第5話 (僕の場合)

本を貸した翌日、ありさは眠い目をこすりながら、電車に乗り込んできて僕の隣に座った。朝の大阪のS線は空いてるから、もう、指定席並みに確実に座れる。


ありさは、今日は、髪をおろしていた。すごく可愛い。でも、社会人の矜持として、言葉にするのは控えた。


ありさはバッグの中から、昨日、貸した本を返してきて僕の肩に頭を乗せながら、言った。

「この本、名著な意味が良くわかるわー。何度も何度も根気強くて、マジでこれでもかってほど、問題に対する意識を変えようとしてくる。佐藤さん、貸してくれてありがとう。まだ読み足りないからさ、まだ仕事の時間まで時間あるでしょ?ねぇ、終着駅のあそこのカフェでこの本の感想いいあわない?」


僕は内心、肩に頭を乗せられて、心臓がうるさく、焦りながらも、平静を装いながら答えた。


「ありさが良いならいいよ。僕が奢るよ。」


というと、ありさに、「バイトしてるから奢らなくていいし、ただ佐藤さんの時間が欲しいだけ」と頰をスリスリされた。


僕の心臓は高鳴り続けた。

悲鳴を上げている心臓を休ませてやるためにも、ありさに、のいてほしいと、言おうとしたが、僕の肩越しでスヤスヤ眠るありさにそんなことは言えなかった。


愛おしいとは、こんな感情を言うのだろうか。

僕は、この気持ちをなんて呼べばいいのか分からなかった。


せめて、終着駅まで、ぐっすり寝かせてあげよう、そして僕は幸せものだな、と思った。




第5話(僕の場合 完)






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