失敗したRの話
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その一矢を避けたのは本当に偶然だった。路地裏から毛玉の絡まった子猫がこちらを覗いているのを見つけて、思わず構ってやろうと腰を捻ったすぐ後ろを聞き慣れた風切り音が通り過ぎていったのだ。遅れて漂ってくる血の香りと群衆の悲鳴が響く前の一瞬の静けさの中、自らの顔が戰場の表情になるのを自覚する。
矢の飛んできた先に視線を移せば、先程まで弓を琴の代わりに弾きながら歌を見せていた、砂漠の踊り子の姿をした少女が、まだしなっている弓を宙に放りつつこちらへと走ってくるのが見えた。彼女のベールに覆われた顔から覗く黒い瞳は先程までの楽しげな形のままだったが、その瞳の奥に冷たいものを感じてとっさに身を屈めて彼女の脇を通り過ぎる。
頭上を通り過ぎる赤い布越しに、彼女の浅黒い肌とは明らかに質の異なる黒い輝きが見え、手をかけていた腰の物の柄を反射的に握り込むと、身をひねる勢いのまま抜き放って少女へと振り抜いた。しかし刃が切り裂いたのは空のみで、彼女の服の端はおろか影すら捉えることはできずに虚しく風の鳴る音が響く。
そのまま左手を引き上げて、引き抜いた厚刃の両刃剣を心臓の盾にするように体の前に構えつつ、切っ先を少女の通り過ぎた先へと向けると、刃越しに少女が踊るように身を翻しながら再びこちらへと駆け出す。その姿が瞬く間に近づいてくるのを眺めながら、目の端で民草達の目が見開かれ、彼らの持つ荷が大地に叩きつけられようとするのを確認して心構えをする。走り寄ってきた少女の右手に握られた黒塗りのカランビットナイフが、構えた剣の刃を撫でると同時、周囲の人々の喉から口々に悲鳴が響き渡り、混乱が巻き起こった。
悲鳴と怒号が剣の腹を叩いたが、それに構う間もなく少女が鉤爪のようなナイフの刃を器用に滑らせてこちらの手元を切り裂かんと迫る。後ろに引いた足から脇腹に力を込めて、彼女を弾き飛ばさんと全身の力で打ち払おうとするが、その回転に合わせるように少女は振り抜いた剣と共に動く。その踊るような動きは彼女の真紅の衣装とよく似合っており、瞬刻楽士たちの演奏する姿を幻視したが、耳に届く鉄の擦れる音がその姿を吹き払う。
この体にまとわりつきつつ手に握った黒い爪で脇腹を掻こうとする少女。とっさに毒を警戒し、少女の懐へと飛び込んで狙いを逸らす。少女の柔らかな肉体の感触が二の腕に伝わるが、更にその奥の心臓を砕く勢いで肘を入れると、少女の口から息を吐き出す音が聞こえた。その勢いのまま少女が飛んでいくが、手応えからして後ろに自ら飛んだのだろう。つま先でステップを踏むように何度かはねた彼女はまるで踊りの一幕であるかのように回転するとこちらに半身を向けピタリと止まる。まるで劇の一幕に入り込んでしまった気分だったが、民草の恐怖の叫びと後ろから香る地の香りに縋り付いて泣く子の声がその感覚を否定していた。
剣をもとの型に構え直し少女の様子をうかがうが、先ほどまでと打って変わって彫像のように動かない。彫像でないとわかるのはただ風が衣を揺らしていることとわずかに胸が上下していることのみであった。柄を握り直す間ばかり彼女と見つめ合っていたが、唯一見える瞳はどこか宙を見ているようで一切の感情が伝わらない。
内息を整えて踏み込もうとした瞬間である。息を整えていたのは彼女も同じだったか、つがえられた弓から放たれた矢の様に飛び退ると、こちらに背を向けて走り始める少女。慌てて構えを解いて彼女を追いかけるが、得物の重さと服の動きやすさのために彼我の差は徐々に開いていく。とっさに露天の店先にあったパパイヤの実を通り過ぎがてら掴んで投げつけると、少女は後ろに目でもついているかのように身を捩らせて避けるが、そこで足が鈍る。その隙を逃がすまいと左手に握ったままだった剣を全身で突き出す。しかし刃は少女の肉体には届かず、剣の下へと仰向けに身体をくぐらせた少女の服の端をわずかに切り裂くにとどまった。
苦し紛れに右足を軸にして刃を左下へと薙ぐが、当然のごとく少女は優雅に身を右へと翻してその身に剣を掠らせもしない。しかしその足は止まり、右腕に左手を添えてカランビットナイフの刃を右にして正面に構える少女。無理な態勢から刃を振った勢いを転がることで相殺しつつ、刃だけは常に少女へと向けながら起き上がる。
「何者か」
剣を構えつつ誰何するが、少女はそれにただ半身になることで答える。右腕を盾にしつつ屈曲した刃先をこちらへと油断なく構える少女と、主の逃げ出した露天の列の間でお互いに間合いを計りながらにらみ合う。と、少女が唐突に一回転し、その手元から何かが飛んでくる。思わずそれに気を取られ目で追うと、彼女の後ろにあった露天に並んでいたぶどうの房であった。意趣返しかとも思ったが、ハッとして少女に意識を戻してみれば彼女の刃の間合いである。
肝臓を狙って振るわれた刃を辛うじて剣の腹で弾くが、少女はその勢いのまま切り抜けると後ろの露天の柱にまとわりついて出し物のように一回りする。その間にその手に芋が握られるのを見てとっさに横へ飛ぶと、先程まで自分の頭があったところをその芋が矢のような速度で飛んでいく。芋の行く先には気を払わず少女の動きを見定めていると、彼女はスピンの勢いのままこちらへと飛ぶように駆けた。その手に握られたカランビットナイフを逆手に持ち替えた左の剣で受け止めながら、右手を引き絞るように振りかぶって彼女の顔めがけて振り抜く。
しかしその手に肉を打つ感触は生じず、少女は左手を軸にして振り抜かれた腕を避けると、その勢いのまま腕に絡みついた。右腕全体に少女の柔らかさと火照った体の熱が伝わるが、それを意識するよりも早く少女は軽業師のように私の体の上を渡ると、私の背中に覆いかぶさる。その態勢のまま首筋めがけて振るわれたナイフを握った手ごと腕で防ぐことで遮るが、少女はその手に握った刃を手放したかと思うと、私の肩越しに左手で握り直し喉仏めがけて突き刺そうとする。
それよりも早く対処しようと、とっさに前に向かって飛び背中を大地に向ける。落ちる衝撃と共に背中越しに鈴のような声が見にくく呻くのが聞こえると同時、刃を防いだ態勢のままでいた右腕を軸に回りながら起き上がると、少女が梅生きながらも立ち上がろうとするのが見えた。それをさせまいと前に飛び、肘を少女の顔へとベール腰に叩き込む。その勢いでベールが外れ、少女の美しい浅黒い顔が顕になった。
肘を叩き込んだ鼻が潰れ鼻血が流れ出していたが、それでもなお美しい少女である。しかしその瞳は闘志を失っておらず、こちらを睨みつけていた。
少女の戦意を完全に挫こうと彼女に馬乗りになり顔めがけて握り込んだ右の拳を何度も叩き込みながら左の剣の握り込みを確かめていると、少女がいつのまにか左手に黒い鉄針を握っていた。その先が怪しく濡れているのに気が付き咄嗟に少女の上から飛び退くと、腎臓があった位置を少女の左手が通り過ぎる。無理に飛び退いた態勢を立て直すと同時、少女も体を起こし、鉄針をこちらへと投げつけてきた。それを剣の腹で薙いで弾きながら半歩下がると、少女が右手に同じ針を持ちながら飛びかかってくる。
剣を薙いだ勢いそのままに小さく回転し、渾身の力で再び振り抜くと少女の体が空中で腰のあたりから不自然に折れ曲がりながら左へと吹き飛んだ。少女の体は裂けた腹から臓物をはみ出させながら葡萄がおいてあった露天へと叩き込まれる。残心を解かないようにしながらゆっくりと壊れた露天へと近付くと、水の流れる音がした。
見れば、虫の息の少女が体を弛緩させ、命の火を潰えさせようとしている。水の流れる音は少女の股の間からしていた。これでは尋問も無理かと眉をしかめていると、いまだ私を睨みつけていた少女が私の解らない言葉で何事かつぶやく。その響きに聞き覚えがあると考えている間に、少女は一筋涙を流すと永遠に動きを止めた。そして少女の懐から転がり落ちた護符の紋章を見て、私はその記憶がどこから来たかを思い出したのである。
それは、十二年前に私たちが焼き払ったオアシスの村に掲げられていた紋章だった。
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一言:たまには何も考えてない奴を書きたくて……。
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