失われた資料と武運長久の夢の果て

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失われた資料と武運長久の夢の果て 前編

「あーっ、見つからないー! 資料どこー!?」


 年々日差しの強さが増していく都内の六月上旬。

 図書室のドアに手を掛けた俺こと、高校二年生の江西淳(えにし じゅん)は悲鳴の様な声に渋い顔で動きを止めた。

 じんわりと額に汗が滲み、周囲を見渡すと他の文芸部員達が、「お前が入れ。お前担当だ」という視線を向けて来る。

 これは逃げられないな……と俺は、がっくりと肩を落とし、呟いた。


「暑さにやられただけなら、いっそ救いなんだけどなぁ……」


 だが、そうは問屋が卸さない。

 太古の人は言った、七回裏切られたら七回許せ、と。

 しかし、そうはいかないのが世の中というもので。

 俺は頭の中でぼやきながら、図書室のドアを開けた。


「稲坂(いなさか)ー? 提出用の課題でも無くしたかー?」


 俺がそう問いかけると図書室の机に頭から突っ伏し、「触らぬ神に祟りなし」状態になっていた少女こと、同級生の稲坂香織(いなさか かおり)が顔を上げた。

 ブレザー姿で身長も標準だが腰まで伸びた髪が印象的で、ちゃんと手入れされた絹のような面と、元気かつ雑に毛先が跳ねている面がアンバランスな少女だ。


「んー? 来てるのー、淳?」


 そう問いかけながら上げられた顔には人懐っこい幼さと、本に没頭したら徹夜も辞さなくなる頑固さが滲んでいた。

 前者で無知な男子を魅了し、後者で半日持たずに失望されるを繰り返す変人だ。

 俺は彼女の左右でうず高く積まれた本を片付けながら、稲坂を発掘する。


「来なきゃよかったと思ってるけどな。今日はそういう巡りだったんだと諦めた」


 何とか本人を見つけ出し、本の砦の中で唸っていた彼女へ声をかけた。

 すると稲坂は嬉しそうに目を細めた後、腕を組んで何度か頷いて見せる。


「うんうん、淳の決断の速さ、わたし好きだよー。幸運な運命も悲惨な運命も受け入れてからがドラマだよね」

「安い三文芝居の見過ぎだ。……で、何がないって? みんなびっくりしてるだろ」


 俺がそう問うと稲坂は、「ちょっと待ってねー。課題を書いたメモはすぐそこにー」と唱え、たっぷり十五分時間を置いた後、ペラいメモを突き付けて来る。

 隣の椅子に腰を下ろし、視線を向けた先には、


『源義経を見逃したアイツの生涯を追え! 武運長久の夢の果てとは!?』


 と書いてあり、俺の表情が激しく曇り、背中越しに覗いていた文芸部員達が蜘蛛の子を散らすかのように逃げていく。

 ツッコミどころしかない文面だが、わらにも縋る思いで俺は問いを投げかけた。


「えーっと……『ぶうんちょうきゅう』ってのは……?」

「ん? 書いたままだよ。武人としての命運が長く続くこと。義経は短かったねー」

「……政争の果てに自刃だっけ? ちょい、うろ覚えだけど」

「うん、それで合ってるよ。享年31歳、骨肉の争いって怖いねえ」

「妙なところで真っ当な言葉を使うやつだな……」


 俺はため息交じりに呟きながら、頭を掻く。

 まあ、その意味で言うなら源義経……いわゆる『牛若丸』の生涯は確かに短い。

 そっちの方の資料は調べればいくらでも出て来るだろうが……?


「見逃したアイツってのは?」


 その問いに稲坂は得意げに笑い、人差し指と頭頂の髪先を逆立てて説明を始める。

 

「加賀の守護をしていた富樫泰家(とがし やすいえ)って人だよ。聞いたことない?」

「……い、いや、知らない」


 口調にくやしさが滲んだのがお気に召したらしく、稲坂はよりご機嫌な表情を見せた後、話を続けた。


「身をやつした義経は兄の頼朝に追われて安宅関(あたかのせき)って関所に逃げ込むんだ。でも、富樫さんは義経本人だと気付いていながら見逃しちゃうの」

「え、なんで。守護じゃないのか?」

「そうなんだけどね。武蔵坊弁慶の読み上げた武士の情け、『勧進帳』に感心しちゃったんだって」

「しちゃったんだって……って、大丈夫なのか、それ?」


 彼女は少し行儀悪く椅子の上で膝を抱き、答えた。


「大丈夫じゃなかったよ。頼朝の怒りを勝って、守護職ははく奪されたし。で、その後、義経と再会したりしつつ天寿を全う……って感じかな」

「へ、へぇ……初めて聞いた話だな。けど、それはそれとして資料が足りないってどういう話だ? 現に」


 俺はスマートフォンの検索結果を稲坂に見せながら、眉根を寄せる。


「調べれば大体の経歴は出て来たぞ? 資料が欲しいのは、分からないことがあるからじゃないのか?」


 若干、質問攻めのようになってしまったが、彼女は気を悪くした様子もなく、再び机へ突っ伏した。

 癖のある長い髪が無造作に投げ出され、ちょっと異様な状況になる。


「んー、そうなんだけど。でも、大体は義経よりの歴史ばっかりでさ。富樫さんの心情とか残ってないから」

「……あー、まあ、それは、そうだけど」


 改めて検索結果を見てもやはり、『牛若丸』こと源義経の名は強く、富樫泰家が彼をどんな心境で見送り、再会して、その自刃を知ったのか? の記録はない。

 俺は軽く下唇を噛んで、腕を組んだ。


「なるほど、その謎が『武運長久の夢の果て』……か?」


 その答えに満足したのか稲坂は顔を横に向け、「にへー」とちょっとだらしなく笑う。


「そのとーりー! 歴史の闇って一言で片付けるにはもったいない題材じゃん? もうちょっと掘れると思うんだ」

「ま、まあ、そんな気はするが……。でも掘るってどうやって? ネットで調べて出て来ないなら、大分厳しいと思うんだが」


 そして渋い表情になった俺に対し、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべながら、


「そんなの決まってるじゃん。見に行こうよ、『兵(つわもの)たちの夢の跡』を」


 と答えたのだった。

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