決裂したTの話

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 祝福の鐘を鳴らす教会のチャペル、その大きな扉が此方の手で勢いよく開かれた。外の熱気とともに運ばれたその大きな音に、チャペルの参列者の眼差しが驚愕の色とともにこちらへと向けられる。しかし、その困惑と敬遠を孕んだ視線も此方の足を鈍らせる理由にすらならない。


「イザベラ!」


 此方の伴侶になるはずたった方を脇に侍らせる、白いドレスを纏った金髪で背の高いアクアマリンの瞳をした女、此方と同じ姿をした双子の妹に怒りのまま言葉をぶつける。このチャペルで唯一、嘲りと哀れみの表情を浮かべる妹に、こめかみの青筋が弾けそうなほど脈動するのを感じた。


「アイシャ様、何の故あって」


「だまりゃ!」


 当家の家令が此方へと慌てたように駆け寄るも、それを手に持った扇で殴り倒す。額から血を流して倒れ込む家令の姿に参列者たちのざわめきが大きくなるが、此方の目には妹の姿しか映らない。淑女らしからぬとは自覚しつつ音を立てて大股でイザベラへと歩み寄るが、妹は狡っ辛くもアイザック殿の後ろへと逃れ、彼もまた妹を庇うように前へと進み出た。


 アイザック殿のこの優しい部分に此方も惹かれておったが、このような時はその優しさこそが恨めしい。その後ろで此方を見やるイザベラは顔こそ怯えて見えたが、生まれてこの方共に育ったこの目には、瞳の奥にある愉悦が見て取れた。


「イザベラ、よくも斯様な、この、恥知らずめが」


 アイザック殿の5歩手前で立ち止まり妹を糾弾する言葉を吐こうとするが、怒りのあまり言葉は口まで登らず、右手に握った扇が軋む音を立てるばかりである。その様子を見たイザベラめは取り繕ったとおぼゆ困り顔で此方に話しかけた。


「お姉様、何を然様に憤っておられますの。今は此方達の新たな門出、お姉様にも祝福していただきたく」


 そう言ってアイザック殿の腕に手をかける妹めの姿に虫唾が走る。思わず眉間に皺が寄ると、妹めはおお怖いとわざとらしく怯えおった。此方の奥歯が砕けんとする音が耳の裏で鳴るが、アイザック殿の後ろにいる売女の貌が顎の力を緩めることを許さない。


「アイシャ殿、其方を招いた覚えはない。何用で参られたのか」


「アイザック殿、これは如何なる仕儀でありますか。お前様と結ばれるは此方であったはず」


 アイザック殿の無情な言葉に心が軋む音を聴いたが、堪えて訪ね返す。しかし、アイザック殿は初めて顔見えした頃と同じう冷たい表情のままであった。そして、その空気に違わぬ冷たいお言葉を此方へと浴びせる。


「己とてその腹積もりであったわ。なれど、其方の噂を聞けばその気も失せると言うものよ」


「噂、噂とは如何様にございますか」


「白々しいことを」


 アイザック様はそうおっしゃると、身に覚えのない噂の数々を語り始めた。


「其方は素破者の友が多いと聞く」


「そのような、身に覚えはございません」


「嘘を申すな、お前の姿が壁外のスラムで幾度と見たものがおるわ。被り物から覗いた、その美しき金の髪が仇となったの」


「何を申されますか、然様ななきことで。よもや非人共の与太話を耳に入れたわけでもありますまい」


 まさに寝耳に水の話である。この街の壁外は南に国も知れぬ流民共が、ボロを建てて住み着いているのは知っておったが、然様なもの、目に入れたくもない。代官として壁外に出るにも、北から出るようにしておるほどだ。そもそも、金の髪などこの国で珍しいものでもない。此方達姉妹の如き絹の髪ともなれば別であるが、布からはみ出た程度の僅かな房でそれと判るはずも無かろうに。


「おまけにずいぶんと己を侮ってくれたそうよな」


「あるはずもありませぬ!」


「己との縁組なぞいくらでも変えの効くと申したそうよな」


「誓って然様な、何方の仰せですか」


「言うはずもなかろう。馬の鐙と例えられてはかなわぬわ」


 そのお言葉に、半年ほど前のことが記憶に蘇った。あれは、遠乗りから帰ってのことだ。馬屋でイザベラと顔を合わせ、与太話がてらにこう言った覚えがある。


「アイザック様とも両の鐙のように家を支えねばならぬの」


 とだ。遠乗りから帰ったばかり故に出た言葉であったが、思えば彼方を足蹴にするようにも聞こえ、言いふらさぬようにと妹にきつく言い含めたはずであった。それが故に、下手人は直ちに知れようというもの。


「イザベラ、それが妹の為し様か!」


 衝動的に手の扇を投げつけるが、流石にアイザック殿は武辺の身、容易く弾かれる。売女めは悲しげに取り繕いおって、さも情心をくすぐるようにさえずりおる。


「お姉様、たとえ如何なことであっても、口から出た言葉の重みは等しうございます。口が滑るとおっしゃるなら、そのような心を持つ方がどうして女主人にふさわしいでしょうか」


「ぬけぬけと、言わせておいて!」


「止めよ」


 姉妹の間に入るのはアイザック殿であった。彼方は変わらぬ厳しい面持ちで此方を睨みつけ、売女めの方を抱き寄せおる。


「たとえ事がどうあれ、斯様な噂が立つ者を己が家に迎えることはまかりならぬ。両家の縁組は国の大事ゆえ、ならば妹御を娶るわ」


「アイザック殿、春風の吹く野で此方との情愛へとかけて下さった言祝ぎの、欠片も残ってはおられぬのですか」


 しかし、アイザック殿はそれに何とも答えず、手で合図をする。すると、控えておった兵士共が此方を取り押さえ、この身は抵抗むなしくチャペルの外へと投げ出された。あまりのなさり様に呆然とする後ろで扉の閉まる音が聞こえ、アイザック殿とイザベラめへの言祝ぎの言葉が漏れ聞こえた。


「殺してやる、イザベラ、殺してやるぞ」


 もはやあの売女を家のものとは思わぬ。己が形相の悪鬼のごとく歪むのを自覚しながらも、眼の前に広がる街の荒野の如き色に見えることに少しの寂しさを覚えた。


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 一言:集めた兵士は多分400人。

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