さようなら、勇者先生 【全10話】
悟房 勢
第1話 組紐
太王太后が崩御した。二代に渡って王を支え、人間族を黄金期に導いた。彼女の推し進めた政策は市民生活が向上したばかりか大衆娯楽という新たな文化を花開かせる。魔族との国境線を画定させたのも大きかった。
七十歳まで戦場に立った。その数25回。負けたことは一度もなかった。魔族でさえその姿を見れば震えあがったという。
生前の彼女は慎ましやかで、着飾ったり、宝石を身に付けたりすることは一切なかった。それでも人前に姿を現せば一目で彼女だと分かったという。美しく、気品があり、特別であった。
その彼女の遺言はたった一つ。肌身離さず身に着けていた“組紐”を棺の中に入れてほしい。ただそれだけであった。
☆
「誤解があっては困るから、最初に言っとくわ」
テーブルの椅子に座ったおっさんが、左右の手それぞれに紙を一枚ずつ摘まんで私の方に向けた。
私は辺境伯の長女クローディア・エッジワース。ここに来るなり荷物を解く間もなく、まるで面接を受けるようにテーブルの前に立たされている。
「こっちが君の親父さんとの契約書。こっちが君のお師匠さんからの手紙」
おっさんは自分の言葉に合せ、それぞれの紙をくいっくいっと上げる。
「俺は君の師匠になるつもりはない。君にはちゃんとしたお師匠さんがいる。あくまでも俺は先生。ただ単に、金で雇われた教師なんだ」
テーブルに二枚の紙を並べて置く。
「ボランティアでもなければ、君の親父さんに頭が上がらないってわけでもない。ずっと変わらず俺たちは対等な関係だ」
おっさんはダニー・ケージという。転生者で勇者だった。お父様が辺境伯になれたのもこのおっさんのおかげ。で、このおっさんは死んだことになっていて、お父さんの領地でひっそりと暮らしている。俺TUEEからスローライフに転身したってわけ。
「もちろん、恩義はある」
なんか、長い話になりそう。
「こうやって静かに暮らせるのは君の親父さんのおかげだからな。何かと力になってやりたいとは思う。だが、君にはちゃんとしたお師匠さんがいる。彼女は素晴らしい女性だ。俺は彼女には一目置いている。っていうか、俺らは一緒に魔王を倒した仲間だ。両方ともぞんざいに扱えない。だから、その辺はきっちりと線を引こうかと思う」
ははーん。お師匠様に気を遣っているのね。噂ではこのおっさん、お師匠様とデキていたっていうじゃぁありませんか。こんなむさい男が、ちょっと許せない。
「とはいえ、100Gは大金だ。小さな城が一個建ってしまう。それでも君の親父さんは、経費については別に請求してくれと言っていた。まぁ、それは断ったがな」
お金の話が出たんで思い出したんだけど、このおっさん。転生前はラインというところで白物家電という何か分からないけど凄い物を組み立てていた。そんでもって月に20万という大金を貰ってたらしい。
魔王も倒したというし。
でも、今は見る影もない。キラキラオーラどころか闘気さえも感じられない。むさいし、貧乏臭いし、これでよく魔王を倒せたものだと感心してしまう。お師匠様とは全然違うわ。お師匠様は今でも騎士団を率い、魔物の残党と戦っている。
「しかし、君らの世界にも面倒事があるんだな。同情するぜ。レディーのたしなみに魔法とはな。俺らの世界では化粧をして美しく着飾り、おしとやかに振舞っていればそれで大体オーケー」
闘気は後天性で、男性にしか発現しない。魔力は女性のみで、血筋にのみ発現する。だから、お父様は民間人からのし上がれたし、お母様のような強い魔力を持つ女性と結婚した。
「この世界じゃぁ見た目に関して言えば、貴族に限ってだが、それほど重要視されてない。美しかったら尚いいって程度。レディーには何を差し置いても魔法が求められるってんだからな。一方で、民間人はというと魔力が無い。やはり彼らにとっては美しさが人の価値の指標。驚きだぜ。前世と全然違う。まぁ、この世界には魔法がるし、モンスターだっている。魔族ってやつらもいるからなぁ」
お父様もお父様だわ。お師匠様をさし置いてよくもまぁこんなおっさんに可愛い娘を預けたものよ。どう見てもお師匠様以上のことが出来るとは思えない。
「とはいえ、魔物の脅威は薄れた。時代が変わるのかもな。カエラ・ラムゼイがいい例だ。身分にかかわらず誰にでも人気がある」
お師匠様は魔王を倒した大魔導師。そのうえ美人でナイスバディー。このおっさんは今でもお師匠様を忘れられないでいるのね。分かるわぁ。女の私だってそうだもの。
「カエラの手紙によると君には教えることはもう何もないそうだ」
そりゃぁそうでしょう。私はお師匠様の一番弟子で、全系統を使いこなせる天才魔法使い。
「この世界での理屈から言えば、君は相当モテてもおかしくは無いはず。だが、それはまぁいい。規格外ってことだろ。今、理解した。小さなジャバザハットだな。ということで、これからは俺を先生と呼んでもらう」
ジャバザハット? なになに? なんのことかしら。
「はい。これからは先生とお呼びします」
先生という言葉に、おっさんの表情は心なしかキリッと引き締まった。
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あとがき
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