第12話 それは悪魔的な――。

 まるで赤ん坊のようにすべすべの――という考えが浮かぶ前に、手の中からそれが消えた。


「貴様――。目を開けたら殺す。開けなくても殺すが」


「ここは俺の部屋だ。――ったくなんで今日はどいつもこいつも殺気立ってるんだ……」


 殺気立っているのは両方とも千代鶴家の人間である。



「お前の罪は家族会議で裁く。逃げられると思うな」


 クールな男がクールな声で言いがかりをつける。

 カナデは額に青筋を浮かべながら、腕組みをして黙っていた。


『その猫を知っているのか。さっきは知らんと言っていただろ。連れてかえるなら土管も持ってけ。幼い妹はどうした』


 言いたいこと、訊きたいことはある。だが不機嫌なコイツの相手をするのは面倒だ。


 それにしても、いったい何から逃げるというんだ。――と一笑に付したところで、『殺意溢るる猫』を見たあとの己が頭を過る。

 否、あの場でヤツと戦うのは無理だ。あの生き物に攻撃はできない。


 とりとめもなく考えているあいだに、隣の部屋でひとの服を漁っていた男の気配と、猫らしき生き物の気配が遠のいていった。

 もういいだろうと思い、瞼を上げ、視線を動かす。


 カナデの目に、扉へと近付くクールな男の背、男の首に回された、ほっそりした白い手、が――。


「――は……――」吐息まじりの声が漏れる。


 友人の肩越しに、真っ白な猫耳をつけた絶世の美少女と一瞬、目が合ったような気がした。



 不機嫌な男が廊下に出ると、腕の中のそれが、一段と軽くなった。


「お兄にゃーん」 


「――戻ったのか」


 クールなお兄様は数分で人間――とは言い切れないが、『人間の割合が増えたような姿』から、ふたたび猫の割合が増え、ある意味見慣れた姿になった妹を『戻った』と表現した。


 なぜなら、さきほどの彼女は、普通の状態ではなかったからだ。

 それは、彼の幼くて可愛い妹を数年分以上成長させたかのような、迂闊に男の目にふれさせれば誘拐されるのでは、と危惧するほどに危うい、愛くるしくも美しい、いかにも悪魔じみた姿だった。


 あれはいったい何歳のハナなのか――もしかすると、十年、否、二十年、否、三十年後――。


 彼は本人に知られれば『これぞ悪役令嬢……』というほど暴れられそうなことを考えつつ、いつものクールなお兄様の表情で、ワタ的なものが詰まった可愛い妹の頭をなでた。


 そして人の家の執事に「いってらっしゃいませ、紫苑様」と声を掛けられ、視線で応えると、『家族会議』を開くため、運転手のあけた車に乗り込んだ。



 次の日、可愛らしくおめかしをしたもこもこ悪役令嬢ハナちゃんを抱えて桔梗院家にのりこんだ『お兄様』は、ベッドでうなされている男を叩き起こしてこう告げた。


「喜べ。お前は今日からうちの幼い妹の婚約者だ」と。


 これにより、寝起き、寝不足、ストレス過多、にも関わらず猫不足、つまり圧倒的癒し不足でお疲れのため昨日目撃した超美少女を夢だと思っているカナデはキレ気味に答えた。


「おい、せめてワタが詰まってない生き物を連れてこい」


 そしてワタが詰まっている生き物は癇癪を起した。

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