第2話 有色透明

          ⑴


「サメ子おめぇなんだよこれ、こんなひでぇの出せねぇぞ、没。」


真舟編集長に想像通り怒られる。

ですよね。と適当に笑みを返す。



汚れた雑巾の端を摘むように編集長がわたしのA4のメモをヒラヒラさせる。

もちろんそこにはさっきの当たり屋の記事の下書きが書き殴ってある。

付箋に『鮮度が命』と書いて編集長の机に置いたものだ。

 

テトラジャーナルには500人ほど社員がいる。

日本各地の支部に、わたしのように編集記者もいれば、企画、制作、営業、専属のデザイナーやシステムエンジニアなんかもいる。

雑誌を構成する各ジャンルで部署に分かれるような形態をとっている為、編集長だけでも40人くらいいるらしい。


書籍離れの深刻化が叫ばれる現代、テトラジャーナルは業界で唯一、自社のみで企画から配信・印刷までを担うメガ出版だ。


フレックス制度を導入しているので、今朝のわたしのように六時に会社に来ても生体認証でオフィスに入ることができる。


残業も休日も自分のペースで選ぶことができる。もちろん、タイムリミットとクオリティの遵守が大前提ではあるが。



真舟編集長はわたしの直属の上司だ。

三十九歳独身。喫煙者。


何処かハードボイルド調で、気怠そうな目つきと背格好はピンクパンサーに似ている。

弊社は私服出勤が基本だが、編集長は何故か年中紺色のスーツ。

高そうな腕時計を付けて髪や髭もバシッとキメている。

ザ・編集長!という見た目をしており、粘土で【編集長】という漢字を作り、捏ねまくると真舟編集長になるアニメーションがわたしの脳内に流れる。


その癖何処か抜けていて、よく見ると靴下が左右で違ったり、未だにポケットに小銭をジャラジャラ入れていたり、五本で百円のチョコチップパンを3日くらいかけて食べる人間臭い一面もある。


社内では"イケオジ"やら"ギャップ萌え"やら言われることもあるらしいがわたしはそうは思わない。

"だらしないけど偉い人" とか

"優しいけどだらしない人" がしっくりくる。

要はだらしないのだ。言い過ぎかな。


あ、そうだ。サメ子というのはわたしの愛称。

鮫川だからサメ子。

いつからか誰かが勝手に呼び出した愛称だ。

わたし自身、あまり気に入っていない。


一応、この話の主人公である。



         


          ⑵


「だからなんなんだよ、これ。当たり屋って。

ちょっとした警察沙汰じゃねぇか。まぁ無事だったから何よりだけどよ。そんなチンピラ追い返せんのもお前くらいのこった。」


「保守的で画一的。それでいてオーソドックスな当たり屋だったんですよ。わたしなんだか感動しちゃって。ダメですかね、当たり屋さん。締切あと2日しかないのに残機ジリ貧なんです。」


「そりゃ読者も興味はあるかもだけどな。当たり屋。これを良しとすると俺が上に怒られる。」


編集長は吐き捨てるように言うと、プリペイドカードをわたしに投げた。


「俺、ブラック」


ビタンと床に落ちた可哀想なカードを拾い上げる。編集長はわざとらしくスマホをいじり始めたので、わたしは無言で部屋を出た。


毎朝1階の自販機に編集長(とわたし)のモーニングを買いに行くのは日課の一つ。

パシりハラスメントとか無いのかな、と思いながらわたしは部屋を出た。



編集長から預かったプリペイドカードを自販機にかざす。

残額は千二百円。

もう3月も終わりか、とわたしはため息を付く。


「ん」


毎朝押しているブラックコーヒーのボタンが【売り切れ】と赤く光っている。


仕方ないので、わたしの分のミルクティーと編集長にはその隣のあったか〜い微糖のコーヒーを買って自販機を後にした。




「なんで微糖なんだよ!えぇ⁉︎ブラックは⁉︎」


案の定、編集長は怒る。


「売り切れなんです。」


「じゃあぽかぽかレモンにしろよ!ぽかぽかレモン!前に言わなかったか⁉︎俺は微糖のコーヒー飲めねぇの!」


「ぽかぽかレモン、ですか。」


「そうだよ!なんならブラックコーヒーより好きだよ!ぽかぽかレモン!」


反抗期の子供のように編集長が喚く。


「じゃあなんで毎朝ブラック飲んでるんですか」


「編集長だからだよ!ブラック飲んでた方が編集長っぽいだろうが!朝からぽかぽかレモン飲んでる編集長ダセぇだろ!!」


「何なんです、それ。」


「ああ!クソ!この際だから言うけどな!俺だって好きでブラック飲んでるわけじゃねぇの!ほんとは毎朝ぽかぽかレモン飲みたいの!

ああ!この鉛筆も!ほんとはシャーペン使いたいけど我慢して使ってんの!」


「何なんですかそれ」


「シャーペンより濃い鉛筆使ってる方が編集長っぽいだろうが!文脈から察しろよ!なんか格式あるだろ鉛筆の方が!俺が編集長としての体裁を取り繕うのにどれだけ努力してるかお前ら何にもわかってねぇんだ畜生!」


さっきとは一変し、ここまで来るともはや酔っ払いだ。


「じゃあこっち飲みますか?」


とわたしの分のミルクティーを差し出す。これ以上朝から編集長の血圧が上がるのも心配だし、何より鬱陶しい。


「お、おぉう。サンキュー悪ぃな。」


と落ち着きを取り戻した編集長は、自分のデスクでもぐもぐとチョコチップパンとミルクティーを食す。



今年で四年目。この人の操縦にも慣れた。


隣で新入社員の女の子がドン引きしてるのを尻目に、(チョコチップパンは編集長の体裁的にどうなんだ)と思いながらわたしも微糖のコーヒーを飲む。


「あ、そうだサメ子。」

編集長がわたしの方を見る。


「俺の知り合いに自販機の補充してる子会社の社長がいる。さっきアポ取ってやったから話聞いてこい。」


チョコチップパンの先端でわたしを指す。

いかにもボスの指令、といった口調だ。


「やっぱり当たり屋はダメなんですか」

「よっぽど俺をクビにしたいらしいな。お前。」


わたしの脳内でラッパを吹いていた天使たちが

劇画風の絶望の顔をして消えた。

しかし締切2日前にも関わらず、残機の乏しい今のわたしにとってはとてもありがたい話だ。


「十時に駅の四番北口だ。安心しろ。人の良さそうなおっさんだ。行ってこい。」


世話が焼ける部下だぜ、というように編集長がやれやれのポーズをする。


「編集長。」


「礼ならいいから行け。上司の仕事の範疇だ。」


「口の横、チョコチップ付いてます。」 


パーカーを羽織り、小走りでわたしはオフィスを出た。






          ⑶


駅の時計が十時を指す。

少ししてから、小太りの男性がわたしの方に小走りで駆け寄ってきた。

この人たぶん社長さんだ。と一目でわかる容姿をしている。また脳内で粘土をこねる。


「こんにちははじめまして。株式会社テトラジャーナルの鮫川と申します。 本日はお忙しい中、ありがとうございます。」


初対面の目上の人には自分から挨拶すること。

社会人になりたての頃に何かの研修で習った。


「君が鮫川さん、だね?オルサードリンクの古賀です。真舟に話は聞いてるよ。よろしく。」


古賀社長は優しそうに微笑むと丁寧に名刺を交換してくれた。


「なにか温かいものでも口にしましょうか。

仕事柄、私はすぐ喉が乾いてね。」


いたずらっ子の様に微笑む古賀社長を見て、緊張していたわたしの身体はすっかり安堵していた。

 

近くのカフェに移動したわたしたちは、窓際の席に向かい合って座った。


コーヒーを頼んで少し雑談した後、『普段、町で目にする自販機の交換をしてる人って社員さんなんですか?』と自然な流れで本題に入った。

これは我ながら上手かった。


「あぁ、あれは半分が社員、半分がアルバイトって感じだよ。」


コーヒーをかき混ぜながら古賀社長は答えた。

砂糖もミルクも入れてないけど、やたら混ぜてる。


「"自販機の補充員"と一口に言っても彼らにもさまざまな仕事があるんだよ。売上金の集金に回ったり、ゴミ箱の空き缶回収なんかも弊社の社員が行う。」


古賀社長が丁寧に説明してくれる。

そうなんですか、とわたしは驚く。


「うちは自販機を使ってもらわないと売り上げにつながらないからね。店頭や街角に自販機をおいてもらうための営業活動もするし、各飲料メーカーと地域の営業所とのマーケティング会議なんてのも頻繁にある。」


瞬きも忘れてノートに書き込む。

きっとこの先どこかで後述するけど、わたしは昔から【マス目が好き】と言う理由で、筆記する媒体は全て漢字帳に統一している。

1マスが点線で縦横に4つに分けられた、漢字の練習をするときに使うあのノートだ。

4つに区切られた小さなマスに1文字ずつ文字を書く。



今の記者はほとんどスマホやタブレットを駆使して取材するが、わたしはこの仕事を始めた当初から漢字帳とペンで戦っている。

真舟編集長じゃないけど、こっちの方が記者っぽいからだ。


古賀社長は久々に帰省した娘に語る様に、楽しそうに話を続ける。


「季節や設置箇所によって業務の量も変わるし、新商品の売れ行き管理なども統計を取ってデータをメーカーに送っているんだ。」


わたしの知らない知識がノート(漢字帳)にどんどん吸収されていく。

自販機を開けて飲み物を補充しているだけだと思っていた人たちが、こんなに大変な職業だったとは。


「思ってたより、大変そうな仕事だろ。」

古賀社長が微笑む。


「失礼も承知で申しますと正直ナメてました。」


参りました。という様にわたしは頭を下げる。

言も動も本音だ。


「真舟の言う通り、面白い子だね。」


満足そうに古賀社長は微笑み、コーヒーのおかわりを頼んだ。


「お仕事の中で一番大変なことって何ですか?」


四色ボールペンの色を黒から青に変えて、わたしは尋ねた。

うーん、と古賀社長は少し考える。


「力仕事うんぬんもあるんだけどね、一番の敵はやっぱり人間だよ。分別しないやつもいるし、空き缶に吸い殻入れるやつもいる。

酷い時はペットボトルに小便入れてるやつもいやがった。長距離トラックの運転手とかだろうけどね。」


えげつない話の内容とは裏腹に、嫌な顔一つせず社長は言った。

わたしには無い、大人の余裕ってやつだ。


真剣な表情でわたしは古賀社長を見つめる。

ペンの色は赤。


「最後の質問なんですけど、このお仕事の”やりがい”を教えてください」


「やりがい、か。」


古賀社長は少し考える素振りを見せて、窓の外を見た。

もう20年くらい前かな、と懐かしむ様に話し始める。

 

「茹だる様な夏の暑い日に、高校の体育館の自販機を交換しててね。その頃はまだこの仕事についたばかりだったから、めんどくさい、とか給料入ったら何買おうかとか思いながら言われた仕事を言われた通りに、毎日こなしてる感じだったよ。」


少し恥ずかしそうに古賀社長は笑う。


「バレー部の男の子たちが部活の休憩時間に私の方に駆け寄ってきてね、今、飲み物買えますか!?って。

買えるけど、今補充したばかりだからあんまり冷えてないよ、って伝えたんだ。

それでもいいですって。

汗まみれの男の子たちが腹ペコの犬みたいに自販機に群がるのを見たんだよ。」


窓の外を歩く学生に思い出を重ねる様に、

記憶を確かめながら古賀社長が話す。

わたしはペンを置いた。

赤のインクはなんとなく不要な気がした。



「それで思ったね。あぁ、必要なんだって。私の仕事も誰かの役に立っているんだって。」


古賀社長が窓から視線を移して、コーヒーに映る自分の顔を真剣な眼差しで見つめる。


「私があの日自販機を交換しなかったら、あの子達はぬるい水道水を飲んだのかな。

もしかしたら、脱水症状になってたかも知れない。

もっと大袈裟に言うと、水分補給が出来なくて、

練習の質が落ちて、行けたはずの大会に行けなかったかもしれない。」


声は笑っているが、どこか威厳のある言い方。

 

「みんな個々に役割を持っているんだ。必要のない仕事なんてないんだよねぇ。例えアルバイトでも。日雇いでも。与えられた役割を精一杯こなして、いつのまにか誰かを助けて、上手いこと世の中って回ってるんだよね。」


普段気づけない仕事があるんだ


見えているのに、何にも知らないんだ。

その人たちのこと。

日常を消費する中で、気にも留めてない人たちに

知らないところで助けられてるんだ。わたし。

みぞおちの少し下らへんがモゾモゾする。


「あえて使い古された言い回しをするけどね、

人はみんな歯車なんだと私は思うんだ。」


「ハグルマ、ですか」


「そう。歯車。仕事をしている人は会社の歯車。

会社は社会の歯車。

部下だって上司だって。社長だって。組織であれ個人であれ、誰かは誰かの歯車なんだ。」


古賀社長がわたしの方を見る。


「次の人にバトンを渡す小さな伝達歯車もいて。

何かを動かす大きな駆動歯車もいる。

コーヒー豆を作る人も、カフェの店員も、トイレの清掃員も。みんな誰かの歯車なんだよ。」


辺りを見渡し、最後にわたしと目が合うと、


「ちょっと説教臭かったかなぁ。」


と、照れ臭そうに笑った。


「どうせ俺たちなんか会社の歯車だからよぉ、 

って缶酎ハイ片手に愚痴る若者もいますけどね。」


とわたしが茶化すと


「缶の分別さえきちんとしてくれればわたしは構わないよ」


と笑った。

 


会計を済ませて、再び私たちは駅前に移動した。


「本日はお忙しい中ありがとうございました。なんか、元気が出ました。」


「それはよかった。いい記事になることを期待してるよ。」


古賀社長はわたしと握手を交わすと

真舟によろしく。とにっこり笑った。


そして思い出した様に

「そう言えば鮫川さん、年はいくつなんだい」

とわたしに訊ねた。


「レディに歳を聞くんですか、社長。」


「私からしてみれば、君はまだガールだ」

古賀社長が笑う。


「今年、年女です。」


「そうかそうか。やっぱり。わたしの娘と同い年くらいかな、と思ってね。」


何気ない古賀社長の言葉に一瞬、

胸がキュウっと傷んだ。

脳裏に湧き出る薄暗い霧を急いで振り払って

わたしは笑顔を作る。


「わたしも、父に会いたくなりました」


「たまには連絡してあげるといいよ。父親ってのは娘が可愛くて仕方ない生き物なんだから。」



    


          ⑷


自販機補充員の記事は、予想通り好評だった。

名刺に書かれた古賀社長のアドレスに御礼のメールを送った。

後日、古賀社長から御礼の返信と、自販機で使えるプリペイドカードが届いた。


仕事を通して知り合った人に、御礼を言われると

こんなわたしでも嬉しくなる。

早速飲み物を買いに行こう、とご機嫌で立ち上がる。

歓喜に満ちた幼気なわたしに一瞥もくれず、真舟編集長が後ろから氷のように冷たい言葉を浴びせる。

 

「俺、ブラックな」


いつものやつ。よろしく。

声はないけど、声色がそう言っている。

反抗期なのかな。と時々編集長が本気で心配になる。


ビタンと床に投げられた可哀想なカードを拾い上げ、そんなんだから独身なんですよ、と思いながらわたしは部屋を出た。


編集長から預かったプリペイドカードを自販機にかざす。

残額は六百円。明日からもう四月だな、とわたしはため息を付く。


「ん」


毎朝押しているブラックコーヒーのボタンから【売り切れ】のランプが消えていた。

いつのまにか、補充に来てくれてるみたいだ。


誰かの歯車。


わたしの唇が小さく動く。

ボタンを押して、なんとなく自販機に会釈する。



みんな、きっと知らず知らず

誰かの役に立っている。


頭上にある照明も

道路に立ってる電柱も

消化器も

この自販機だって


知らない誰かが発明して

誰かが設計して、製造して

誰かがここまで運んで

設置した人がいる。


真舟編集長の我儘な歯車をわたしと古賀社長がほんの少しだけ動かした様な気がして、なんだか可笑しかった。


両手に握ったぽかぽかレモンが

ほんのり温かい。

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