第4話:ほんの少しの空想と(前編):文人
僕の朝は観葉植物の葉を拭いてやることから始まったりする。まだ眠い目をこすりながら伸びをして、ベッドサイドに置いてある眼鏡をかける。階下でパタパタと動き回っている妹の足音を聞きながら、今からとるべき行動についてひとしきり計画を立てる。
僕はもともと朝に強いほうではなかった。ただ故あって妹の千絵美と二人だけで暮らすようになってからは、家の中の様々なことをこなすために早く起きる必要性があったのだ。ま、要するに慣れってやつだ。別に故と言ってもそんな大したことじゃない。父も母も仕事人間で出張が多く、昔から家にいない日が多かった。その関係で母の実家が近いこの街に、だいぶ昔に引っ越してきた。確か、千絵美が小学校にあがる頃だったと思う。その前はもっと都会に住んでいて、いわゆるシッターさんが僕らのご飯を作ってくれてた。父と母の仲は比較的良好で、今でも二人でディナーに行くような関係性。家族4人で過ごすようなことは他の家庭に比べれば少ないけれど、来てくれるシッターさんはどの人もいい人だったし、千絵美もいたし、この街に来てからは祖父母もいたしで、寂しい思いも不便な思いもしたことはない。
学校が変わったのは小学校の一回きりで、それ以降は引っ越しも転校も全くなかった。中高大と、家から通える範囲で済んでしまって、さらに出世にも興味がない。両親は僕たちに関してはよくも悪くも放任主義で、2週に一回くらい通話をしても、進路の話には一切口を挟まなかった。自分の娘や息子が自分たちとは違って出世や競争に興味がなく、バリバリ働くよりも生活を少し豊かにする方が好みと知って、多少の驚きはあったのかもしれないが、だからといって自分たちの考えを押し付けるようなことはただの一回だってしなかった。
そんな両親のおかげでお金に困ることもなく、親に逆らうこともなく、僕たち兄妹はなんやかんや好きなように生きてきた。たぶんあの両親なら、行きたいと言えば私立の大学だろうが海外留学だろうが好きに行かせてくれたのだろう。結局僕も妹も、この街で完結できる範囲で満足してしまったけれど、それはそれで十分じゃないか。
僕は今図書館の司書をしていて、早起きする必要はあまりない。朝が早いのは千絵美の方だ。彼女は今大学生で、近所の花屋でバイトしている。もともと花を育てるのが好きで、家でも花を育てている。その千絵美から選んでもらったサンスベリアが僕の部屋にはおいてある。あまり水やりを必要としない植物で、ずぼらな僕でもなんとか枯らさずに育てられているし、朝起きて、土の乾き具合と葉の色つやを確認して、柔らかい乾いた布で丁寧に埃を
払ってやる作業は、日課にするにはとても気持ちがいいものだと気づいた。世話をするのにもだいぶ慣れたので、もう一つくらい鉢を増やしてもいいかもしれない。また千絵美に相談してみようかな。そんなことを考えていると、階段を上がってくる音がした。
「あやにい、ご飯食べる?」申し訳程度のノックの後で、部屋の扉がわずかに開く。その隙間からちょっとこちらを覗き込んでいた千絵美は、サンスベリアを愛でている僕の姿を見つけると、もっと大きく扉を開けた。
「おはよ、あやにぃまた寝ぐせついてる。ごはんできたから、さっさと食べよ。」
「おはよ、ちえ。もうこのまま降りちゃうから先に行ってて。」
「はぁい。」
千絵美は父さんに似たストレートの黒髪を肩下まで伸ばしてハーフアップに結い、こじんまりとした花モチーフのアクセサリをつけている。それは確か、去年の誕生日に祖母に買ってもらったもののはずだ。千絵美は今どきの大学生でありながら古風なものが好きで、祖母とも趣味が合うらしかった。しかもその古風なアクセサリを、普段のファッションにうまいこと取り入れているからすごいと思う。対しての僕はと言いうと、母さん譲りの薄い茶髪に癖の強い髪。母さんは髪を束ねていたから目立たなかったけど、僕は毎朝しつこい寝ぐせに困ってしまう。そのまま行くとは言ったものの、部屋にあるドレッサーで簡単に髪を撫でつけることにした。
このドレッサーは母さんからのプレゼントだった。高校生にあがるころ、僕のくせ毛を見た母が、身だしなみくらいはちゃんと整えられるようにと一式そろえてくれたものだ。母さんは母さんで、若いころから自分のくせ毛に困っていたらしい。僕は男ではあるけれど、だからこそ身だしなみには気をつけなさいと言っていた。家では寡黙な父さんもこれに関しては黙ってうなずいていた。ちなみに、妹の千絵美にはもっと早くから特注のドレッサーをプレゼントしていた。好みは否定しないまでも、見られることを意識して気を配るのは、ある意味仕事人間の二人らしいと思った。
とはいえ、僕は千絵美ほどファッションには興味がわかず、いつも無難に思える服装ばかり選んでしまう。最近ではさすがに見かねたのか、千絵美が僕に服を選んで買ってくるようになってしまった。千絵美のチョイスは好きだったしありがたいとは思うものの、ほんの少し申し訳ない気持でもある。千絵美いわく、「あやにいは素材がいいのにもったいない。」ということらしい。なんとなく、人間にも素材の良しあしがあるのかと、妙な心持ちになったのを覚えている。
寝ぐせ直しを吹き付けたうえで軽く櫛でとかす。無秩序な寝ぐせがゆるいウェーブに見えるようになったぐらいで櫛を置く。すぐに行くといった手前あまり待たせると悪いと思い、寝起きの服装のままで階下に降りる。僕の部屋は廊下の真ん中、千絵美の部屋と両親の寝室に挟まれている。もっとも、両親の寝室にはほとんどひと気がなく、もはや客室のような状態と化している。家賃は両親からの仕送りと、僕の給料で支払っている。まだ大学生である千絵美の分は勘定に入っていない。千絵美が卒業した後、この家は僕が引き継ぐことになるんだろうか。千絵美がどうしたいのかを聞いておかないといけないな、と毎回思う。いい家ではある。それなりに思い入れもある。しかし千絵美ももう20歳だし、二人とも成人してしまった後でも一緒に暮らすのはそれはそれでどうなんだろうという気がしないでもない。
「やっと来た。また考え事でもしてたんでしょ。」千絵美がコーヒーを片手に持ちながら待っていた。
「おにいブラック?」
「うん。」
「ん。」
聞いているというよりはただの確認だ。好みは決まっているのだから、大した意味合いはいつもない。
「ありがと。」手渡されたマグカップを受け取る。
「私はミルク~。」と歌いながら、千絵美は豆乳を3分の1程度カップに注いだ。
今日の朝食は千恵美の担当だった。軽く焼いたトーストとベーコンエッグが今日のメニューだ。トーストには各自で好きなものをトッピングする。僕はピーナッツバターで、千絵美はその日の気分のジャムを塗る。今日は自分で取り寄せたりんごのジャムを塗っているようだ。
料理を含めた家事は基本当番制で、土曜日の朝食は千恵美の担当だった。とはいえ、お互いの気分や用事で入れ替わったりもするし、そこまで厳しいものでもない。ただ、千絵美が高校生になってからは祖母と一緒にお菓子作りをするようになって料理の楽しさを覚えたらしく、料理に関しては千絵美の日数が多くなりがちになっている。千絵美が大学生になってからお昼は各自ということにしてはいるが、一人分を作るよりは二人分を作る方が楽で、朝食を作るついでに二人分のお弁当を作ったり、お互いが家にいる日なんかは作った分を二人で分け合うこともある。
今日は土曜日なので僕も千絵美も休みだった。夜は祖父母とのディナーの予定がある以外は、特にこれといってすることがない。それでも家にいるのは暇なので、こういう時は図書館に行く。お昼も、その近辺のカフェでとるのが最近のお気に入りだ。
「僕は今日図書館に行くけど、ちえは?」
「私は今日は友達と映画。ちょうどずっと見たかったやつがやってるから。ついでにコラボカフェでスイーツを食べて、レポート用の本を借りたいから大学の図書館に寄ろうかなと。夜はおばあちゃんたちとの待ち合わせがあるから、それに合わせて合流する予定。」
「おっけー。」
「おにいは友達とは遊ばないの?」
「うっ。あ、でも最近はいつもカフェで会う人がいて。」
「え、どんな?」
「えっと、スーツ着た、女の人。」
「なんでまた。」
「なんだったかな。前に図書館で資料探しを手伝ったときに知り合って、それ以来意気投合して話すようになったから。でも別に待ち合わせとかしてるわけじゃなくて、ほんとに行き会ったら話す程度っていうか。」
「なるほど、それで最近はおしゃれして外出してるんだ。いいことだね。」千絵美はすでに朝食を食べ終わっていて、豆乳を入れたコーヒーをゆっくりと味わっていた。
「うまくいくといいねぇ。」千絵美は少し茶化すように微笑みながら、食器をかたづけに立ち上がる。
「あ、それ、僕がまとめて片づけとくよ。」
「そう?ありがと。じゃあ、私はそろそろ出かけようかな。」
そういうと千絵美はキッチンに食器を置いて歯を磨きに行った。僕はゆっくりとブラックコーヒーを飲み干して食器を洗うために席を立つ。食器を洗うのは嫌いじゃないけど食洗器も買ってみたら楽なのかな、なんて思いながら食器を洗って水切りに並べていると、身だしなみの最終チェックを終えた千絵美が顔を出した。
「それじゃあおにい、行ってきます。」
「うん、行ってらっしゃい。」
まだ8:00か、今のうちに洗濯物をまわしちゃおう。今日の天気予報を確認すると晴れだった。出かける前に服を干していっても大丈夫そうだぞ!とうきうきしながら家事をこなす。なんとなく、今日はいつもより素敵なことが起きそうな気がした。
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