第22話 カナデ様の通行を邪魔する者は――。

「急用ができた」と言って、クールな友人は足早に講義室から出て行った。

 

「…………」


 幼い妹のこととなると異様に素早いクールな男を取り逃がしたカナデが、苦虫を嚙み潰したような顔で腕組みをする。

 授業を放っていくぐらいの事件がハナに起こっているのか?

 ハナは『安全な教室』で授業を受けるから『あの女生徒』と顔を合わせることはないと言っていたのはアイツだろうに。


『気性が荒い』という枠ではおさまりきらぬ猫だとしても、ヤツは強くはない。

 まさか教師が……?

 

 あの学園長、ハナのことをやたらと見つめていたくせに猫好きじゃなかったのか。

 猫に乱暴をするような人間をハナの側に置くなど――。


 いつもと僅かに違う鳴き声、『おにぃにあぁーん!』が耳から離れない。


 彼は自分がクールな男と同様に冷静さを失っていることに気付かなかった。

 そうして、桔梗院様で俺様なカナデ様は誰にも止められることなく、しなやかな身のこなしで颯爽と、講義室を後にしたのである。



 カナデ様に尋ねられて『猫様の個人情報はちょっと……』と答える人間はいない。

『俺はアイツの婚約者だ』『猫様とご婚約を……』などという説明が面倒で視線が鬱陶しそうなやりとりをする必要はなかった。


 通りすがりの教員に『やんごとない猫様な生徒のために用意された素敵な教室』を調べさせる。

 複雑な構内の地図を一瞥しただけで把握し、驚く教師を置き去りにした彼は、迷いのない足取りで『悪役令嬢ハナにゃんが苦しんでいる場所』へとたどり着き――目的地の手前で、『例の女生徒』を発見した。


 眉間にぐっと皺が寄る。

 何故ここに――?

 ハナに何かをするつもりか?


 ゴシック様式で建設された神聖な学園、傾けたチェス盤を思わせる白黒の床に、燭台の明かりが反射する。


 厳かで美しい廊下のど真ん中で立ち止まっている怪しい女生徒は、こそこそするでもなく、手元の教科書に視線を落とし、ひとりで何かを呟いている。


「あの、先生……ここが分からなくて……先生じゃないと、解けない問題なんです……」


 難儀なことだ。只人には見えぬ教師から勉強を教わっているらしい。

 カナデはせせら笑うように目を細めた。


『優れた幽霊の教師』が無駄に広い学園内を徘徊していて、『今年入学した生徒のために用意された教科書に載っているというのに、知名度が低く所在の知れぬ幽霊にしか解けぬ』、非常に底意地と視認性の悪い問題を、『要注意人物である女生徒』が偶発的に見つけ、困り果てたあげく『己の授業を抜け出して』教わりにくる。


 そしてその場所が、偶然にも『ハナの教室前』だった。


 そのようなふざけたことが都合よく起こるわけがあるまい。


 本当にそうだとすれば、随分と『女生徒にのみ有益』で、不自然極まりない偶然といえよう。

 目の前の女がハナの居場所に興味があるとすれば、だが。


 意外と心の広いカナデ様は『女生徒が姿なき教師に教えを乞うている可能性』を排除することはしなかった。

『上級生も知らぬ幽霊教師を何故貴様が知っている』『その問題とやらは授業よりも大切なものなのか』『登校初日に?』という数え上げればキリがない違和感にも、敢えてふれはしない。


 しかしだからといって、彼女をこのまま放置するほどお優しいわけでもなかった。

 この芝居じみた台詞を吐く女のいう『先生』がハナの教師だった場合、排除しなかったことによって不愉快な想いをするのは十中八九、クールな友人と自分だろう。


 カナデは本来の彼らしい表情『つまらぬ者を見た』とでも思っていそうな顔のまま、彼の後方にいるであろうボディーガードを指先で呼んだ。


「――懺悔室にでも連れていってやれ」

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