聴覚過敏が聞く世界

柊 奏汰

聴覚過敏が聞く世界

 僕が聞いている世界の音は、どうやら他の人とは違っているらしい。そう気づいたのは大人になってからのことだった。特にどこかで診断を受けたわけではないけれど、きっと僕の場合「聴覚過敏」というものに入るのだと思っている。

 今日はそんな僕が聞いている世界の話をしよう。


 ある日、僕が熱心にやっている音ゲーを攻略しようとしていた時のこと。相方が同じ音ゲーの別の楽曲を流し始めた途端、自分のゲームの音が全く聞こえなくなってしまったのであった。当然ながらゲームどころではなく、僕はプレーするのをやめた。しかし相方は僕のゲームの音が鳴っていようと平然とプレーを続けている。

 相方に聞いてみると、彼は普通に自分のゲームの音に集中できるらしい。あれ?と思った。僕の感覚で言えば、僕のスマホの音と相方のスマホの音はほぼ同じ音量で僕の耳に入り込んできていて、どちらも同じ音量で聞こえているために音の区別ができない。もしかして僕は、「何かの音を意識して拾い上げる」という能力が欠如しているのではないか、と、ふと思い立つ。


 そのことをきっかけに、僕は自分の周りの音に意識を向けるようになった。実は僕は、人混みなど人の多いところが苦手だ。人の多いところに入ると、高確率で気分が悪くなるか、過度に疲弊する。これまでは、そうなってしまうのは人ごみに揉まれているせいだと思っていた。しかし、音を意識して聞いてみると、どうやらそうではないらしいということが分かってきた。

 僕は一般女性と比べて少し背が高い。身長172cmだ。女性ならば基本的に僕の頭よりも下、さらには肩より下のところに頭が来ることが多い。男性ならば高くても大体僕と同じ目線か、若干見上げるくらいだ。だから、他の人より視線が上にある分、「人ごみに入って人の中に揉まれている」という感覚は、正直ピンとこないのだ。

 ならば音はどうか。日常生活には音が溢れている。

 ショッピングモールに行って音に意識を向けてみると、様々な音が聞こえてくる。人の足音、喋り声、どこかの店の店員さんの呼び込みの声。それだけではない。ショップごとにBGMが流れているし、商品の説明をするために小さなモニターで音を流しながら商品を紹介しているようなコーナーもたくさんある。エスカレーターや冷蔵庫などの機械は常に稼働音がしている。料理店に行けばキッチンからは調理の音が聞こえ、食器とカトラリーが擦れるカチャカチャという音が響く。ゲームセンターではクレーンゲームごとに大きな音でBGMや操作音が鳴っている。

 街の雑踏だってそうだ。車1台ごとに違うエンジン音、タイヤと道路が擦れる音、人の足音や話し声、音の鳴る信号機、街頭スクリーンから流れてくる大音量の音楽。自転車の急ブレーキ音が響くこともあるし、街角でフリーライブをして歌っている人だっている。

 一番苦手なのはドン・キホーテ。あそこはフロア内でも場所によってBGMが違い、小さなモニターの紹介音もやけに大きい。音の宝庫だ。

 相方に聞けば、僕が気になっているそれらの音は特に気にならないものらしい。そして、同時にいろんな音が耳に入ってきたとしても、聞きたい音に集中することで聞きたい音に優先順位をつけ、聞き分けることができるものらしい。しかし、僕にとっては全ての音がやけに大きく聞こえる。例えるならばそう、「全ての音が同じ音量で耳の中に入ってくる」「他人にとっては小さな音でも、大きな音と同等の音の大きさで聞こえる」そういう感覚である。僕は過集中状態になると周りの音が聞こえなくなるほど集中するので、多分集中力の問題とか、そういうことではないと思う。取捨選択できない大音量が常に頭の中に響いているのだ、そりゃあ疲弊だってするだろう。

 ふと思い立ち、思い切って耳栓をして街に出てみる。…驚いた。それまで苦痛でしかなかった音の多いショッピングモールやゲームセンターが、疲れずに普通に歩き回れる空間へと変わったのだった。


 恐らく僕の耳は、他の人よりも音を拾いすぎている。そういえば学生の頃も、遠くで会話している友人の会話の内容もやけにはっきりと拾っていたような気がする。それでその内容が気になって、自分自身を悪く言われているのではないかと気を遣ったりもしたっけ、と思い出す。授業中は、他の人が書いているノートにシャーペンが擦れる音や、ペンを持ち変えるカチャカチャという音がやけに耳に響いていた記憶がある。どの思い出を取っても、思い返してみれば、というものばかりだが、意識していなかっただけで音にはずっと困らされていたのかもしれない。


 しかし、「全ての音が同じような音量で聞こえる」という特性上、便利なこともある。それは音楽を聞くとき。楽曲を聞いていると埋もれがちな、ベース音や細かな装飾音。そんな音も拾って聴けるので、僕は結構な「音フェチ」だ。ここのギターリフやばい、ベース音の動きが天才過ぎる、そんな楽しみ方もすることができるのは、僕の音の感じ方として良かったことではないかと思っている。それを生かして、大学の頃はJ-POPやクラシック曲を聴きながらギターだけの合奏譜に編曲するという、サークルの中でも重要な役割を任せてもらっていたので、悪いだけの感覚ではないという気もしている。ちなみに絶対音感とまではいかずとも相対音感を持っているので、不協和音であってもしっかりと耳が拾う。音の響きに違和感を持ってしまうのは、良いところでもあり、悪いところでもあり、だろうか。


 たくさんの音がある場所が苦手な人へ。もしかしたら僕のように「音を拾いすぎていることへの疲弊」に悩まされているのかもしれない。音をシャットアウトしてみたら、少しだけ生活がしやすくなるかもしれない。

 落ち着かないお子さんに悩んでいる人へ。もしかしたら周りの環境の「音」に気を取られて、集中できていないからかもしれない。音の刺激を減らしてあげると、もしかしたらものすごい力を発揮できるようになるかもしれない。

 音への感じ方は言葉で表すことがとても難しい。しかし、少なくとも音の感じ方に悩んでいる人は、この世にたくさんいる気がする。目を瞑れば見えなくなる視覚情報や、鼻を摘めば感じにくくなる嗅覚情報と違い、音は完全にシャットアウトすることはできない。耳栓をしたとしても多少は聞こえてしまうものなので、完全に絶つことはできない、というのが他の感覚器官と違って厄介なところなのだ。もちろん、視覚過敏や嗅覚過敏、触覚過敏といった感覚も存在するし困っている人がいることも理解しているので、僕が感じる聴覚過敏だけが厄介だと言うつもりは毛頭ない。

 聴覚過敏が聞く世界。こういう人間もいるのだということを知ってもらう一助になれば嬉しいなと思っている。

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