裏山の神さま
Nova
プロローグ:出会いの日
僕らの村にはとある伝承がある。外つ国から舞い降りた龍神にまつわる伝承だ。昔から事あるごとに聞かされて忘れようにも忘れられないこの話は、こういう古くて小さい村にはよくある類の昔話だと思っていた。
春の終わりのよく晴れた日の昼下がり。いろいろあって大学を休学し、実家に帰ってきたものの、さすがに暇を持て余した僕は、小さいころによく遊んでいた裏山の方へと足を運んでみることにした。小学生の頃はよく何人かの友達と遊びに来ていたけれど、大きくなるにつれてすっかり足を運ばなくなってしまった。
それでも村で定期的に手入れをしている山なので歩きづらいということはない。山の入り口からは参道が伸びていて、伝承の龍を祭っている社へと辿り着くことができる。参道は暗すぎず程よく日が差していて、少し長いが散歩をするにはちょうどいいくらいの長さだった。
その日は少し気温が高くて、ほんのり汗をかきながら社へと辿り着いた。軽くあたりを見回してみたものの、管理人の姿は見当たらない。たまたま誰もいない時間帯に来てしまったようだ。まぁいいか、と思いながら社の右手側へと向かう。そっちの方には昔よく遊び場にしていた小川があって水気を含んだ心地よい風にあたることができた。
ふと対岸を見ると、この辺りではあまり見ない格好の人影が、川辺に座っているのが見えた。新しい管理人さんだろうか。だったら挨拶しないといけないと思い、声をかけようと一歩前に踏み出す。すると、さっきまで下を向いて足を水に浸していた人物が急に顔を上げて僕の方に目を向けた。
目が合ってしまった僕は思わず息をのんで黙り込んでしまった。引きずりそうなほど長い金色の髪、ターコイズブルーの半透明の瞳、驚いたようにこちらを見つめていたその人物は、はっと我に返ったように身をひるがえして森の奥へと消えてしまった。
ひとまず社の方へと戻ると、参道を上がってきた人物と鉢合わせになった。
「驚いた、いつぶりですかね、珍しい。狐につままれたような顔をして、どうしたんです?」
目の前にいたのは管理人の息子さん、瀬尾学さんだった。少なくとも10は年上であまり村にはいなかった人なので、関わりはそんなに多くない。むしろ僕を覚えていたのが不思議なくらいだ。
どう答えたものかと迷っていると、「ちょうどよかった、今日は久しぶりに街へ出たのでおいしいお茶菓子があるんですよ。こちらで少し、お茶でも飲みながら食べていきませんか。」と言いながら、同じ敷地内に立っている代々の管理人の家を指さした。
「それとも、やはり若い方のお口には合いませんかね。」とにこやかに笑いながら、手提げの中から饅頭と羊羹を取り出して見せた。
このまま帰る気にもなれなかった僕は、名残惜しい気持ちを消化するつもりで、学さんの厚意に甘えておくことにした。
僕はお茶とお菓子をいただきながら、さっきの出来事と例の人物について尋ねてみた。
「ほう、そのようなことが。」
「何か、知ってます?」
「ふむ、そのお方についてなら知っていますが、どうしましょうかね。」
「言えないようなことですか?」
「そうですね、あまり大っぴらにできるようなことではありません。ですが、会ってしまったのなら仕方がありませんね。もし一つお約束いただけるなら、そのお方について少しだけ教えて差し上げましょう。」
「約束、どんな?」
「そうですね、簡単、とは言えないかもしれませんが、あのお方のことは秘密にしておいて欲しいのです。」
「え。」
「もちろん、知っている人は知っています。ですが大やけにしたくないのも事実ですし、積極的には公言しないようにしていただきたいのです。」
「あ、そういうことか。なら、秘密にします。」
「ありがとうございます。ではお伝えしましょうかね。」
そういって学さんは、僕が川辺で見たあの人について、かいつまんで説明してくれた。
すなわち、あれが龍神であると。僕は驚いて何も言えなくなってしまった。言いふらすどころか、誰にも信じてもらえないだろう。それに、もしあの人が現存する龍であるなら、当然大っぴらになどできそうもない。
「でも、人の姿でしたけど。」
「はい、そうですね。」
「なぜです?」
「龍の姿だと不都合が多いからです。こちらから頼みこんで、普段は人の姿に変化してもらっています。」
「いつから?」
「伝承の初めからです。」
「学さんはいつ知ったんです?」
「管理人のお役目を引き継いでからです。普段は山奥の洞穴に居を構えていらっしゃいます。このお社は、あのお方を祭るとともに、その洞穴から人目を逸らすために建ててあるそうです。」
「居ついちゃったんだ。」
「居ついてしまわれたようですね。」学さんはにこにこと笑いながらお茶をすすった。
ついでに、今の管理人は学さんで、前の管理人だった瀬尾さん(学さんのお父さん)は引退して、今は村に家を借りて暮らしていると聞いた。お役御免になったので悠々自適にくらしたいんだとか。
瀬尾さんにはかなりお世話になったので、らしい話だと思わず笑ってしまった。
「気を付けて帰りなさい。」しばらく世間話をしながらお茶とお菓子を味わったのち、もういい時間だったのでお礼を言って帰ることにした。もうすぐ日暮れだ。暗くなる前に山を下りた方がいいだろう。そうして参道を下ろうとすると、急に頭の上から何かが降ってきた。
驚きつつとっさに振ってきたものをつかみ取る。白いつつじだった。代々の管理人さんが敷地内で育てている白いつつじ。上を見ると、木の枝に座った龍神さまが僕を見下ろしていることに気づいた。
「えっと。」訳も分からず立ち止まっていると、管理人さんの声がした。
「理央さま、いかがなさいましたか。」
理央と呼ばれたその人は、何も言わずに僕の方を見つめている。
「あぁ、あなたに興味を持たれたようですね。先ほどのは軽いいたずらのつもりだそうです。」学さんは僕の方を見てそう言った。
「はぁ、どうも?」
「理央さま、彼は人の子なのでもう帰らなければなりません。また後日、遊びに来てもらいましょうか。」
理央さまはほんのわずかにうなずくとまたつつじを降らせて消えてしまった。何が何だかよくわからなくて学さんの方を見やる。
「まぁ、また暇になったらいらっしゃい。少々いたずら好きなお方ではありますが、悪いようにはならないでしょう。」そういって学さんは、またにこにこと僕を送り返した。
僕は、正直なところ混乱していた。ほんの少し暇をつぶしに来ただけだったのに、全く予想もしていないことになってしまった。
ぼーっとしたまま家に帰ると、母さんがもうすでに家にいてせっせと夕ご飯の支度をしていた。
「朝陽、どうしたの?狐にでもつままれたような顔をして。」玄関に突っ立ている僕に気づいた母さんが、怪訝な顔をして僕の前に立っている。
「あ、何でもない。ちょっと山の方に行って、久々だったから少し疲れたんだ。」
「あら、そうなの?」とっさのごまかしでも何とも思わなかったのか、それともいつものことだと割り切ったのか、母さんはまたせかせかとキッチンの方に戻っていった。
「ちょっと、早く手を洗ってらっしゃい!」
ハッと我に返って、僕は急いでいうとおりにした。少しとはいえ汗をかいてべたついた服を着替えて、夕飯の支度にとりかかる。母さんの作業を手伝いながら、何とはなしに今日の出来事を思い返していると、もしかしたら夢だったのではという気がしてくる。
いや、外から帰ってきたのは確かなので、夢ではないのだろうけどいまいち信じがたい。そうこうしているうちに父さんも仕事から帰ってきた。
父さんは街の方で会社員をしているからか昔から帰りが遅かった。それでも今日は、いつもより早く帰ってきたみたいだ。
「ただいま、おや、夕飯の準備中か。」
「そうよ、今日は少し始めるのが遅くてね、まだ何もできてないんだけど。」
「それじゃあ、俺も少し手伝うか。」
「何なの?急に。」
「おいしいお酒をもらったんだ、早く飯にして一緒に飲みたいだろう?」もちろんお前もな、と父さんは俺に目配せしてきた。
父さんはなんだか楽しそうだし、母さんもまんざらでもないのだろう。こんなに和やかな食卓が今までにあっただろうか。これはもしかしたら、あの神さまの影響かもしれない。なんて、少し落ち着かない気持ちで考えていた。
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