第2話:ツツジ咲く庭で(中編):朝陽

「皆瀬村の資料なら、これとこれは欠かせないね。」

 文人あやとさんはニコニコと笑いながらいくつかの資料を楽しそうに見繕ってきた。さすがというべきか、司書なだけあって書架の配置や書物の位置までしっかり覚えてしまっているようだ。

「それじゃあ、向こうに座ろうか。」

 この図書館には各エリアごとに、テーブルと椅子を置いた資料閲覧用のスペースが設けられている。当然、今いるエリアにもあって、そのうち一つのテーブルを文人さんは指さした。向かい合わせに2つずつ、計4つの椅子がある。文人あやとさんは椅子には全く見向きもせずに、るんるんと資料をテーブルに広げて見せた。

 僕は文人さんの横から資料を覗き込む。テーブルには、各地の伝承を編纂へんさんした資料、皆瀬村含む周辺地域の成り立ちや改定前の古い地図など、この辺りの風土を知るには十分な量の資料が並べられている。思い立って図書館にやってきた僕には詳しい目的があるわけじゃなかったのだけれど、この際なのでとことん調べてみることにした。

「それで、朝陽君は龍神伝説に興味があるんだっけ?」

「あ、いや、なんというか、龍っているのかなって唐突に思って。」

「なにか、きっかけでもあったのかい?」

「えっと、そういうわけじゃ、ないんですけど。皆瀬村の龍は外から来たって。元からいるものじゃないのに神として崇められてるの、珍しくないですか。」

「どうなのかな、僕もほかの事例にはあまり詳しくないんだけど。日本にも龍の伝承は数多くあってそこまで珍しいものじゃないとは思うんだ。ただ確かに、皆瀬村の外つ国の龍に関しては、それがなにかの暗喩だとしてもわざわざ外から来たって表現する理由がわからない。小さな内陸の村なのに、外の国に対しての知識がもとからあったとは思えないんだ。だからそういう表現をするからには、やっぱり何か特別な事情があったんじゃないかと思うんだ。」

「例えば?」

「例えば、そうだな。ろくに雨も降らない水資源の乏しい土地に、豊富な水をもたらすだけの何かだ。」

「天変地異、みたいな?」

「ふふ。天変地異。そこまで大げさなものだったかはわからないけど。たまたま気候変動の激しい時で、まれにみる大雨が降った。そのタイミングで外から訪れた何者かの存在があれば、あるいはそれを龍と呼んだかもしれない。そういうことさ。」

「あぁ、なぜか東北にキリストの墓があるみたいなことかな。」

「あはは!キリストの墓。確かに、そんなのがあったね。天狗というのが赤ら顔で鼻の高い白人を指したものだったとか、諸説はあるが。まぁ推測可能なのはそんなところだろう。本当は、そういう外からの来訪者にまつわる記録や伝聞でもあればもっとわかりやすいんだけど。そういうのはさすがに皆瀬村の中でないと見つけられないんじゃないかな。」

「そうなのかな。」

 僕は、数日前のまなぶさんとの会話を思い出していた。僕が見たのは日本人には見えない容姿の人の姿で、龍の姿は見ていない。もしかしたら、過去に海の向こうから流れ着いた者たちの子孫という可能性だってあるかもしれない。いや、むしろそっちのほうが自然では。なんて考えていると、文人さんが僕の顔を覗き込んで言った。

「ふむ、何か考え込んでいる顔だね。眉間にしわが寄ってるよ。」

「おっと。」

「もしかして、何か思い当たることでもあったのかい?」

 文人あやとさんは鋭かった。いや、僕がわかりやすすぎるだけかもしれないけど。ただ文人あやとさんがいくらいい人なんだとしても、僕が龍に会ったかもしれないということは安易に打ち明けていいことではないだろう。管理人のまなぶさんだって内密にと言っていた。

「いや、裏山の管理人さんだったら何か知ってるんじゃないかと思って。ほら、伝承の中心になっている水戸上山みとかみやまの管理人さんならさ。」

「なるほど。僕はそっちの人間じゃないから知らなかったけど、あの山には管理人がいるのか。確かに、その人なら詳しい話も知っていそうだ。例えば、図書館に保管されている資料には書かれていないこととかね。やはり僕も行ってみるべきかな。」

 あ、と思った。ごまかすのに失敗したかもしれない。とはいえ、あの神さまは誰の前にでも姿を現すわけではなさそうだったし、この程度なら大丈夫なのではないか。もし仮に文人あやとさんが神さまと遭遇したとして、それが神さま自身の思し召しならもう仕方がないではないか。むしろそうであって欲しいと思ってしまった。文人あやとさんは想像以上に行動力がある人だからきっとあの裏山にも行くだろうし、管理人のまなぶさんにも龍について尋ねるだろう。けどそれはもう僕の関与できない部分だと思いたいし、そもそも学さんならきっとうまく対応してくれるだろう。

 そんな僕のちょっとした焦りには気が付かなかったのか、文人あやとさんは広げた資料をまとめつつ腕時計を確認していた。

「そろそろ時間だ。この資料は片づけておくから、また今度ね。あ、そうだ。連絡先を交換しよう。」

 てきぱきと資料をまとめた後で、文人あやとさんと僕は連絡先を好感した。誰もがやっているチャット式のSNSだ。僕自身は業務連絡みたいな使い方しかしたことがないけど、友達との雑談に使う人もいるだろうそれで、文人あやとさんのトークルームを開き、ウサギがお辞儀しているスタンプを送信する。連絡先を交換した後によくやるやつだと思っているけど、連絡先を交換したからと言って必ずしもやり取りする相手ばかりではない。意味はあるだろうと思いつつも、利用頻度が少なすぎて特に意味のない儀式のようなものに思えてしまう。

「なんかあったらいつでも連絡してね。まぁ僕としては、なくても連絡してくれたらうれしいんだけど。」そう言って文人あやとさんはにこりと微笑みながら、資料を抱えてまた仕事へと戻っていった。僕は手を振って文人あやとさんを見送る。まだ早い時間だけど、とりあえず今日は帰ろうか。

 と思ったものの、結局僕はまた30分くらい書架の間をうろついていた。休学中の身で、家にいても特にすることがない。要するに暇なのだ。バイトでも始めたらとは思うものの、田舎だとバイトする場所も多くないし、短期では雇ってもらいづらい。一応、復学する意思はある。半年後か、1年後か。でもその間何もしないのも気が引ける。そういうわけで、久しぶりにゆっくり本を読もうと思ったのだ。もともと僕は本の虫と呼ばれるくらい本が好きで、四六時中読み漁っていた人間だ。高校に入ってからは準進学校だったせいか課題が多く、受験も早い段階から意識していたのもあってなかなか読書に時間をさけなかった。それでも長い通学時間は読書のための有意義な時間で、多くはないながらもそれによって心を癒す時間が持てていた。

 それが、大学に入ってからはさらに時間が取れなくなった。大学生は遊んでばかりとは誰が言ったものか。1日に4つか5つの講義があり、テストや課題が毎週のようにあるから復習の時間も取らないといけない。上京組で実家からの手厚い支援が受けられる学生は多くはないし、僕も例外ではなかったからバイトをしていた。僕はまだ、学費や家賃なんかは親が出してくれていたので助かっていたけれど、人によってはそれすら自分で用意しなければならない場合もある。とはいえ食費などの生活費と、教科書などの学用品を買うためのお金は自分で稼がねばならないにもかかわらず、バイトをするには必須単位が多くて時間がほとんど作れなかった。そのせいで食費を削っていたから、大学ではいつもお腹が空いていてつらかった。友達も作れなかったし遊びにも行けなかった。たぶんそういうことの積み重なりで、僕は動けなくなってしまったんだろうと思う。

 せっかくゆっくりできるのだから。そう思って小説を何冊か借りた。読みたかったけど読めていなかったものばかり。心の中には現実逃避をいとうようなわだかまりがずっと渦巻いているけれど、本を読んでいる間は忘れられるのではないかというわずかな期待もあった。どうやら僕は、文人あやとさんにあったことがきっかけで、かなり浮かれているらしかった。

 久々の遠出で疲れた僕は、帰りはおとなしくバスに乗って駅まで向かった。そこから先もやっぱり長くて、電車のボックス席の窓際に座って窓枠に頭を持たせかけていたら、何度かうっかり寝そうになってしまった。そのたびに、友達が寝過ごして終点まで乗って行ってしまったことを思い出す。毎回僕が下りる駅で起こしていて、あと一駅待つだけなのにまた眠ってしまうと悪びれるでもなく言っていた。僕はそこまで豪胆にはなれない。だから寝過ごしてしまわないようにいつも必死で起きていた。

 家からの最寄り駅に着いたころにはもう夕方だった。駅は無人駅で改札すらない。だから電車を降りるときにわざわざ先頭車両まで行って車掌さんに切手を渡なくちゃいけない。高校生の通学時には定期券を見せていたけど、なんだかいかにも田舎っぽくて急に懐かしさが襲ってきた。ちなみに行きの時は降りてから改札横の小部屋で駅員さんに支払をする。定期だったら改札を通る。

 そんな感じで電車を降りて待合室としての小さな小屋に一車両分しかない狭いホームを眺めていると、遠くのほうで何かが舞ったのが目に入った。トンビだろうか。そういえばこの待合室は今でこそ完全に無人だけれど、僕が高校に入学したばかりの頃にはこの駅にも管理人さんがいて、受付があって、切符の売買も行っていたらしい形跡があったのだ。そのときはものすごく古い小屋みたいな建物で、おじいさんとおばあさんが掃除や受付をしているのを僕は見ていた。切符は売っていなかったけれど、もっと昔には売っていたのかもしれないと思っていた。でももうだいぶご高齢のようだったから、管理が難しくなってしまったのだろう。今僕が見ているのは新しく建て替えられた駅舎で、皆瀬村のシンボルマークがついたこざっぱりとしてかわいらしくも見える建物である。もはや待合室程度の機能しか持ち合わせていないが、それでもないよりはましなのだろう。

 そうして僕はホームを降りて、家に向かって歩き出す。ホームの横には木の柵が建てられているのだけど、だいたい人ひとりが通り抜けられる程度のスペースがあって、そこを通れば駅舎を潜り抜けなくてもホームを降りることができる。電車を降りてからものんびりとしていたせいで、だいぶ日が傾いてしまっていた。まだ昼が長いからと油断していたかもしれない。

 僕はしばらく誰もいない道をのんびりと歩いていた。さっきから何かが頭上を飛んでいる。その気配は感じるものの、頭上を見上げても影しか見えない。かなり高いところを飛んでいるのだろうか。

 そうこうしてようやく家が見えてきた。僕の家はかなり駅に近いほうだ。それでも前より遠く感じる。車庫に車が止まっていないから、父さんも母さんもまだ帰ってきていないらしいことが分かった。もうそろそろ帰ってくるのか。あるいは今日は遅くなるのかもしれない。

玄関までやってくると、不思議なものが目についた。いや、それ自体はあまり不思議ではないのだけど、そこにあるのが不思議というか。白いツツジだ。玄関前に、白いツツジが置いてある。不思議に思って拾い上げると、その陰にもう一つ何かがあることに気が付いた。それは緑色の光沢をもった黒い楕円形の物体だった。つるつるとして硬く、薄っぺらく磨かれた石のような感触だ。手のひらサイズではあるがまぁまぁ大きい。なんでこんなものが、と思った矢先にピンときた。もしかしてこれは、鱗なのでは。はっと思って上を見上げると、ゆっくりと旋回する何かが見えた。あれは鳥ではない。あたりはすっかり薄暗く、うすぼんやりとした影だけが頭上に見える。それはしばらく旋回を繰り返したあとでゆっくりと裏山のほうへと飛んで行った。

 これはおそらくお誘いだ。誘われたのだ。あの神さまに。わざわざ裏山で咲いているツツジの花と自分の鱗を手土産にして。僕はふぅとため息をつくと、玄関扉を開けて中に入った。この白いツツジと黒い鱗は、自分の部屋にでも飾っておこう。加工してお守りにするのもいいかもしれない。何はともかく、明日は裏山へ行かないと。そう思いながら僕は、今日借りてきた本を開き、紙を敷いてツツジを挟んだ。

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