第7話 優等生と問題児

★前回までのあらすじ

 サックスにマダックス、そしてミックス……。紆余曲折の末に、どうにか〇っクスしないと出られない部屋からの脱出を果たした茨。「そんなことで脱出できるのか?」と疑問を持たれる読者の方もいらっしゃるかもしれないが、この作品は全年齢対象でよい子のみんなも読むことを想定しているので、これでいいのだった。

 だが、「果たしてよい子のみんなはこの作品を読んでいるのだろうか?」と疑問を抱く今日この頃だった。


~本編~

 茨はいつもの通学路を急いでいた。ユーフラテスが作り出した珍妙な空間からは無事に抜け出せたものの、魔法がかけられた空間内でおよそ6時間過ごしたため、外界では60分が経過していた。(第5話参照)

 茨の通う万創高校(通称:バンソーコー)では毎朝8時40分に朝のホームルームがあり、この時間に連絡事項や生徒指導などが行われる。さらに出欠確認も取られるため、この時間までに席にいない者は遅刻or欠席と見なされてしまうのだ。

 現在の時刻は8時25分。ホームルームの開始までにはあと15分程余裕がある。そして家から学校までは歩いておよそ20分。急げばどうにか間に合いそうな時間だ。そんなわけで茨はいつもの通学路をいつにない速足で駆けていた。だが、快調に進んでいた茨の足は赤信号の前にぴたりと止まる。

「うわ……最悪……」

 茨は思わず吐き捨てるようにつぶやいた。茨が行く手を阻まれたのは大通りに面する交差点で、交通量が多いのが特徴だ。特に朝の通勤通学時間帯と夕方の帰宅ラッシュの時間帯はそれが顕著で、非常に混むのだ。歩行者用信号もその影響をもろに受けており、なかなか青にはならず、青に変わったと思えばほんの十数秒でまた赤に逆戻りだ。その上、そこから再び青信号にまるまでがまた長い。故にこの信号は近隣住民から「開かずの踏切」ならぬ「変わらずの信号」と呼ばれ恐れられていた。

 今日もいつも通りになかなか青にならない信号に苛立ちながらスマホの画面を確認すると、時刻は8時30分になっていた。ホームルームと出欠確認が始まるまで残り10分。このまま大人しく待っていれば遅刻は避けられそうにない。

「くっ……こんなことならユーフラテスあいつに学校まで送ってもらえば……」

 そう考えた茨の頭に、ユーフラテスの台詞が浮かぶ。


『本来ならば転移失敗によってバラバラになって死んでいたか、成功していたとしても腕や足、もしくは臓器などの体の一部を失っていたことでしょう。対象物の構造が複雑だと成功率は著しく低下するんですよー。どこも欠損することなく転移が成功したのは、まさしく奇跡としか言いようがありませんねー』


「……いや、ダメだ! バラバラになるっ……! そんなグロい死に方、嫌だ……!」

「神崎さん……だよね……?」

 茨がぶつぶつと独り言を言っていると、背後から声をかけられた。不意に名前を呼ばれたことに驚いて振り返ると、そこには茨と同じ制服を着た一人の女子生徒が立っていた。身長は160cm前後。目鼻のくっきりとした顔立ちには、しっかりとメイクが施されている。必要最低限の薄化粧の茨とは対照的だ。違いはメイクだけではない。ウェーブのかかった茶色のロングヘアー、着崩した制服、キーホルダーやバッジで装飾したスクールバッグ……。何もかもが茨とは対照的だった。

「えっと、確か同じクラスの……」

 見覚えのある顔に試みた茨はだったが、言葉はそこで途切れた。名前が出てこないのだ。同じクラスの生徒だということはかろうじて分かったが、それ以上の情報が出てこない。

「……」

「……」

 両者は互いに黙り込み、重苦しい沈黙が流れる。

(き、気まずい……いたた……)

 茨は心の中でつぶやく。あまりの気まずさに、胃がキリキリと痛み出した。

(んっ? キリキリ……? きりきり……そうだ!)

 しかしその痛みは茨にとって思わぬ助け舟となった。

「桐山さん! 桐山さんだよね?」

 茨は思い出した名前を連呼する。彼女の名前は桐山桐花きりやまきりか。クラス替えの後の自己紹介でその名を聞いた時、ぼんやりと「苗字と名前で韻を踏んでるな」と考えたことを思い出した。だが、今日に至るまで二人の間に交流はなく、名前を憶えていないのは無理からぬことだった。

「う、うん(確実に名前忘れてたな、この人……)」

 思い出した弾みでテンションと声量の調整を誤った茨に、桐花は若干引いた。

「大丈夫? バラバラとか何とか言ってたみたいだけど……」

(ま、まずい……何とか誤魔化さないと)

「えーっと……このままだと心と体がバラバラになるって言ってただけだから大丈夫だよ!」

「そ、それは大丈夫なの……? かなり病んでる状態のような気がするけど……」

「だ、大丈夫! 私、常日頃から闇を抱えて生きてるから!」

「それはそれで心配になるけど……」

 何とかその場を取り繕おうとした結果、誤魔化すどころか余計に心配される事態となった。さらに桐花は恐る恐る茨に尋ねる。

「まさかとは思うけど……自殺……とか考えてない……よね?」

「じ、自殺ぅ? 何でそう思うの?」

「……だってさっき『そんなグロい死に方、嫌だ』って言ってたから……」

(がっつり聞かれてたー! 誤魔化した意味なかったー!)

「あ、あれは……『そんぐらい尻硬いや』って言ってたの!」

「どういう独り言!?」

「うん、もうちょっと最近色々あってさー。ほんと大変なんだよねー、あはは……」

 茨は意味不明な言い訳を口走り、乾いた笑いを上げた。

「……」

「……」

 二人の間に再び沈黙が訪れる。二人は同じクラスで顔と名前を知ってはいたが、今まで一度も交流をしたことはなかった。それどころか言葉を交わしたことすらない。これが二人の初めての会話だった。

「とりあえず……行かない? 青になったみたいだし」

 そう言って桐花は信号を指差した。ぎこちないファーストコンタクトの間に信号は青へと変わっていた。桐花の言葉を受け、茨は歩き出す。

「珍しいね。真面目な神崎さんがこんな時間にこんなところにいるなんてさ」

「まぁ、ちょっと出がけに色々あってね……。桐山さんは……いつもこの時間なの?」

「んー? 今日はいつもより早いかなー。まだ授業も始まる前だし」

 桐花は警戒心を少し緩めたように、フランクな口調でそう返した。茨は隣を歩くクラスメートを横目でちらりと見遣った。

 実を言うと茨は桐花のことが苦手だった。色々と良くない噂を耳にしていたし、実際に遅刻や欠席が多く生活態度も悪かった。クラス内でも孤立しており、誰かと話している姿を見たことはない。クラスで浮いているという点に関しては茨も負けてはいないのだが。

「……」

「……」

 三度目の沈黙。しばらくの静寂の後、それを破ったのはまたしても桐花だった。

「あたしさー、学校辞めようかと思ってるんだよね」

「そう……なんだ」

 茨は曖昧にそう返し、桐花は続ける。

「全然勉強ついていけないし、続けたとしてもこのままじゃ留年かなー。その点いいよね神崎さんは。成績優秀だからついていけないなんてことないでしょ?」

「まぁ……ないけど」

「ほんとはさ……もうちょい下のレベルの学校に行く予定だったんだ、あたし。それがたまたま受かっちゃって親と担任に「万創に受かったなら、もっと上の学校を目指すべきだ」って言いくるめられたんだけど、結局ダメで。そんでバンソーコーに入ってみれば全然レベチでさ。周りの子たちとも全然話合わないし……このまま通い続けて何か意味あんのかなーって思うんだよね」

 その言葉に茨は強烈な共感を抱いた。彼女もまた自分と同じ悩みを抱いていることを知ったからだ。

「私も……そうだよ」

「えっ?」

「私も本当は別の高校に行くつもりだった。でもダメだった。それで仕方なく通ってるけど……別にやりたいこともないし、学校が楽しいとも思えない。このまま続けて何か意味があるのかって毎日思ってるよ」

「……そうだったんだ。じゃあ受験落ち友達だね、あたしたち」

 茨の話を聞いた桐花はしみじみとつぶやいた後、にっと笑ってみせた。ふたりはオチトモ。

 斯くして一見何の共通点もなさそうな優等生と問題児の二人は、小さな友情を結んだのだった。


「すみませーん! 遅刻しましたー」

 桐花は教室の前のドアを開けると、高らかにそう宣言した。教室中の視線が一斉に桐花に集まる。結局ホームルームには間に合わず、二人が学校に到着した頃には既に一時間目の授業が始まっていた。

「まーた遅刻か桐山。お前はいい加減にしないと……って、今日は神崎も遅刻か? 珍しいな……」

 教師の関心は遅刻常習犯の桐花ではなく、優等生の茨に向けられた。

「まぁいい。早く席に着きなさい」

 日頃の行いのおかげか、それ以上は追及されることはなかった。二人はそれぞれ自分の席に着く。

「結局、遅刻しちゃいましたねー」

 隣の席の黒いとんがり帽子をかぶった少女が、着席した茨に話しかける。

「一番の原因が他人事みたいに言うな! それよりその制服はどうしたのよ?」

 茨は少女がいつもの黒づくめの恰好ではなく、バンソーコーの制服を着ていることを指摘した。

「魔法で用意したんですよー」

「ふーん、魔法ね」

 茨は納得したように頷くと、前を向いた。

「……ていうか、なんでお前がここにいるんだよっ!!!!」

 そしてすぐさまユーフラテスが教室にいることにツッコミを入れた。第3話「魔法少女がやって来た!(家に)」以来のノリツッコミだった。

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