妖艶さの裏側で

道化美言-dokebigen

妖艶さの裏側で

「ハァ~イ♡ 皆さんお待ちかね。舞台を支配するこのアタシ、ヴェレットに。ンフッ。堕ちる準備はできたぁ?」

 数々のパフォーマンスが終わって照明が落ち、真っ暗になったサーカステント。そこへ砂糖をどろどろに煮詰め甘くしたようなアタシの声が響く。

 スポットライトはフープが吊り下がるだけで誰もいないテント中央を照らし、音楽が流れ始めた。

「動き一つ、見落としたら許さへんからね」

 期待と欲望に満たされて、スポットライトの先へ観客たちの視線が集まったとき。一つ息を吸ってわたしが暗がりから姿を現せば、舞台内は一気に熱を持つ。

 今日の衣装は二年ぶりに袖を通すもの。深い紫を基調として、片足だけがハーフパンツのスタイルになっており、黒いハイソックスと薄手のズボンが足を覆う。

 上へ上へと、回転しながら緩やかに持ち上がっていく吊られたフープに腰掛け、笑みを浮かべながら既にアタシへ釘付けになった客を見回す。

 体勢を変え、ぐっと背をのけ反らす。光を受けて紫に色づく、ハーフアップに結った自慢の長い銀髪を中空に揺らし。色っぽいと評判が良いワインレッドの双眸を三日月に細めた。

 百八十度に開脚した状態で回ったり、輪の中へ体を預けてみたり。五分の演目を終え、地に足をつける。円形となっている舞台の中央、その最前に立って胸に手を当てながらお辞儀した。ピエロらしい首元の大きなラフカラーを揺らし、赤い涙のアイペイントが施されている目元でウインクすれば大きな拍手が脳にまで響く。

 今日、アタシに与えられた演目時間は十分。かれこれ二年ぶりに「ピエロ」としての顔を見せるのが許された。

 観客を巻き込んでジャグリングをしたり、かつてはよくやっていたアクロバットを披露してみたり。懐かしい気持ちになっていればあっという間に時間は過ぎた。

 賑やかな音楽が止まり、熱気だけに満たされる。

「ありがと〜! ほな、また後でね」

 円形の舞台を駆け回り、手を振って。最後はスモークに包まれ、余韻を残して舞台裏に戻った。

 

「ふぅ。よし、今日も完璧やったなぁ。うん、大丈夫や。……あっ!」

 舞台裏に戻れば、スタッフ用の服を身につけて小道具を手に走り回る小さな金髪頭を見つけ、笑みがこぼれる。ちょうど道具を運び終わったところらしい。アタシの出番はこれでカーテンコールまで終い。少しちょっかいでもかけようかと近寄り、アタシよりも二十センチほど小さなツインテールを背後から見下ろした。

「カロルちゃ〜ん、今日もちまくて可愛いなあ。ね、アタシのパフォーマンスどうやった?」

「ヴェレット! あーもう、後ろから声かけないでって言ってるでしょ⁈ それにアンタがデカいだけだから! わたし、一六五センチあるから!」

  飲んでいたスポーツドリンクを咽せそうになりながら、アタシよりも少し淡い赤の瞳がキッと鋭い視線を向けてくる。腰に手を当ててキャンキャン吠えるように怒るのはアタシと技術、人気ともに唯一トップ争いで張り合えるキャストのカロル。カロルとアタシは交代で出るため、今日はアタシの番。つまりカロルはキャストのサポートに回る日だ。

「ヴェレット、アンタ今日いつにも増して調子乗ってたでしょ。楽しむのは大事だけど、真剣にやりなさいよね」

「やっとるってばぁ。もー、たまには褒めてくれてもええやん? カロルちゃん。ほんま、いけずやわぁ」

「それが調子に乗ってるって言ってんのよ! カーテンコールまでそんなに時間ないんだから、ちゃんと休んで最後までやり切ってよね!」

「んっふふ、冗談やって。そんな怒らんといてや。可愛い顔が台無しになるで?」

 沸点の低いカロルをからかっていると、流れていた音楽がカーテンコール用の音楽に変わる。

「ん、もう時間やな。ね、カロル。これ終わったら一緒にカフェ行こな? 今日までの限定メニューがあるんよ! ほなら最後行ってくるね〜!」

「はっ⁈ ちょ、あーもう! ヴェレット! アンタいっつも急なのよ!」

 大声で見送ってくれるカロルに笑いが込み上げながら、長くさらさらした髪を靡かせ、首元のラフカラーを揺らし、鼻唄交じりで舞台の上に向かった。

 

「……で? アンタの食べたかったっていうスイーツはこれで全部なわけ?」

「うん! 付き合ぉてくれてありがと〜!」

 貸切り状態の夜のカフェ。広い机にウン十枚と並ぶ、ガラス細工のような煌めくケーキが乗った皿たち。……があったのはもう三十分前のこと。空腹感とあまりの美味しさから、一口サイズのケーキをあっという間に平らげてしまった。

 身支度を整えて会計へ向かい、恐ろしいほどに膨れ上がった金額を今日のためにゲリラパフォーマンスやイベントで貯めたお金で支払う。

「おねーさん、今日もとっててくれてありがと、めっちゃ美味しかった! また来るねー!」

「いいえ〜。こちらこそ、いつもありがとうございます! ヴェレットさん。今度お誘いいただいた公演観に行きますから。楽しみにしていますね」

 通う内にすっかり親しくなった店員のお姉さんとひと言ふた言話してカロルを連れ店を出ようとすると、「忘れていました!」とお姉さんが何か箱を持って駆け寄ってきた。

「これ、よろしければお友達と食べてください! 来月から新メニューとして提供するカップケーキです」

「え〜! ほんまにええん? おねーさんありがとぉ! この子ら食べて明日からの公演も頑張るわぁ!」

 ひんやりとした、可愛らしい薄緑の箱を受け取りどんな中身かを想像して頬が緩む。

 扉を開ければからんからん、と控えめで軽快な音が立ち、カロルと街灯が道を照らす帰路についた。

「はよ食べたいね、絶対美味しいやん? ね、カロルもまだお腹空いとるよね?」

「……ヴェレット、今日どんだけ食べたか分かってるの? 太っても知らないわよ」

「えー! ケチ! カロルちゃんのケチ! アタシは太らへんからええねん!」

 頬を膨らませながら道端に寄って立ち止まり、箱のリボンを解いた。

「わぁ……! え、めっちゃ可愛ない⁈ ホイップたっぷりのに、これはチョコ、こっちはイチゴクリームかな?」

 入っていたのは三つの小さなカップケーキ。白いクリームがたっぷり使われた一つを手に取って口にすれば、プレーンの生地からふんだんに使われたドライフルーツが出てくる。

「ん〜! おいひぃ!」

 半分の大きさになったカップケーキは街灯に照らされ、ホイップの上に散りばめられた銀色の粒、アラザンがきらきらと輝く。見た目も味もアタシ好みのもので、自然と頬と目元が緩み、多幸感のままに顔のパーツが溶け出してしまうんじゃないかとすら考えてしまった。

「ね、なんて言うたらええんかな、甘さと爽やかさがちょうどええっちゅうかさ!」

 本当に頬が落ちないよう顔に片手を添えれば、少し下から、ふっと笑う声が聞こえて天を仰いでいた顔を下に向ける。

「そう、良かったわね」

 目が合えば、包容力を感じさせる落ち着いた笑みをカロルに向けられていて、思わず言葉を失う。舞台に立った後と同じくらい顔に熱が集まるのを感じて、味が感じられなくなってしまったカップケーキをなんとか飲み込んだ。

 そして、ふと今のアタシが抱えている唯一の悩みが脳裏をよぎる。

「っ……。ね、カロル」

「ん? 何よ、急に」

「こうして、友達でいてくれてありがとね」

「……それはアンタの夢の話に関係あるの?」

「せやなぁ」

 目を合わせられなくて俯き、半分になったカップケーキを見つめる。

「ほら、前に言うたやろ? アタシの夢は、母さんみたいな優しいピエロになることやって」

 カロルにだけ打ち明けた夢。アタシは母さんの背を追ってこの世界で努力してきた。最初は路上でのパフォーマンスから始まって、カロルの家のサーカス団に入らないかと誘われて、こうして有名になれて。少し形は違えど、誰かを笑顔にすることはできてる。それでも、アタシはやっぱり憧れた「ピエロ」という存在になりたくて。

「はあ……。アンタ、変なとこで真面目で臆病よね」

「ふふっ、せやなぁ……。怖いんかな。また、一人になるのが」

 ありがたいことに、今所属しているサーカス団にはアタシの私生活まで気にかけてもらっている。恩があるし、今さら裏切るような真似はしたくない。それに、多分。ここを抜ければ、カロルが嫌々アタシに構ってくれることもなくなる、と思う。

 夢は追いたいけど、やっとできた大切なものを失ってまで夢でしかないものを追いかける勇気はアタシには出せなかった。

「バッカじゃないの」

「え?」

「アンタが何を考えてるのか知らないけど、わたしたちを見くびらないでくれる?」

 腕を組んだカロルが顔を覗き込んできて、反射的に後退る。

「わたしと『友達』なんでしょ? ほら、もう一人じゃないわよ。それにわたしのママとパパもアンタを気に入ってるわけだし。他の団員だってそう。いつもみたいにはっきり言えばいいじゃない。『アタシには夢があるんや』って」

 アタシの口調を真似しながら挑発的な笑みを浮かべるカロルに目を見張る。

「友達……ほんまに? 付き合ぉてくれとるだけやないん?」

「わたしがやりたくもないのに友達ごっこするとでも思ってるわけ?」

「ないなぁ、ほな、ほんまに……?」

「しつこい。当たり前でしょ。まっ、アンタが抜ければわたしの仕事が増えるけどね」

 ニヤリと小悪魔のように笑うカロルに胸につかえていたものが薄らいでいく。途端、先ほどのように顔が熱くなった。

「せ、せや! これほんまに美味しいからカロルも食べてみぃ……! ね、あーん!」

「はぁっ⁈ ちょっと! あーもうっ、肩組まないでよね! 重い! 分かったわよ食べるから!」

 大きく開かれた口にカップケーキを差し出せば、親指に少しカロルの唇が触れクリームがつく。

「あ、ごへん」

 もぐもぐと咀嚼しながら軽く謝るカロルを横目に、手についたクリームをぺろりと舐める。

「ンフッ、カロルちゃん背だけやなくて口までちまいなあ」

 いつも通りの笑みを浮かべカロルをからかえば、軽く額にデコピンを食らった。

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