歪な恋の形

春宮 絵里

第1話






  親友の水沢菜月が死んだ。私を庇って。


「いやっ……」


  家の前を車が通るたびに一週間前の記憶がフラッシュバックする。


  塾の帰り、いつも通りコンビニでアイスを買って一緒に帰っていた。今はもう、思い出したくない。横顔も、声も、話していた明日の約束も。


 あの日からずっと、布団の中で縮こまって震えている。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。私なんかを庇うなんて、本当にごめんなさい。


 葬式のときの菜月の両親の虚ろな瞳が忘れられない。


 菜月に関する何かを思い出すたび、髪の毛を抜いたり、腕を掻き毟ったり、頭を殴りつけてしまう。


 好きでもないポッドキャストのイヤホンを外して、スマホを手に取る。液晶には17時と表示されていた。


 何もかもが億劫でただ死んだように生きていた。3日ぶりにシャワーを浴びようと、のそりと部屋から出て洗面所の鏡を見ると、見るに堪えないやつれた顔があった。


 温かいシャワーを顔全体に吹きかけると、涙が込み上げてきた。


ーーごめんね、菜月。


 丁寧に髪を乾かして鏡を覗くと、シャワーのおかげか血色感のある顔が目に入った。


 部屋に戻り、葬式ぶりに制服に腕を通すと、駆け足でローファーを履いて家を出た。


 空が茜色に垂れこめた。日が、暮れ始めていた。


 夕方の心地よい風が吹き込む。紫色の空を眺めながら、通学路を辿る。


 教室の扉を開けると、中には誰もいなかった。廊下は部活の声で溢れている。


 花がそえられた菜月の机に一直線に向い、席に座る。菜月の存在を確かめたかった。

しばらくそうしてぼんやりしていると、教室の扉が開く音がして、音の方へ意識を向けた。


「…………瀬川くん」


 学校の人気者である瀬川翼。美しい容姿に加え、勉学運動共に完璧というハイスペックがその人気の由来だ。

形の良い眉、筋の通った鼻筋、色素の薄い長い睫毛。夕日の光加減で、彼の蜂蜜色の髪を金髪のように輝かせている。


ーーどこか非現実的な美しさだった。


 そんな彼は、学校を休んでいた私と花のそえられた菜月の机を見比べて微笑んだ。


「学校、休んでいたけれど体調は大丈夫?」

「ええ、まぁ…………」


 目を伏せて答える間に、瀬川くんが目の前に立っていた。その美しい輪郭は、ちょうど廊下の窓から射す夕日を受けて、顔の精緻さに拍車をかけている。


「水沢さんって本当にいい子だったよね」


 菜月の机に指を滑らせながら、そう呟いた瀬川くんはいつも学校で見るような爽やかな笑みはなりを潜め、酷薄そうな表情を浮かべている。


 息が詰まりそうな空気に思わず眉をひそめてしまった。


 瀬川くんは作り物のような顔を貼り付けて、ほそい指先で机に供えられた花を弄んでいる。私の反応を楽しむかのように、顔をのぞきこんで、耳元で囁いた。


「水沢さんはさ、長谷部さんが殺したようなものだよね」


 一瞬の静けさが教室を支配した。部活の喧騒が響く。


 グラグラと視界が揺れて、足場が崩れていくような感覚、教室が背後に遠のいていくような錯覚を味わう。


 おそらく今の私の顔は真っ青だろう。


 それは、正面切って告げられるにはあまりにも非道な事実だった。


 菜月が乾いた瞳で私をみつめている。私を、みつめてーー。


 自分の思考に不穏な空気を感じて音を立てて席を立ち、背を向けて窓辺に立つ。


 背後からゆっくりと追い詰めるように靴音を鳴らしながら迫ってくる。耐えきれずに振り返ると、無表情の瀬川くんが私を見下ろしていた。


 妙に不気味な感じがして、後ずさる。その距離を埋めるように一歩詰めてくる瀬川くんと、ゼロ距離で対面することになった。


ーーその瞬間、窓から突風が吹き込んでカーテンが舞う。


「ははっ。でもそうか、死んじゃったのか」


 瀬川くんは、私の頬に手を添えて低く笑った。

私に話しかけているのに目が合わない。合っているはずなのに、意識をまるで感じない。背中が寒くなるのを感じた。


 夏なのに冷たい指先が私の輪郭をなぞっていく。

不気味さと哀しさに唇を噛むと、輪郭をなぞっていた指が私の唇を這ってきた。

瀬川くんは、親指で私の下唇を抑えると耳元に口を寄せて、


「最後まで可哀想な子だったね」


 全身の血が逆流していく。頭にどんどんと血がのぼっていくのがわかる。


 普段からは考えられないような速さで、もう用は無いと言うかのように背を向けた瀬川の首を掴むと、その勢いのまま押し倒して首を絞めた。


「あんたなんかに……あんたなんかに菜月の何がわかるの!」


 激昂して散った涙が瀬川の頬を滑る。


 自分の中の激情に驚いた。


 呆気に取られたような表情の瀬川を強く睨みつけて馬乗りに殴る。


「菜月は優しくて……いい子で……可愛くて…………それに周りに人が集まるような人気者よ」


 瀬川は殴られるのをものともしないで、口元に悠然とした微笑みを浮かべていた。彼の目に浮かぶ私の瞳は据わっていて、わかりやすく憎悪が見て取れた。自分の刺さるような視線に普段との違和感を覚える。


 瀬川は私の目を真っ直ぐに見て、頬を上気させていった。


 取り憑かれたような表情が普段の彼とは似ても似つかない道化のようで、耐えきれずに大笑いした。


 上体を起こした瀬川は頬を薔薇色に染めてとろけるような笑みを浮かべてつぶやく。


「僕は生まれつき感情が無いんだ」

「は?」


 突然何も言い出すんだと視線を向けると、蛇のようにねっとりとした視線が絡んだ。


「僕の感情の振れ幅が普通より小さくて、ほぼ無いみたいなものなんだ」


 瀬川の熱っぽい視線に怖気付くようにじりじりと後ずさりしようとする。


「でもさっき、僕を殴っている時の長谷部さんのことが初めて綺麗だと思った」


 瀬川の足に座っている状態に気づき、立とうとすると瀬川の手が私の腕を勢いよく掴んだ。


「ちょっと……痛いんだけ」


 言いかけたところで鼻が触れそうなほど顔を近づけてきた。


「…………長谷部さんのこともっと知りたい」


 反射的に息を止める。


「僕、長谷部さんのことを好きになったみたいだ」


 瀬川は頬を薔薇色に染めて、とろけるような笑みを浮かべてつぶやいた。


 やめて、私だけしか存在していないような目で見つめないで。


 夏の太陽が、ゆっくりと傾いていく。外が暗くなり始めた。

両手で肩を押し、普段では見ないような、感情を吐露した表情をする瀬川を横目に立ちあがる。


 釣られるように立った瀬川の、昏く絡みつくような目を睨みつけて溜息をつく。


「馬鹿ね。お断りよ」


 艶然と微笑む瀬川に対して、口の端をゆがめて笑ってみせた。




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