第26話 猫神様
港から、王家所有の船を出してもらった。護衛の騎士様達に守られながら船は進む。アレクは硬い表情のまま俯いている。
「クルト王太子殿下や、レイチェル様から聞きました。アレクがおまもりを作ってくれた時の左の手に浮かんだ刻印のこと。あれは、猫神様から授かったものだそうですね」
左手にそっと手を添えると、とまどった様子で私の手を取った。
「俺……夢に出てくるまで忘れていたんです。猫神様のこと。初めてお会いした時、俺は海を眺めていました。父と喧嘩して、家出しようかなーなんて考えてたら、あの方から話しかけてきたんです」
「神様とお話できるのですか?」
「猫神様は人間に近い形をしています。違うのは耳が頭の上についていることくらいですかね」
アレクは、はぁ……と溜息を吐いた。
「身体を乗っ取ったり、洗脳したりする方ではないと思っています。でも、俺は」
アレクの唇に指を添えた。アレクが驚いたように私を見る。そんな表情も可愛くて愛おしい。
「大丈夫です。私はさきほども言いました。貴方が大好きだって」
アレクなら、何をされてもいい。何があっても後悔しない。
もしかすると、母もこういう気持ちだったのかもしれない。その気持ちが裏切られたら、相手を憎んでしまうかもしれない。
母のことは許すことはない。母も私を許さないのだし、お互い様だ。これからの人生、私は母と関わらないで生きていく。
でも、母があの父と恋に落ちたから私がいる。アレクと手を繋いでいられる。そのことには感謝をしようと思った。
船は海の真ん中で止まった。
「殿下、この下が海底神殿です」
護衛の騎士がアレク殿下に告げた。
「わかりました。では俺達は行ってきます。ここで待っていてください」
そう言うと、アレクは私を抱き寄せて、飛行結界のような特殊結界を作った。そのまま静かに海の中に入っていく。透明度が高い海の中には、鮮やかな色合いの魚達が優雅に泳いでいる。
「アレク、呼吸ができます。この結界のおかげですか?」
水も完全に遮断している。それでいて呼吸もできるのだから凄い。
「不思議なことに、誰かに教えられなくてもこの結界は作れました。遺伝子に組み込まれているのかもしれないです」
目の前を美しい魚の群れが横切る。幻想的な色とりどりの珊瑚が広がり、やがて海底に豪奢な建物があるのが見えた。
「あれかな……」
朱色の門が閉じられている。アレクは左手の甲の刻印を光らせた。
「第二王子のアレクです。猫神様から呼ばれてきました」
門の前で呼び掛けると、門が開いた。中から銀髪の女の子達が出迎えてくれた。
「神様はこちらでお待ちです」
頭に耳が生えた女の子が案内してくれる。大広間に着くと、猫耳の女の子が
透き通るような白い肌に、ツインテールに結んだ輝く銀髪。キュッとした猫のような瞳の色は海を思わせるような深い蒼。目鼻立ちが恐ろしく整った美しい姿。
このお方が神様……?
アレクは硬い表情のまま跪く。私もそれに倣った。
「お久しぶりです、猫神様。こちらが私の婚約者です」
「アリスン・コールリッジと申します」
猫神様は私達を見てにっこりと笑う。
「うん、可愛い子ニャ。奥にムーディーな部屋を用意」
「それはいらないです」
アレクが即座に断ってしまう。やはり婚約の儀とは初夜のことだったのか。わざわざ部屋まで用意してくださるとは、親切なのか、余計なお世話なのか。
「私はまだ学生です。結婚はまだ先だと思っています。その時まで取っておきます」
「そうなのかニャ。それは残念だニャァ」
心底がっかり、というように口を尖らせる。そんな表情もまた可愛らしい猫神様だ。
そして私もちょっと残念、と思ってしまう。
でも……アレクは昨晩、本当はしたい、と言っていた。それが本気なら、アレクはヒイラギ皇国育ちの私に合わせてくれようとしてくれている。
アレクの誠意、深い愛を感じる。
「アレク、アリスン。この国では国王と王宮執政官の離婚は認められないのニャ。理由は……わかるかニャ?」
猫神様がいきなり話を切り替えた。一般的な貴族でも離婚は滅多にない。外聞が悪いからというのが理由ではあるものの、キャッツランド王家ではそれ以外にも理由がありそう。
「刻印――ですね?」
アレクが緊張の面持ちで答えた。
「その通りニャ。例えば、元々キャッツランド王族ではないレイチェルが刻印を持っているニャ。それはこの場でシリルがその力を授けたからニャ。そして授けられる人は一人限りとされ、取り消しができないニャ。離婚すれば神力がこの国以外の国益のために使われる可能性もあるニャ。だから許されないのニャ」
ごくりと息を呑む。アレクと結婚するということは、単にアレクのお嫁さんになるだけではない。もっと大きな意味を持つもの。
「そなたの祖母は駆け落ちをしてしまったニャ。あれは、ちょっと困ったニャ。そなたの祖父が追わないでくれと言っていたからそのままにしていたが……本当に困ったものと思ったニャ」
「わかりました。絶対に離婚はしませんし、駆け落ちさせないくらい俺を好きになってもらいます!」
アレクはきっぱりとそう答えた。
「わ、私も駆け落ちなんてしません。アレクのことが好きなんです」
私も続いてそう答えた。アレク以外を好きになることなんてあり得ないと思ったから。
「刻印が宿ると身体の半分が神になり、神力も使えるようになるニャ。歳を取らなくなり、滅多なことでは死なないニャ。様々な力が使えるようになるニャ」
神力――いよいよ大変なことになった。私で本当にいいのか……でも、もう引き返せない。アレクのことが本当に好き。もう片思いでいいなんて思えない。
「アリスン、この国には私が強い結界を張って、魔物を排除しているニャ。この国が建国以来どこの国にも侵略を受けず、国民と猫が幸せに暮らせているのも、まぁ、私のおかげニャ」
猫神様がドヤッと胸を張る。
「この私が、その代の国王と執政官の子の中から、次代の国王と執政官を選出するニャ。選出基準は色々あるが、国王の場合、その子が持っている魔力、体力、そして性格。執政官の場合は魔力もあるが、次期国王に対する比類なき忠誠心、先を見通せる知性などもあわせてみているのニャ」
猫神様の説明に、アレクをそっと見る。アレクとクルト王太子殿下には、他の人が入り込めないような信頼関係がある。クルト王太子殿下がアレクにとてつもない愛情を持っていることはわかるが、アレクもまた、クルト王太子殿下を心から信頼し、守ろうとしていることが伝わってくる。
先日のシューカリウムの騎士達の前で見せた気迫は、まさに忠実な臣下のそれだ。
アレクは知性も先を見通す能力でも優れている。先日は私を助けるために、事前にあらゆる根回しをしていた。
猫神様の見る目は、確かなものだと思った。
「……最近は、侍女と遊び呆けて王妃を駆け落ちさせた前国王といい、国王をぶん殴って暴れる現執政官といい、やや私の見る目が疑われつつあるニャ。アレク……頼むから私の見る目が正しかったと言わせてくれニャ」
猫神様はキュッとした瞳をうるうるさせて、アレクを見ている。
「うーん……兄貴が変なことしたらぶん殴っちゃうかもしれません」
アレクがそう言うと、猫神様はクスクスと笑う。
「兄弟喧嘩はほどほどにニャ」
そして猫神様は私の方に目を向ける。
「アリスン、このアレクは頭脳明晰ではあるが、少し頼りないニャ。そなたがしっかりと手綱を握り、支えてあげてニャ。そなたは賢そうだから大丈夫ニャ」
猫神様から認めてもらえたようだ。少しホッとするとともに、気が引き締まる。
――必ずアレクを守れるだけの強さを身につけて。貴方には必要なことなの。
私の脳裏に浮かんだのは、別宅でレイチェル様に言われた言葉。特別な力を授かるのにふさわしい人間にならないといけないのだ。
◇◆◇
結界で船の上に戻ると、そこにはなぜか国王陛下が待っていた。アレクは首をかしげる。
「父上、どうやって来たんですか?」
「空飛んできた」
なんと。さすがは魔術が優れた国の国王陛下。飛行魔術で長距離を飛ぶのは並の魔術師では不可能と言われているのに。
「随分と早かったけど、初夜――」
「やっておりません!!」
船中に響き渡るようにアレクは叫んだ。
「まったく、まさか、初夜を気にして来たんですか?」
「俺はそこまで暇じゃない。そうじゃなくてさ、大変なんだよ。シューカリウムの女王夫婦がお忍びできてるんだ」
全く予想をしていなかった。
父はあの一件でもう会いに来ないだろうと思っていたのに。今度は祖母がやってくるとは……。
「あの人達は猫島ファミリーだからさ、移動魔方陣で王宮同士が繋がっているんだ。今は王宮の庭で猫とたわむれながらアリスンを待ってる」
アレクが動揺した面持ちで私を見た。
「どうする? そんなに悪い人達じゃないんだけど……会う? 会わないなら追い返すけど」
国王陛下は私を気遣うように見つめた。決定権は私にあるということか。
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