ACT・4

「よう!」


 突然、どうしようもないくらい明るい掛け声とともに、メイは背中を叩かれた。


 シャボン玉がものの見事に割れた。


 後に残ったものは、その欠片さえも消し去るほどの見事な笑顔だった。


「あ……らぁ?」


 誰か分からず、反射的に声を発してしまった。


「久しぶりだなぁ~」


 巨体と言ってあまりあるであろう男が、にこにこ笑って立っていた。


 もしも彼の背後が褐色だったら、メイの眼には白い歯しか見えないのではないかと思うほど、彼の顔は見事に日焼けしていた。


「朝食中か? ここ、座ってもいいか?」


 トレイを左手に持ち、右人差し指で、メイの正面の椅子を指さした。


「どうぞ?」


 メイは、この男がまだだれか分からないまま頷いた。


「久しぶりだなぁ~」


 先刻と同じセリフを男は繰り返した。


 メイが戸惑っていて、何もしゃべれないでいることに、やっと気がついたらしかった。


「やだなぁ。俺? 覚えてない?」


 メイはヘルメスの記憶バンクをひっくり返してデータを集めたが、該当者が見当たらなかった。


「う――――ん。ちっと体形が変わったからなぁ。第5星系のセレナって恒星知ってるか? あそこの第2惑星は、トレーニング・プラネットとかサナトリウム・プラネットっていうんだよ」


「知ってるわ」


 ヘルメスのデータバンクから情報をすぐに取り寄せた。


「セレナの光が、大気に何らかの作用をするとかしないとか、良く分からねーけどよ。俺、たまたま仕事で行ったもんで、ついでに生体改造してきたんだよ。でも、顔は変わってねーぞ? 俺」


 再び、メイの顔を覗き込む。思わず身体を引いてしまった。


「冷てー奴だな。メイ」

 メイの名前を知っているということは、やっぱり知り合いだ。


 彼女は彼の頭蓋骨認識をヘルメスに送った。骨格の創りを解析したヘルメスからの返答があった。


「カコウ・ナカシマ?」


「そうだ。4年ぶりか! その後おまえが転属になって、ローテーションから外れたからな。忘れるなよ~。同僚だろ? 俺はすぐに分かったってのによ!」


「ごめんなさい。ほら、あたしって、もともと一匹狼っぽいところあったでしょ? 人の顔はすぐ忘れるのよ。見たそばから忘れる自信あるわ」


「そんなん、自慢になるかよ!」


 瑞希は後頭部をゴリゴリ掻いた。


「本当に久しぶりね。今は何をしているの? 当時は恒星キャラバンの1隻を任されてたわよね」


 カコウはあまり人とは関わらなかったメイにも、気さくに声をかけてくれる奴だった。


「今も同じさ。多少昇進したぜ? 今は1個隊のキャプテンをやってる。おまえは?」


「あたし? ご覧の通り、相変わらず一匹狼よ」


「うわさで聞いたんだが、おまえ、片目をやられたんだって?」


「見てのとおりよ」


 メイは、ちょっと左目にかかった髪の毛を上げた。


「客船だったって?」


「そう。バカンスでね。ちょうど乗ってたの。もう古い話よ」


「お前のお陰で、乗員乗客は全員無事だったと聞いたが」


「ラッキーだっただけよ」


「他の船員では、手が出せないような事故だったとか聞いたが?」


「小規模な事故ではあったのよ。ただ、場所が悪かっただけ」


「エンジン系統とか?」


「カコウ。あたしの専門、なんだか知ってる?」


「ワープ・ドライブ機関のプロフェッサーだ。おまえは」


「そう。たまたまあの船にはその専門家がいなかったの。普通の機関士では対応できなかった。あたしが修理しなければならなかっただけよ」


「その代償が目か」


「それと右腕一本」


「おまえ……」


「宇宙に出れば、こんなトラブル日常茶飯事よ」


 メイは左目を細めて笑った。


「今も飛んでいるようだな。その服装だと」


 カコウはあっけらかんと話題を変えた。


 メイはこのさばさばした性格が、そう言えば大好きだった。


 事故の後、入院中「地上勤務に変われ!」とわめき続けたサエコとは正反対だ。


「そう。完璧な一匹狼よ」


「部署は?」


「そんなもんに属してないわ」


「んじゃ、旅客か? 貨物か?」


「どちらでもないわ」


「わっからねーなぁ。相変わらず、短けーセンテンスでしゃべるのな」


 カコウはがつがつとオートミールを口に押し込んだ。


「強いて言えば、役員直属……かしら? 会社のトップシークレットだけ運んでるの」


「独りで?」


「そう」


「なんか、危ねー仕事だな」


「あれが、あたしの船よ」


 メイは恒星間宇宙専用ポートを指さした。カコウは示された方角にゆっくりと首を回した。


「へぇ、中型だが、かなりいい機体に見えるな」


MAって、知ってる?」


「そりゃ、わが社で開発した最新コンピューターだ。それ自体、兵器にも転用できるって噂がある」


「そのMAが、メインコンピューターよ、あの船。『ヘルメス』って私は呼んでる」


「え――――!」


 カコウは椅子から落ちそうになった。


「驚くほどのことじゃないわよ。そうでなければ、あたし一人で船を動かせる訳ないじゃない」


「そりゃ……まぁ、そうだな……うん」


 カコウは妙な納得の仕方だった。


「ところであなたは、これから出発なのかしら? それとも帰ってきたのかしら?」


「帰ってきたところだ。おまえは?」


「同じよ、これから1か月の休暇なの」


「俺は3週間だ」


「そう。どう過ごす予定?」


「部屋で寝て過ごすだけだ」


「色気ないわね~」


「悪かったな。おまえは?」


「しばらく地球を愛してあげるの」


 メイの言葉に、カコウは思わず吹きだした。


「なんだ? そりゃ?」


「しばらく地球を離れ、地球を忘れていたから、今度は宇宙を忘れて、地球を愛するのよ」


「よく、分からねぇな。宇宙と地球ってどこか違うか? 地球も宇宙の中の惑星じゃねーか!」


「カコウには、同一線上に、この二つがあるの?」


 メイも、カコウの意見に不思議そうに疑問を疑問で返した。


「地球は起点であり終点でもあるな。生まれ育った場所だ。だから俺はそこに帰ってきた。ぐるっと一周して帰ってきただけだ」


「ふ――――ん。じゃぁ、宇宙空間は?」


「簡単に言えば、道路だな」


「道路? 凄い例えね。あたしにとって宇宙は特別な場所よ」


「そりゃおまえ! 田舎者のセリフだぜ」


 カコウが無遠慮に笑った。


「田舎者?」


 メイはちょっとムカッと来た。


「そうさ。宇宙が珍しい時代か?」


「ちょっと、違うのに……」


「まぁ、おまえの言いたいことは、何となくは理解できるぜ。そうでなきゃ、俺だって宇宙に出やしないさ。で? どうやって地球を愛してやるんだ?」


 カコウは自分の言葉を肩で笑った。


「笑わないで! 海の近くにセカンドハウスがあるの。そこでゆっくり過ごすわ。青い海と青い空だけの中でね。もっとも地球らしい場所よ」


 人類が宇宙服を着なくても過ごせる「青い惑星」は宇宙広しといえ、生まれ故郷の「地球」しかない。


「いいご身分だな」


「暇だったら、遊びに来て」


「いいのか? 俺は遠慮ってもんを知らなねぇからな。本当に行くぜ?」


 カコウは白い歯を見せた。


「本当に来てよ」


 メイはカコウの腕にはまっている携帯端末に、データを勝手に押し込んだ。


「場所は入れておいたわ。気が向いたら来て」


 メイは、トレイを持った。


「え? おまえ、なにした?」


 カコウは慌てて自分の携帯端末を操作した。


「簡単なことよ。このヘッドバンドはMAと繋がっててね。ちょっとハッキングさせてもらったわ。まぁ、悪用はしないから安心して」


 呆けているカコウに、メイは何気に寂しそうな眼差しを投げたが、それを振り切るように外を眺めた。


「いい天気ね。嬉しくなっちゃう。あたしは行くわね。早く行きたくてうずうずしてんのよ」


 カコウは勝手に登録されている住所から眼を離した。


「ああ、そうだな」


 メイはそのまま姿を消した。

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