第2話§モノローグ§



§モノローグ§




2015年7月28日───




朝から強い風が吹き荒れて、雨がまるで不吉を呼ぶかのように暗雲あんうん雷雲らいうんを伴なった雲を密集みっしゅうさせた。



雲々くもぐもはそのよそおいのとどまることを知らずか、辺りの暗雲と雷雲をさらに集めて引き寄せた。



こうして姿を現したのは大規模な全ての負を象徴するかのような黒い雲海うんかいの密集体(みっしゅうたい)。


それはまるで空に突然現れたどこかの神話に登場する化け物のようだった。



雷雲らいうんが恐怖と不安と死の旋律せんりつを奏でて、地上では安定しない危険な音色ねいろが鳴り響く。



雨粒あまつぶはどれも大きく、アスファルトを強く打ち、そのさまは「怒り」や「憎しみ」をはらんでるみたいに思えた。




しかし、時に空は雨を優しく降らせてそれを「めぐみ」とする時もある。




だが、7月28日の空は「怒り」や「憎しみ」を地上にそそいでるようで、風も無慈悲むじひなほどに強く街々まちまちの人は通学や通勤で傘が風と雨の流れる強さに流されて一瞬で破壊された。




歩道を行き交う人がいなくなり。



虚しく雨粒が強くアスファルトを打ちつける音と道路で車が行き交う音だけが聞こえる。



その街々の片隅かたすみで小さな言の葉(ことのは)は懸命けんめいに命の声を上げていた。



だがその声など取るに足らないように現実は残酷にその小さな声と小さな言の葉を相殺そうさいした。




それが自然の摂理せつりことわりだと小さな懸命な命に突きつけるようで。



それが人が作りし、正義と悪をわかつことの出来る社会であり、世の中であると。



それが国や法律で作り上げた多くの余多あまたの数え切れない犠牲から手に入れた真の平和であり、それが答えだと回答しているみたいに、弱い命は強い命のかてとなりて─


──いずれ忘れられていく命の小さな灯火。



生きていた軌跡きせきすら気づかれることのない命の行方ゆくえとそのさだめ。




歩道の横に住宅と魚屋のお店がある。


その立ち並ぶあいだには僅かなスペースがあり、生臭い香りを漂わせたごみ捨て場がある。



このより激しさを天候てんこうの中で力尽きて消えたとうとい命。



おそらくは魚屋のゴミになる切れ端の肉を求めて住宅と魚屋のスペースに身を置いたのだろう。



1匹の野良猫のらねこが世界の片隅かたすみでひっそりとその短い生涯に幕を閉じていた。



その野良猫は薄く瞼を開き、瞳を自身の腹部に向けて何かを伝えるように死後硬直しごこうちょくが始まっていた。


その眼差しは「愛」と「不安」で白くにごっている。



その視線の先を追えば「愛」と「不安」を抱えた瞳の意味がわかる。



その野良猫の腹部では「温もり」を求めるように母のお腹に顔をうずめて懸命に鳴くとても小さくまだ目の開いていない子猫が1匹いた。



子猫は合わせて6匹いるが、残酷なことに母猫に顔を埋めて動いている子猫以外、残りの5匹の子猫は母猫と同様に事切れていた。



まだ母猫の姿さえ、5匹の自分の姉弟きょうだいさえ、そして、自分がどこにいるのかさえ見ることの出来ない子猫は母猫の薄く開いた瞳の先で懸命に動き、懸命に命の声を、その母猫を呼ぶ言の葉を紡いで鳴いていた。




しかし、住宅と魚屋の狭いスペースでは誰も発見しないだろう。



まっしてやこの天候。


きっと、その子猫は母猫や姉弟が生きていると思っているのだろう。



だから鳴くんだ。



いつも母猫は子猫を舐めてその顔をり寄せて「愛情」を注いだ。



母猫のお腹をまさぐるといつも「温もり」であふれた母乳が出たし、母猫を呼べば毛繕いをしてくれた。



その子猫が鳴くと姉弟達も鳴いていた。



だから今も生きている。



母も。



姉弟達も。




でも、なんでだろう?今日は誰も答えてくれない。




だからさらに鳴くんだ。力強く懸命に、必死に母猫のいつもの「愛情」と「温もり」を求めて───



私はここにいるよ?って……



落雷らくらいがどこかで落ちたようだ。


突然の雷鳴らいめいはその子猫を恐がらせた。




必死に「みゃーみゃー」と鳴いて母猫を呼ぶ子猫。


自然と現実は心無い無慈悲な風と雨で子猫の体温を、体力をゆっくりと痛ぶるように奪っていく。




フッと母猫とその子猫と姉弟猫達に降り注がれる雨がその一帯いったいだけんだ。



この狭いスペースに壁と壁で囲まれたあいださいわいにも風の勢いを緩和かんわさせた。


そこでかさを子猫にかざして自身はびしょ濡れになる女児の姿があった。


女児は「聞こえたよ、キミの鳴き声。」と幼くて小さな唇で囁く。




女児は鳴き声を上げる子猫を見て、「大丈夫。今からパパとママを呼んでくるから待ってて。」


と言い、傘を母猫と子猫と姉弟猫達にかぶさるように地面に立てかけて、自身の父親と母親を呼びに駆け出した。



子猫はずっと、ずっと女児と女児の両親が来るまで、いや、来ても鳴き続けた。



女児の父親は残酷な現実を目の当たりにして、吐息を深くついた。


女児の母親もこの子猫の置かれた環境に胸を痛める。




女児は意味がわからない。


確かにこの目の前で鳴いている子猫がいる。



そして───


そのそばに母猫と姉弟猫がいる。




しかし、女児には目の前の母猫と姉弟猫達が生きているとしか思えない。



死んでるなんて理解したくないのだ。


まだ助かると都合良く思っている。




女児の父親は女児の肩に手を置いて、「一緒に見送ってあげよう…。」と言うと女児の肩に置いた手を女児の頭の上に置き、路肩ろかためている車からバスタオルを数枚持って来た。





そうしてまずは鳴いている子猫を拾い上げて、バスタオルで濡れているとても小さな身体を拭うように包んだ。



その子猫を女児に持たせると父親は薄く瞼を開き、「愛」と「不安」をその白く濁った瞳に宿やどして、腹部に視線を向けて固まる母猫の頭を撫でた。




「さぞかし必死だっただろう…。


自分の子供のために必死に我が子を見て……自分の命よりも子供を何よりも生かしてやりたかった…


わかるよ。その目を見たら……。」




女児の母親は鼻をすすり、込み上げる哀しみに、そして、必死に一生懸命に自分の子供に母乳を与える体勢たいせいのまま事切れる母猫と無残むざんにも死んでいる5匹の子猫達を見つめていた。



父親は次々に子猫達5匹をバスタオルにくるみ、最後に母猫をくるんだ。


母猫を抱えると女児の父親は「よく…頑張った……。キミの残した命は大切に…そう、大切に育てるから……



だから……」




「ゆっくりお休み───」



女児の母親はうつむき泣いていた。



父親も泣いていた。



車の後部座席に母猫と姉弟猫達を乗せて、女児は「みゃー。」と鳴く子猫を抱えて車の助手席に乗ろうとした。



母親は後部座席で母猫と姉弟猫達の横に乗り、父親も運転席に乗った。




すると不意にカラスの鳴き声が聞こえた。


女児が抱える子猫もそれに同調どうちょうするように鳴いた。




フッと雨がいきなり止んだ。



風も勢いを弱めた。



女児は陽射しがあたるのを感じて空を見た。




空は不思議と晴れて、暗雲の狭間に大きな穴を開けてそこには眩しい太陽がまるで何かを「祝福」するように、「見守る」みたいな装いで辺りを温かく照していた。




それはまるでこの抱える子猫の定められた運命が本来ほんらいは死を辿たどるはずが、この子猫の運命が生を辿るしるべになったと伝えるみたいに、それに対して「祝福」と「見守る」ように太陽は陽射しを注いでいるみたいに思えた。






眩しい空を太陽を眺めてると父親が「どうしたんだ?」と運転席から出て女児を見た。



女児の視界に空より一枚の葉がひらひらと舞い落ちた。



その葉は大きな水溜みずたまりに落ちて漂い、女児はこの葉が眩しい空より舞い落ちたからか、それが太陽の言葉のように思えた。





葉は水溜まりでゆらゆら揺れ、女児の父親は意味がわからない様子で「何かあったのか?」と女児にふたたび問いかける。



女子は水溜まりの葉から視線を離すと首を振り、「ううん、なんでもない。」と答え、胸で鳴き声をずっと上げる子猫を抱えて助手席に乗り込んだ。



そうして車が動物病院へと向かい走り出すと「不安」や「心細い」と感じさせる鳴き声を子猫は女児の抱える胸の中で鳴いた。



女児はさきほどの空より舞い落ちた葉は太陽からこの子猫へのメッセージに思えた。




女児は胸の中で鳴く子猫にひっそりと静かに囁いた。



「キミは太陽に守られているから泣かなくていいんだよ。



きっと、キミの声は太陽に届いたんだ。


だから、雨が止んだ。


キミは私がこれから守る。


私の言葉がわかればいいけど……だからキミも聞かせて。



キミの言の葉を……」



子猫は「みゃーみゃー。」と相変わらず鳴いている。



なんだかそれが女児に問いかけてくれる言の葉みたいで、女児は思わずその意味を聞き返すみたいに。




「キミの言の葉は───」



と静かに答えのない問いかけをして、胸の中の子猫を繊細せんさいな手つきで撫でた。



母猫が必死に守った命が繋ぎ止められた。


それは「愛」と「不安」の中で自分の子供を自分の命に変えても守ろうとした母の想い。



母猫の命が絶えても注がれた「愛」。



それは「変わらない愛」で我が子の命を繋いだ母猫の短い命の軌跡のあとだった───







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