すれ違う 僕/ボク ら
花月 零
第1話
「あ……お疲れ様。」
「お疲れ。君はこれから?」
「うん、けどまだ時間があるから少し話してもいいかな?……いつもみたいに。」
「勿論。そのつもりだったさ。」
僕と彼はいつもすれ違っている。けど、決して仲が悪いわけじゃない。本当に一緒にいる時間が短い。そういう意味でいつもすれ違ってる。
だから、こうして会えると、制限時間が来るまで僕らは話し込む。面白いものをシェアしたり、お互いに勧めた本や音楽の感想を話したり。そんな他愛もないことを話して終わる。
「ちょっと憂鬱そうだね。何か嫌なことが?」
「……ううん。少し、僕のことが嫌いな人が多いから、君がうらやましいなって。」
「そうかい?でも、最近はボクを嫌いっていう人も多いからお互い様さ。」
「そうかな?」
「そうさ。」
こんな些細な会話だけで時間が過ぎていく。それはもう、本当に一瞬で。
「……そろそろ、いかないと。」
「あぁ、もうそんな時間か。それじゃあ、また。」
「うん。また。」
そうして彼と話を終えて、僕は僕の場所に移動する。定位置に移動すればあとはゆっくり時間を過ぎるのを待っているだけ。単調で、簡単で。毎日毎日代わり映えしない光景。彼も、こんな時間を過ごしているんだろうか。
僕と彼は似ているようで似ていない。彼は僕と違って自分で自分を輝かすことが出来る。僕は彼の近くにいるから彼の輝きをほんの少し分けてもらって輝ける。僕は、自分で自分を輝かすことが出来ないから。
あと、彼は沢山の人に愛されて、好かれている。それがうらやましいと思うのはおかしいのかな。いや、きっとおかしいんだ。彼はさっき『嫌いっていう人が多い』って言ってたけれど、僕に比べたらそうでもないんじゃないかと思う。
それと、僕は冷たいけれど彼は温かい。いや、熱いって言った方が正しいのかな……?けれど、僕にしてみれば彼はちょうどいいくらい。人の考えることは本当に良くわからないと今一度痛感する。
そんなことを考えながら僕は彼に教えてもらった本のページを捲る。紙が擦れる音が静寂に包まれたこの場所に静かに響く。本を読み進めるたび聞こえる音ではあるけれど、僕は本を初めて開いたときの一番最初のこの音がたまらなく好きだ。三人称視点で聞けば力加減で変わろうとも何の変哲もない音かもしれいないけれど、なんとなく、この最初の一ページの音だけは僕の気分を高揚させてくれる。
目次を読もうとしたその時、遠くからコツ、コツという足音が響いてきた。ああ、もうそんな時間かとぼんやり音の主が来るのを待った。
「やあ、その本はどうだったかな?」
「まだ読んでないよ。読もうとしたら君が来たんだ。」
「珍しいね。この時間までぼぅっとしていたのかい?」
「そうみたい。あまり、時間が経っている感覚は無かったのだけれど。」
「ははっ、そういうこともあるさ」
「あとでもう一回貸してもらってもいい?」
「いや、その本は君が持っているといい。ボクはもう何回も読んだからね。」
ほんの少し満足そうに笑みを浮かべる彼を見て、やっぱり温かいなと思う。人柄も、性格も。僕だったらきっと一回返してもらっていたと思う。
「……分かった。ありがとう」
「礼には及ばないさ。」
快活に笑う彼はいつもまぶしい。そうやって沢山の人を照らしているのだろう。そんなことを頭の片隅で考えながら僕は彼とすれ違った。
彼に貸してもらった本を大切に胸に抱いて、僕は次の仕事に向かう。次こそ彼にこの本の感想を伝えようと、心なしか目が輝いてしまったような気がした。
彼は、ボクと違って静かだ。自分から輝くことはなく、ただ存在している。ボクは彼とすれ違う。その時の彼はどこか満足そうで、どこか寂しそうで。笑っているところはほとんど見たことがない。まあ、彼はボクのように明るく、好かれているわけではないけれど。
彼とボクは時々一緒にいることがある。本当に時々だから一緒にいると沢山の人が物珍しそうにこっちを見てくる。一部の人からあがる歓声はよくわからないけれど。
そんなことを考えていると怒号が急に聞こえてきた。また始まった、としかボクは思わない。最近やたらとこうして因縁をつけられる。ボクはただいるべき場所にいるだけなのに。
「おい!マジで熱すぎる!少しは加減しろ!」
「我慢してくれよ、仕方ないじゃないか。」
ま、彼にはボクの声なんて届かないけれど。しかし、ボクにばかり文句を言うのはやめてほしいものだ。原因はボクじゃないのに、どいつもこいつもボクに向かって文句を言う。勘弁してほしいけれど、仕方のないことなんだろう。
こういうことに精通している人ならボクに文句を言ったりはしないんだろうけどよくわからない、理解できない人はボクに矛先を向けるしかないからね。
怒号を聞き流しながらボクは彼に貸した本の写し……いや“原本”を取り出してページを捲る。何の変哲もない紙がすれる音が雑踏にまみれて少しだけ耳に入ってくる。音は入ってくるが本の情報は何も入ってこない。ボクはこれを何回も読み返して面白味を感じなくなってしまっているから。
興味を無くしてしまった本を片付け、彼に新しく進める本を探しているうちに、彼に会う時間が近づいてきた。遠くから静かながら存在感のある足音がこちらに向かって近づいてくる。
「お疲れ様。」
「君こそお疲れ。その本はどうだった?」
「……これ、君の自伝?」
「ご名答。中々いい出来だとは思わないかい?」
彼に向かって少しだけ意地悪に笑ってみた。ボクが渡したのはボクと彼のことを小説“風”にまとめた自伝だった。偉人の自伝を読んでいる人を見かけたものだから興が乗ってほんの少しの好奇心と彼に対して悪意のない悪戯心が顔をのぞかせてしまい衝動的に書いてみたのだ。
お蔭で何回も誤字脱字がないか読み返してそのせいでボク自身が面白味を感じることはできなくなったけれど。
「正直、びっくりした。まさか僕そっくりな登場人物がいたから」
「ははっ、何も言わずに君を出してしまったのは謝るよ」
「……どうして急に自伝を……」
「なんとなくさ。悠久の時間を生きたボクの証を残してみたいと思ってね」
「君らしいね」
「お褒め頂きありがとう。では、また。」
「うん。またね」
彼のその言葉はどこか儚さを纏っていて、毎度毎度次は来ないんじゃないかと思わされてしまう。そんなことはありえないとボクが一番理解しているのに、不思議と彼はほんの少しだけ不安な気持ちにさせてくれる。
それはきっと人も同じだろう。彼がいるとどこか不安になったり嫌なことを思い出したりする。けれど、それ以上に彼を見ることでゆっくりと落ち着ける人もいるということを彼自身が自覚してくれるといいのだけれど。
彼の自己肯定感の低さはきっと、沢山の人からもたらされたものなんだろうな、と思いつつボクはゆっくりと次の仕事場へと向かった。
彼とまたすれ違う。そんな日々を何回も繰り返した。何回も、何回も、何回も。でも、それを疑問に思うことはなかった。それは、ボクらが生まれてから、気が遠くなるまで終わらないと知っていたから。
そんなことをやっていると、久方ぶりに彼と一緒になる日が来た。
「今日は長く一緒にいられそうだ。」
「そうだね、また、人間が沢山いるのかな」
「それはそうだろう。ボクたちがこうして過ごすのは実に18年ぶりの事らしいからね。」
「……たかが数十秒のためによく集まるよね」
「そういってやらないで。人はこの瞬間がどうも楽しいようだから。」
「僕らには到底理解できない心境だね」
「それに関しては同意するよ。」
そんな風にいつも通り話していると時間が近づいてきた。ボクと彼はそっと一緒になる。すると、人から
「昼間なのにこんなに真っ暗になるなんて!」
「一度だけでもこの目で見れて本当に良かった……!」
こんな風に歓声が上がった。正直五月蠅いったらありゃしない。ボクらはただ久しぶりに一緒になっているだけなのに。
「人間って不思議だね。“太陽”と“月”が一緒になって重なっているだけなのにこんなに喜ぶなんて。」
「ボクらにしてみれば一瞬で、何回も起こっている出来事にすぎないけれど、人間からしてみれば十数年単位でしか起こらないことだからね。それに、見ることが出来る場所も限られているから場所によっては数十年見られない事でもあるらしい。」
「……映像資料とか残ってるのに?」
「実物を見るか否かだと印象も変わるんだろう。人間の考えることなんてそういうものさ。」
「そういうものか。」
僕らはすれ違う。何年も、何百年も何千年も、それ以上の年月が経っても。
でも、時々一緒になる。それは人間にとって皆既日食・月食、部分日食・月食と呼ばれているみたいだけれど僕らからしてみればごく当たり前で、何度もある出来事。
ボクらはすれ違う。人間からは考えられないほど永く遠い時間を。ボクは人間を明るく照らし、彼は人間を包むように照らす。たとえ彼が居続ける夜に沢山の涙が落ちても。ボクが居続ける昼に恐ろしい悲劇が起きようとも、ボクらは変わらず人間を照らし続ける。
それが、すれ違う 僕/ボク らの宿命だから。
すれ違う 僕/ボク ら 花月 零 @Rei_Kaduki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます