死と彼女を想う瀬戸際で

柊准(ひいらぎ じゅん)

第1話 レディース台頭時代

 私は海岸際で煙草をふかしていた。

 肺に煙を入れないこの行為は、仲間には絶対に見せられないけど、彼には見せられる。

 

「葵。東京湾で沈められるのだけはよしてくれよ。なんか、葵って死に急いでいる感じがしてさ」

 そう、物騒なことを言っているのは大炊おおいたけし

 葵と呼ばれた私、滝嶋たきじまあおいは苦笑した。

「そんなのあるわけないだろ。確かに私は色んなところで怨み買ってるけどさ。殺されるようなことはしていな――、いや、余裕でしてるわ」

 すると大炊は笑った。彼の弾むような声を聞くだけで心から癒される。じんわりと胸の内が温かくなった。


「例えばどんなことだよ」

「喧嘩で相手の顔面潰したり、暴力団の組員には指を詰めてやったり。あとは――」

「もういいよ。想像しただけで末恐ろしいよ。葵は女の子なんだから、もう少しだな――、ってなにその顔」

 私は女の子と言われて顔が真っ赤になった。女扱いなんて仲間にはされたことなかった。


 一代で関東中の暴走族を統一した、伝説のレディースの総長であるのが私だ。

 幼少期から男勝りな面もあり、男だろうが女だろうが拳ひとつで叩き伏せてきた。

「やーい、男女」

 それが小学校からの私の渾名だった。最初はその渾名が誇らしくもあったが次第に、恥ずかしくなってきて中学校からはその渾名で呼ぶ奴は問答無用で殴りつぶした。


 するとポケベルが鳴った。見やると仲間の小和田こわだ加奈子かなこが呼んでいる。


「ごめん。そろそろ行くから」

「ああ、ありがとう。また会おうね」

 中性的な顔立ちの大炊からそう言われて、胸の奥がズキンと痛んだ。


―――――――――――――――――――――――――――――


 群馬県。秋名山。

 バイクの轟音とラッパ音。車のエンジン音が山の峰木へ木霊する。

 二車線の道路を完全に封鎖した二つのチームは、お互いにらみ合い牽制している。

 相手は最近勢力を増しているという暴走族、『巨人走者きょじんそうしゃ』だ。

 長髪の男がバイクから降りてけたけたと笑って見せている。そうして挑発しているのだ。


「お前が葵だな」

「あん、コラ。勝手に名前なんか呼ぶんじゃねえよ。殺すぞ」


 するとそいつは私が乗っていたバイクを蹴り飛ばした。乗っていた私は地面に転がる。

 ――こいつ、なんてキック力なの。重量級だわ。


「おいおい、レディースはやっぱり所詮、そんなもんなのか」


 私は次の瞬間には地面を蹴っていた。長髪の鳩尾にアッパーを食らわすと、そいつは一瞬目を白黒させ、後ろに下がった。しかしそいつの反射的な右のストレートが私の頬をかすめる。

 距離を一旦取って、弾んだ呼吸を整える。


「お前、どこからこんな力が出てくるんだよ」

「私には背負ってるものがあるから。それにお前らとは格が違うんだよ。ド三流!!」

「くそ、テメエら総員でやっちまえ」

「いくぞおおおお」


 バイクをその場に捨てて、馬新零夜のレディース達は巨人走者にぶつかっていった。

 ぷつ、ぷつと雨が降ってきた。

 私は無我夢中で雪崩れ込んでくる人間を拳で、平伏させていった。

 だが、一瞬の判断ミスで私の大腿にナイフが刺さった。「うっ」と歯を食い縛る。

 刺した奴の顔を殴り、腹を膝で蹴ったあと刺されたナイフを抜き取ってそいつに刺した。

 少しふらふらとするが、仕方ない。私は先程の長髪のもとへと走った。

 すると、パトカーのサイレンの音が彼方から聞こえた。こちらに向かっている。


「おいコラ、逃げんなよ」

「はっ、馬新零夜ばしんれいやを舐めんなよ。誰か逃げるかよ!!」

 スピーカーから警官の声が喧嘩を辞めるように叫んでいる。

 それを無視してひたすら朝まで殴り合った。


―――――――――――――――――――――――――


 私は十六歳で未成年ということもあり、昼頃には帰宅させてもらえた。

 警察署に迎えにきてくれたのは、大好きな兄貴だ。

「お前、やりすぎだ」

 そうはにかんで笑った。長身でやせ形の兄貴は、私と同じく関東制覇を十年前に果たした喧嘩野郎だ。


「まあ、そうは言っても青春は今だけだからさ。俺、この歳になってわかんだけど十代の経験ってさ。このあとの人生に大きく左右されんだわ。お前には三千人の仲間がいるんだろ。くじけても、痛みが弱さになっても、這い上がれるはずだからさ」

「は? なにさっきから臭い台詞ばっかり言ってんだよ」

 私は眉をひそめる。

「俺、家出るんだわ」

「なんで?」

 私の家庭は少し複雑で、父親が男手ひとつで育ててくれている。毎日コルセットを腰に巻き、ネジ工場に勤務に行く。兄貴はそんな父親を見かねて高校には行かず、アルバイトをしていた。夜はそのストレス発散で喧嘩をし、一万人のチームの総代になった。

「お前は・・・・・・心配しなくていいから」


 この兄貴の言葉の真相が分かるのが、約一ヶ月後のことだった。


 私は自宅でTVを見てると、緊急ニュースが入った。

「和田組構成員の滝嶋 隼人が神奈川県在住の資産家、霧島金江さん、六十五歳を殺害した後に金品や通帳を奪ったとして強盗殺人の疑いで今朝、逮捕されました」

 報道キャスターが至って事務的にそう言った。

 私は、兄貴・・・・・・と口から言葉が漏れて、そのあと信じられなくなって電話をした。しかし繋がらない。


 父親が帰ってきて、詳しく問いただすと白状した。

「隼人は・・・・・・、恋人を暴力団に輪姦されそうになったところを、暴力で解決したそうなんだ。しかし、暴力団の若頭が隼人にけじめをつけるように言ったそうでな。このままうちの組がやられっぱなしじゃあまずいからってな。それで組に入り、強盗殺人を犯したんだ」


 私は愕然とした。言葉が出なかった。自然と膝が折れ、涙が出る。

 父親が私の肩を掴む。

「いいか。まだ引き返せる。お前だけは全うに生きてくれ」

 その言葉がまるで呪いのように脳裏に焼き付いた。


―――――――――――――――――――――――――――


 私はその日、大炊の病室に出向いた。

 大炊は実はステージIVの膵癌だ。

 明日も見えない暗闇のような現状に、大炊は不満ひとつ溢さない。

「ねえ、葵。君の夢はやっぱり……」

 私は歯を食い縛って、それから答えた。


「全国制覇だよ。喧嘩でこの日本の全員の不良を平伏させるんだ」

 すると大炊は含んだ表情を見せた。それは何かしらの真実を知っているかのような表情だった。


「葵、自分を大切にしてくれ。僕はもう君に喧嘩をしてくれなんて強要はしない。ただ、僕の傍にいてほしいんだ」

「・・・・・・」

 大炊は私の手を握ってきた。その手は冷たくひんやりとしていた。

「お願いだ」

 私は黙ったままだった。それを見た大炊は複雑な顔をした。


――――――――――――――――――――――――――――


 私は、どうすればいいのだろう。

 帰り道。バイクに乗って首都環状線を走っていた。

 復讐をしたい気持ちはある。けれど、大炊と一緒にいたい。

 そのアンビバレントな感情が、私の胸を締め付ける。ぎゅっと。ぎゅっと。

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