プラモデルをつくろう!

@towww

第1話 楽園の香り

「寝取られゴム?卑猥な話をしてる?」


クリっとまんまるい栗色の瞳で見つめるこの顔、なにかに集中して水平になる棍棒のようなこの尻尾。これは本気だ。真面目に訊いている。


「ニトリル!ニトリルゴム手袋。油や塗料に強く破れにくい!」

「えっ、プラモデル初心者にいきなり塗装を?」

「いやいや、そのフワフワの毛深い手を見てよ。静電気で獣毛がプラスチックについちゃう」


もともと尖ったマズルをさらに尖らせながら、ピチピチの手袋をめるラブラドールレトリーバー…の獣人。


      …


「うん…?このパーツ、組むと隙間が空くんだが。パワープレイするとこか?」

「ああオッチャン待って…説明書のこの印、パーツの向きがあるんだけど合ってる?」

「ははあなるほど、ここの切掛けの向きを合わせろと。難しいなプラモデル」

「でもその辺バンダイは親切。向きが違うとパッチリ組み上がらないから」

「よし、これでいい。武器はもちろんロングライフル!長い太いは正義」

「いつの時代の大艦巨砲主義ですか」


湿った鼻をピスピス言わせながらあっという間に組み上げるレトリーバー。だいぶ慣れてきたな。


「なんか、パーツが余ってるけど壊したときの予備?」

「普通は使い切るけど…なになに?なるほど頭部のバリエーションがあるね。フェイズツー?」

「フェイズⅡ!わかってるねバンダイ!クローンウォーズのトルーパーなんだよ!」

「スターウォーズにそんな映画あった?」

「CGドラマ。だから評価は分かれてるけど。映画版だけでいいから今度一緒に観ようぜ」


      …


「フェイズⅡも完成!あーでも、アーマーが艶々してて実写版みたいだ。これはフェイズワンの頭部にすべきだな。ところで、なんで初心者にスターウォーズを?普通ガンプラじゃないのか?」

「ガンダム観てるならガンプラだけど、そうでなければスターウォーズ。戦闘機も多脚戦車もあるし、兵士もいる。トルーパー付きバイクだってある。ガンプラと違って艶々加工してあるしね」

「五十の手習いとはよく言ったもんだな。世の中、知らないことだらけだ」

「現代医学の寿命なら六十の手習い、だね。まだ五十代でしょう?」

「アラ還なんてみんな一緒だって。自分の力量がわかってくると、なにか新しいことを始めるのが怖いんだよ」


ここまで腹を割って話してくれるようになるまでずいぶんかかった。種族が違うし二十歳近く離れてるとはいえ、レトリーバーって天真爛漫てんしんらんまんじゃなかった?先祖に柴犬でもいるんじゃないのか?


      …


翌週末、少し残業した帰り道。ようやく冷えてきたアスファルトをシタシタと叩く肉球の音がする。文明社会を生きる獣人はそうそう裸足で歩かない。きっとペットの犬だろう。


長い舌からよだれを垂らし、スキップするかのような四つ脚のラブラドールレトリーバー。耳にうっすら生えている点のような黒い毛。少なくとも親の一頭は黒ラブか。そういえばオッチャンに黒い毛はなかったな。


オッチャンよりずっと小さなレトリーバーを背にし、我が家を視界に入れる。


     …


「ただいまー」

「…おかえり」


タバコのフィルター越しに呼吸する、嗅覚の鋭い犬。この異様な光景にはさすがにもう慣れた。が、どこということもなく宙を見つめるレトリーバー。これは重症だ。ストレートに訊くのはたぶん逆効果だ。


「そういや、鼻が効くのにタバコを吸う人は珍しいよね。犬族用?そのアーク…ロイヤルってタバコ?」

「ああ、人族用だが、このパラダイスって銘柄、紅茶の香りが美味くてね」


さらに一本吸おうと黄色いパッケージを開けると、かすかに上品な紅茶の香りが鼻をくすぐる。これはダージリン…いやアールグレイに近いか。


「次、どんなプラモ作りたい?」

「…うん…。プラモはもういいかなあ、って…」


しまった、いきなり地雷を踏むとは。仕事のことだろうとアタリをつけてたのに。


「帰りがけにヨドバシの模型コーナーに寄ってみたんだが、だれかが作った作品がずらりとあってな。お前さんの完成品もそうだが、見てると…なんというか、ゴールが遠すぎるような感じでな」


初心者や初級者が陥りがちな病。『プラモデル完成恐怖症』と勝手に呼んでいる。


「ええっと、ゴールは…ありそうで、ないよ」


オッチャンの眉間にわずかに皺が寄るが、構わず続ける。


「あくまで趣味でやってて、高みを目指してるわけじゃないからね。僕の場合は『このくらいのクオリティーを目指そう』って考えずに作ってる。決めてるのは『おおよそ一週間で完成させる』こと」

「それだけ?」

「それだけ。説明書を読んで、このキットは組み立てに時間かかりそうだから今回は軽めに塗装しようとか、五パーツだけだから塗装に専念しようとか」

「ふむ…」

「もちろん失敗もするけど、一週間を大きく越えない範囲でリカバリしてる。人によっては、気に入らない色はドボンしてやり直したりも」

「ドボン?」

「ああ、パーツを溶剤にそのまま漬けて、塗装をぜんぶリセットすること」

「そこまでする人もいるのか……」

「いる。けど、個人的な感想としては、完成品が多い方が上達も速い、気がするよ」

「……」

「ひとまずシャワー浴びてサッパリしてきたら?」


促すように背中をポンポンッ…実際はその毛むくじゃらの背中をフワンフワンッと叩いた刹那、身体が引き絞られる圧とともに、鼻先にお日様の匂いを感じた。


「ありがとう」


ハグされるほどのことはしてない。はず。わからない。レトリーバーは感情の振れ幅が大きすぎて、どこまで相手に気を許してるのか判断つかないときがある。頑固一徹なジャックラッセルの方がまだわかりやすい。同じ人族ならストレスが少ないと世間では言うが、猜疑心の強い人族とはもう同居なんてできない。


      …


「ロケットパーンチッ!」


ヘルボーイのような岩石状の拳を振り回し、オッチャンがダースベイダーに殴りかかるのをそばで眺めている。倒れ伏したダースベイダーの喉笛を喰いちぎってトドメを刺し、血まみれのオッチャンがこちらにゆらりと近づいてくる。下卑た笑いを蓄えながら、真っ赤に染まった手で頭を掴まれ、ひんやりと心地のよい肉球の温度を額に感じる…。


「熱があるわけじゃないのか。お寝坊だな。メシ食おうぜ」


なんだ今の夢は。いや夢分析なんてろくなもんじゃない。忘れよう。フロイトは死んだ、らしい。


「本日は!ヨドバシカメラ秋葉原店へ行くぞ!はい拍手!」


やや肉厚のベーコンを平らげながら宣言するレトリーバー。こういう切り替えが速いところは、同居人としてとてもありがたい。


「いいね!あそこならあらゆるジャンルのプラモデルがあるね!」


      …


「…あのさ、なんでガンプラがこんなに少ないんだ?」


ヨドバシの模型コーナーを端から物色を始めてすぐのぼやき。


「安くて色分けもされてる、接着剤要らずのキットなので大人気。…転売ヤーにも大人気。これでも一時期よりかなりマシな在庫状況なんだけど、現在のガンプラは予約して買うものになりました」

「世知辛いな…まあ、ガンダムわからんから別にいいんだが」


さまざまな種類のガンプラが積まれていたあの頃と違って、同じものが大量にあるだけのガンプラコーナーを通り過ぎると、オッチャンの反応が変わる。


「おお、三式機龍メカゴジラ!いやでも欲しいのは三頭身じゃないんだよなあ」

「あ!なんだなんだこっちは。恐竜ばっかりだね!バンダイが恐竜?ジュラシックパークはあるし、ジオラマ付き?え、タミヤってミニ四駆のタミヤ?」


マグカップをたやすく薙ぎ払うような太い尻尾をぶるんぶるんと勢いよく振り回している。これは止まらないな。こういうスイッチ入っちゃうとこはレトリーバーだなあ。


「恐竜に食いつくの?てっきりパトレイバーやパシフィックリムあたりかと思ってた」

「なんだって?ジプシーデンジャーがあるのか⁈」


垂れ下がった耳をビクンッと跳ねさせ、嬉々として尋ねてくる。


「存在するけど…だいぶ前のニッチなキットだから、再販を待つ以外に手はないなあ」

「そうだよな…。今朝観てたんだが、ちょうど十年くらい前の映画だしな」


なるほど、今朝の夢はパシフィックリムのせいか。


「で、この恐竜たちなにが違う?」

「バンダイ以外は塗装が必要で、ジュラシックパークは三十センチを軽く超えるサイズ。タミヤは四十年前の製品にしてはクオリティーが高い」

「よし、まずは身の程をわきまえて、バンダイの…そうだな、モササウルス!」


もっと早く連れてくればよかった。アラ還だからとか言ってるけど、こんな少年のような表情かおをまだ持ってるじゃないか。まだ見せてない表情をもっと知りたい。


      …


「さあさあ、モササウルスだぜ。海の頂点捕食者だぜ。今回は俺ひとりで作ってみたい」

「小さいパーツもほとんどないだろうから大丈夫だと思うよ」

「ほーう、骨格から作るのか。骨と皮膚の色分けもされてて凝ってるな」


このシリーズはたしか、最新古生物学の知見を再現!が売りだったな。割れている学説両方を差し替え式のパーツで再現してるキットもあるとか。


「骨格は簡単だな。もうこれだけで十分カッコいいじゃないか。皮膚を被せるのがもったいない」

「そう考える人はいてね。骨を塗装する人もいる」

「完成したら見えなくなるのに?」

「カーモデルでも、エンジンや足まわりの塗装にもこだわりを見せる人は結構いる」

「なんで?」

「なんでだろうね…?」


      …


「うむ、完成。シールに手こずったがこのくらいの難易度がちょうどいいな」

「このくらいのだと…あとはポケモンや鬼滅の刃あたりかな?」

「うーん…まあ、またなにか探してみるさ」


祝杯の用意しながら尋ねる。


「オッチャン、銀杏食べられる?」

「銀杏の匂いは好きなんだが、油まみれになるのがなあ…」


チーン!レンジから銀杏の入った茶封筒を取り出し、懸念を取り除くべく主張する。


「ご安心を!これがあります!」

「ニトリルゴム手袋か。考えたな」

「フィットするから殻を割りやすいよ」

「じゃあ乾杯だ」

「乾杯!」


      …


部屋に銀杏の匂いが染みついたころ、ゆらーりゆらーりと満足そうに尻尾を振り、まんまるい栗色の瞳をこちらにじっと向けて穏やかに呟いた。


「完成したときの充実感がたまらんね。ありがとう、竹蔵たけぞう


目を細めゆっくりとアールグレイの息を吐き、垂れ下がった耳をピクピクさせる大柄な同居人。


「…トールさん、一本もらえる?」

「吸ったことあるのか?」

「昔、ちょっとね」

「ふぅん…」


言葉とは裏腹にニヤリと笑う口から覗く鋭利な牙が、彼が肉食獣であることを思い出させる。生きた血肉を口にしたら猛獣の顔つきになるのだろうか。楽園パラダイスの香りはアールグレイか、鉄混じりのお日様の匂いか。どちらを選ぶべきなのだろう。

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