わがまま王子と親衛隊

田花 喜佐一

プロローグ

 十五歳の誕生日を迎え、ダヴィディアートはカーマ王国の女王その人から重要な役目を与えられた。この王都の防衛結界に魔力をつぎ込む任だ。

 時刻は深夜に近い。人目を忍ぶ服装に着替え、乗り慣れていない簡素な馬車と、初めて行く場所のせいで緊張している。

「殿下の親衛隊員をもうひとり増やそうと思うのですが」

 同乗していた親衛隊長のヴァリアンテがつぶやいた。カルマヴィア王家の親衛隊を統括する男は、女王である祖母よりも年上らしい。だが、ダークエルフの血が入っているせいで、どうみても二十代の優男にしか思えなかった。ただ、その肩書きが贔屓からのお飾りでないことを嫌というほど知っている。

 普段の華美な親衛隊服とは違って、彼も質素すぎる服装だ。これから訪れる場所は中心街から離れた下町なので、相応の変装は大事なことらしい。

「兄上を差し置いて俺が四人目をつけるというのは、どうかと思うぞ」

「オズワルドはそろそろ引退を考える頃なので、後進を育てたいんですよ」

 現在ダヴィディアートを守るための親衛隊員は三人だが、未成年王族につけるには少し多いともいえる。確かにオズワルドは年齢的に老齢にさしかかっているが、護身術の師でもあるし、どうみても引退するような老いはみられない。

「……レオナードとピオニエラがいれば充分だろう」

 言い淀んでしまうのは、彼らが親衛隊員としては少し特殊だからだ。

 レオナードは三児の父で、ピオニエラは二児の母だった。専属の親衛隊員が既婚者で子供がいるのは少し珍しい。だが、ダヴィディアートの役目を考えると危険度も高くはなさそうなので、子持ちの騎士を配属させるには適任だろう。

 彼らがついたのはこの数年のことだが、我が子を顧みず充分尽くしてくれている。守られる側の王族としては、親衛隊員の事情を優先させているようで思うところがないでもないが、文句をつけるつもりはない。親衛隊員の役目と覚悟を知っていたとして、命をかけさせたいとは思っていなかった。

「そのご様子では色々とご理解されているようですが、もう少し欲をかいてもいいんですよ」

「厳格な祖母に、親よりうるさいレオナとピオニーがいて、さらに俺を檻の中に入れたいのか」

「おや、そんなふうにお思いでしたか。ふたりが泣きますよ」

「告げ口なら好きに言えばいい。隠してはいない」

 思春期かな、なんて楽しそうに囁くヴァリアンテに、ダヴィディアートは鼻を鳴らした。飲酒年齢にも届かず、成人まではあと数年、十五歳というのは子供扱いもされるし、大人の振る舞いも求められる。面倒だ。

「もう少し殿下に近い者がいてもいいと思うんですけどね」

「お前がそう思うなら、好きにすればいい」

「拗ねないでくださいよ。騎士はそういうものではない」

「そもそも、専任を持っていない親衛隊員に余りはいないだろう。剣位持ちがそう簡単に膝を折りたがるものか」

 親衛隊は騎士の中の騎士だ。国家に尽くす軍人とは違い、ただひとりを主と選んで自ら膝を折るという。隣に座るヴァリアンテは女王がまだ王太子だった頃に、生涯尽くすと確信したと語っていた。

「そこなんですよねぇ。剣位持ちは別に数が少ないというわけじゃないんですが、あまり師団から引き抜きすぎると恨みを買うし……。まあ、献身と忠誠心が大事なので、剣位自体はそこまで重要ではありません。盾になれる度胸があるなら充分役に立つ」

「消耗品のように言うな」

「おや、そこで怒ってくださいますか。安心いたしました」

 嫌な男だなと、ダヴィディアートはヴァリアンテをねめつけた。親衛隊長はカルマヴィア家の王族に愛を持って接しているが、甘いだけではない。時折こうやって子供を試す。

 ダヴィディアートが溜め息をついたとき、馬車が止まった。ろくでもない雑談のせいで、すっかり緊張が抜けている。これもヴァリアンテの策なら、齢十五のダヴィディアートが太刀打ちできるはずもない。

「では、行きましょう。少し歩きます」

 フードは被ったままでと指示され、大人しく従う。馬車を降りてまず感じたものは臭いだ。上下水道がしっかり整備されているので糞尿の異臭はないが、生きて生活をしていると感じさせる臭いがする。嗅ぎ慣れていないから鼻に皺が寄ってしまうけれど、嫌だとは感じない。彼らの生活の上に、王族の暮らしが成り立っているのだ。

「こちらです」

 先導は黒髪で大柄なレオナードだ。年季が入った質素な装備は、例えるなら商人が雇う下級の護衛というところか。御者に言付けした彼はずんずんと路地を進んでいく。真ん中に挟まれる形でダヴィディアートが続き、しんがりがヴァリアンテだ。

 壁に落書きはないし、落ちているゴミも少ない。王都の外れもいい地区だが、治安が悪くないなら何よりだ。そんなことをぼんやり感じながら、ここからでは月も見えないのかと、天を仰いだ。曇天だった。

 その時だ。ピリ、と感じた魔の気配に身構える。腕を取られてヴァリアンテに壁に押しつけられた。分厚い空気の壁のような防御結界は、詠唱もなく一瞬で組み立てられたものだ。その速度と精度に感心していると、物理的な盾として前面に出たレオナードの向こうで、ひとりの剣士が駆ける姿が目に入った。

 まるで風のようだ。鋼の一閃に魅せられる。瞬きをふたつするあいだに何もかも終わっていて、それが惜しいとすら感じてしまった。

 レオナードが退けると視界が開けた。剣士の青年は気絶して床に転がる男を縛り上げているところだった。ずいぶん手際がいい。

「……この辺りの治安はいいんじゃなかったのか」

「そのはずなんですが、さすがに全戸調査なんてしてませんからね。赤狼師団に伝えておきましょう」

 親衛隊は治安維持が業務ではないので、ヴァリアンテに責任はない。縛られた男が何を目的としていたのかは謎だが、少なくともダヴィディアートは五体満足で、これからの役目を行うことに支障もない。

「隊長。大丈夫だ」

 レオナードが顎をしゃくると、ヴァリアンテが結界を解除した。ダヴィディアートは少し離れた場所にいる剣士から目が離せなかった。その剣士もこちらをじっと見つめている。

「殿下?」

「彼をこちらに」

 ほとんど反射的に命令してしまった。普段なら見ず知らずの相手を側に寄せることは許されないだろうが、ヴァリアンテもレオナードも邪魔をせず、ダヴィディアートの求めに応じた。

 彼はヴァリアンテの外見と同じような年頃に感じた。カーマ人男性らしい長身だが、レオナードのように大柄ではない。優美でしなやかな骨格。衣服はあまりに簡素だが、腰に佩いた剣だけは一級品を超えている。足運びは剣士のそれだった。

 何より目を奪われるのがそのかんばせだ。赤銅色の艶やかな髪は柔らかそうで、黄味の強い銅色の瞳には確かな意志が込められている。王族の美貌も翳るような、あまりに美しい青年だった。

 紅潮した頬でこぼれ落ちそうに瞳を見開いて、彼はダヴィディアートを見つめていた。それから、我に返ったというより、縋りつくようなぎこちなさで片膝を突いた。顔を伏せてしまったのが惜しい。どうしてだと眉をひそめたが、己の身分を忘れていた。彼は目の前の相手が何者かを知っているのだ。嬉しいような、悔しいような、なんだか複雑な気持ちになった。

「名を」

 ヴァリアンテがダヴィディアートの代わりに短く告げた。

「ニーヴェナル・サリカと申します。赤狼マルコ師団所属、王城の近衛です」

「顔を上げろ」

 ダヴィディアートが震えそうになる声で囁くと、ニーヴェナルは感極まったとでもいわんばかりの表情で面を上げた。そんな瞳で見上げてくる者など、初めてだ。これが欲しくてたまらないと、体の芯が燃えるような衝動に突き動かされる。

「……近衛兵が、なぜここに?」

「近くに生家があるのです。父の夜食を届けた帰りに不審な男をみかけたので後をつけました。余計な手出しかとは思いましたが、見て見ぬ振りはできませんでした」

「助力に礼を」

「もったいないお言葉です」

 はにかんだ笑みから視線が外せなかった。手を差し出して触れることを許してしまいそうになる。そんな呆けた状態を遮ったのはヴァリアンテだった。

「サリカ、ここで出会ったことは他言無用だ」

「心得ております」

「レオナード、あとは任せるよ」

「了解」

 短く指示を残した親衛隊長に背中を押され、ダヴィディアートはその場を離れることになった。後ろ髪を引かれてちらりと振り返ると、ニーヴェナルの銅色の瞳と視線が絡んだ。ずっと見つめられていたのだ。恥ずかしくなって、慌てて前を向いて足を動かした。

 目的地はすぐ近くだった。苔むした石造りの小さな倉庫にみえる。扉に鍵穴はないが、ヴァリアンテが解錠の魔具を持っていた。素早く中に入ると、光球がふわりと足下を照らした。

 防衛結界の要石は地下に設置されている。わずかに黴臭い冷えた空気を吸い込んで、ダヴィディアートは下腹に力を入れた。覚悟はとうに決めた。

「ヴァリアンテ」

「はい、殿下」

「なぜお前が前に出なかった?」

「殿下をお守りするのが第一義だからですよ」

「剣聖に次ぐお前なら、防御結界を敷くと同時に賊に切りつけるくらいできるだろう」

 ダヴィディアートが指摘すると、親衛隊長は吐息に笑みを忍ばせる。そういうことがわかるようになったんですね、なんて子供を褒めるような言い方をされて、わずかに苛立った。実年齢が祖父と同じくらいの男に反発しても勝てるはずがない。だが、反感は伝わったのだろう。

「あれは剣位持ちです。こちらが動くより、サリカの方が早かった。捕縛を任せた方が騒ぎになりません」

 なるほど、どうりで美しい剣を腰に下げていたものだ。ギュスタロッサの使い手なら、ヴァリアンテが動かないのも納得できる。確かに見事な動きだった。

 だが、それよりも、あの瞳が忘れられない。

「親衛隊長殿、俺に欲をかいていいと言ったな?」

「……言いましたね」

 ヴァリアンテが含み笑いも隠さずに、ちらりと視線だけで振り返る。ダヴィディアートは王族らしい不遜さを前面に押し出して彼を見下ろした。


「あの男を、俺の親衛隊員にしてくれ」


 それは、王子の初めての我が儘だった。

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