初恋
久村真央
第1話 (僕の場合)
彼女と初めて会ったのは、4月のなんでもない、ある雨の日の朝だった。
僕は社会人6年目、転職を何度も繰り返し、ようやく決まった転職先の営業で朝は、早くに出社、夜は遅くに帰っていた。
営業課の部長から毎日のように、営業成績の悪さを叱られ続ける毎日。でも、単調な僕の毎日はこれでいいと思っていた。
僕は、趣味の数学に浸る時間が唯一の生きた心地のする時間だった。生き甲斐だ。
だけど、それは、ただの趣味。なんのためにとか、誰のために、とかはない。
資格試験を受けるわけでもない。僕は、ただただ、自由帳に数式を書き上げていく。なんの生産性もない日々を送っていた。
それなのに、あの子と出会ってから、世界が色づき始めた。
僕は大阪のS線を利用している。朝のS線は座れるからありがたい。
電車の中で、僕は『数学ガール』という本を、電子書籍で読んでいた。
すると突然、女子生徒に話し掛けられた。
「ねぇ、お兄さん、数学好きなの?」
僕は一瞬、固まってしまった。
彼女は僕の液晶画面をみて言った。
「ねぇ、電子書籍で『数学ガール』読むくらいなんだから好きなんでしょ?数学。私もなんだ。私はありさ。ひらがなで、ありさ。田中が苗字ね。田中ってどこにでもいそうな苗字でしょ?今年から高1なんだ。ねぇお兄さんは、どこまで乗るの?」
僕は答えた。
「終着駅までのるよ。君は?その制服だと、君も終着駅までだね。僕は佐藤だよ。佐藤友樹。変わってるね、こんなおじさんに声かけるなんて。悪いけど、パパ活はしてないんだ。他をあたってくれるかい?」
ありさは憤慨したように僕を睨みつけた。
「私はね、同志を見つけたから声をかけただけよ。パパ活とか、馬鹿じゃないの?アンタみたいなの引っ掛けてもろくなお金持ってないでしょ?知ってるんだから。私はね、金欲しさに声なんてかけません。失礼しちゃう。そんなことよりさ、この数式、キレイだよね。初めて読んだ時、感動した。お兄さんもそうなんじゃない?」
僕は思わず、勢いよく、話してしまった。
「わかるのかい?この数式、綺麗なんだよ。いつ見ても、はぁ~、なんてきれいな式なんだって僕は思わず感動してしまう。君はどこまでよんだんだい?」
ありさはニマニマ笑いながら答えた。
「ポアンカレまで読んだよ。最高だった。特にガロアなんて本でもこっちにもいれてる。」すると、スマホをちょんちょんとつついた。「最高だよね。私のことはありさって呼んで。ちゃんも、さんも要らない。ねぇ、これからも話さない?朝のこの電車でさ。お兄さんともっとはなしたいな。」
僕は答える。
「ありさが、いいなら。」
ありさは黒の髪の毛をポニーテールに結っている。黒髪版のユーリのようだ。煌めく笑顔がとても僕には眩しい。
僕は、彼女に恋をした。
それから、僕とありさの数学談義がはじまった。
第1話(僕の場合 完)
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