病気でも持ってるのか?」


 俺は言葉を選ばずそう言った。みのりは小学生時代に俺たちと遊ぶようになって以来、ずっと「魔法」という言葉にとりつかれたようだった。俺たちはそんな彼女に呆れていたが、少し変わった子なんだろうと思っていた。しかし、今になっても魔法がどうとか言っている彼女を見て完全に変人のようにしか思えなかった。


 彼女は俺の怒った顔に怯えた様子だった。


 そして少しして口を開けた。


「変わったのはみんなの方だよ」


 そう言う彼女の眼は真面目だった。


「覚えてる? 私をこの基地に誘ってくれたこと」


 俺は思い出そうとしたが、パッと思い出させなかった。


「私、喋るのが苦手で、何か話そうとしたら吃ってしまうからクラスの皆かによく馬鹿にされて。そんなうまく話せないことにコンプレックスを感じてさらに心を閉ざして。でもかっくんが手を差し伸べてくれた。魔法の世界を教えてくれた」


 彼女の思い出話を聞いて薄っすら思い出した。ただ、魔法なんて言葉は一言も口にしていない。


「私はね。ここでみんなと魔法使って遊んでたときが一番楽しかったんだ。でもみんなは魔法以外にも夢中にできることができたらそっちにいっちゃう。みんな魔法使いだったことを忘れるんだ。そうなっちゃうと、みんな魔法に関する一切の記憶が消えちゃうんだよ」


「俺たちが本当に魔法を使うことができたと言いたいのか? 俺たちはずっとこの森で鬼ごっことかかくれんぼで遊んでたじゃないか」


 俺は言ったがみのりは頭を横に振った。


「それは記憶が改竄されているだけ。私はあのときからずっと魔法使いだったから覚えてる」


「そんなわけ、あるはずがない」


 俺は荒唐無稽な話を真面目に話す彼女の様子を見て、真実のように思えたがにわかに信じがたかった。


 彼女は溜息をもらす。


「いいなみんなは。他にも夢中になれることがあって。私だって魔法使いであることを忘れられる人生を送りたかった」


 みのりは俯いた。俺はその姿を見て同情したくなった。


「お前も一歩踏み出して、他のことに挑戦すればいいじゃないか」


「もうだめなの。私は人生の大半を魔法使いとして生きてきた。もう忘れることは決してない。この先ずっと魔法使いとして過ごしていくんだろうね。みんなと違った道を歩んでね」


 俺と彼女の間に長い沈黙が走った。俺はあまりにも深刻な様子のみのりに対して、何にも言うことができなかった。


 しばらくして、みのりがその沈黙を破る。


「なんか湿っぽい話になっちゃったね。ごめん、結婚式には私は出席しないよ」


「…わかったよ」俺は短くそう言った。


居てもいられずにその場を去ることにした。


「その、元気そうで良かったよ」


「かっくんこそ」


 俺はカーテンを分けて外に出ようとした。


「私、かっくんのことが好きだったよ」


 後ろからみのりの声が聞こえた。


「そっか」


 なんだか聞き覚えがあるフレーズだった。


 俺は彼女の顔を見なかった。





 来た道を歩き進めて、ありもしない過去を思い出そうとする。


―――私、かっくんのことが好きだよ


 そういえば昔、みのりからそう言われたような覚えがある。


 あれはたしか、当時の俺たちより強大な何かに立ち向かおうとしたとき。


 彼女は俺の隣で細い声でそう言った。


 ボッ。


 突如、宙に炎が浮かび上がった。


 俺は小さく声をあげたが、目をこするとそこにあった炎はどこにもなかった。

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