Ⅺ
某建物の地下。指紋認証やら
先ほど契約したばかりの端末を手に歩を進める途中で、嫌でもそれが目に入る。
もはや裸同然の女性の、妖艶な微笑みと目が合い、男の
苛立ち混じりに、画面の前に陣取るこの部屋の主に声をかけた。
「
対し呼ばれた男は輝の苛立ちなど意に介さず、回転椅子にかろうじて収まっている横幅大きいまぁまぁの巨体をこちらに向ける。表情は相変わらずにこやかだ。
「それは今の俺の全てを作り上げた記念碑的作品なんだ。俺のハッキングとかのデジタルな技術は、AVのモザイク処理から始まってるんだから。何なら
「あの子はまだ未成年です!」
「なに常識人みたいなこと言ってんだか。そういえばこの前テルさんにも同じようなこと言ったんだけど、俺は本物の、色んな女で見飽きてるから別にいい、ってさ。俺も言ってみたいよそんな台詞〜」
「今、彼の話はしないでもらえますかっ」
王がきょとんとする。
「なに。テルさんとなにかあったの」
そもそもここへ来た理由も、テルの昨日の行動のせいでもある。まぁ輝の脇の甘さが原因のひとつでもあるのだが。
王が、輝の片手に握られた端末に気づく。
「おっ。輝もついにスマホデビューか」
「そのテルさんに携帯ぶっ壊されたせいで、こうなってしまいました」
先日の、テルの大暴れの最中で、輝を殴り倒すだけでは飽き足らず、なんと輝の長年愛用していた携帯電話の折りたたみ式端末を、持ち前の馬鹿力で真っ二つに折ってしまったのだ。
……携帯を壊したところで、自らの過去から、逃れられる訳じゃない。
だがそれほどまでに、彼にとってはもはや文字で目にすることさえ、忌むべき名前なのだ。輝自身、そんなテルのことを、わかってあげられていたはずなのに。
「でも輝がスマホなんてな」
「壊れた携帯の修復の相談に行っただけのつもりだったんですが、そのショップの店員さんにしつこく進められまして。それでつい契約を」
王は笑う。
「相変わらず、そういう変なところで気が弱いな、輝は。それこそテルさんみたいないかついのに怒鳴られても胸ぐら掴まれても、全然動じたりしないのに」
それには輝も、苦笑いするしかなかったが。
「つきましては、王さんにこの端末の操作の仕方を色々教わろうと思いまして」
「別に構わねえよ。今日はハッキングとか武器のメンテナンスの依頼とかも特にないし」
丸々と太り、背丈は輝と大して変わらず、頭皮も薄い王だが、ハッキングなどのデジタル関連に強いだけでなく、銃などの武器のメンテナンスからピッキングの腕、加えて爆発物の制作から解体などもその太い指で器用にこなす、犯罪関連の作業においては実にオールマイティな才能あふれる人物だ。
チビでデブでハゲを舐めるなよ、が彼の口癖で、輝だけでなくあのテルも、銃器の扱い方はこの王に教えてもらったのだ。本人はいつも、テルさんに銃器とかの扱い方を教えたのは俺だって言っても、誰も信じてくれねえんだもん、とぼやいている。
それから数分。王にスマートフォンとやらのあれこれを、画面に触れつつ教わっていると、
「そういや、輝んとこの監視用カメラとか氷柱の衣服やら持ち物に仕掛けてるカメラとかGPS、盗聴器の調子はどうだ」
「今のところ、問題なく動作してますよ」
「でもよお」
王が呆れた面持ちで、
「いい加減、氷柱にもスマホのひとつでも持たせてやったらどうだ? 今時高校生にもなって携帯電話も持ってないなんて、なぁ」
それには及ばない。
「王さんお手制の監視カメラ、GPS、盗聴器があれば充分です。そんな機械持たせてたら、僕や本人さえ知らぬうちに堅気に扮した業者に接触される危険があります。何より通信機器を通じた目の見えぬ接触ほど、危険なことはありませんから」
王が困ったように笑う。
「相変わらず厳重な監視だなぁ」
「監視ではなく見守りですよ」
「物は言いよう。普通の親からしてみれば、間違った見守り方だろうな」
「……わかっています」
王のスマホレクチャーを終え、外へ。
皮のジャケット、胸ポケットへ常に忍ばせている王お手制の小型端末。アパート内、全ての監視カメラへと通じているその画面には、いつもと変わらぬ氷柱の姿。どちらかまでは判断できない。だが偶然か否か、画面越しに、氷柱と目が合う。先日輝を見ていた時と同様、弱々しく、常にこちらの機嫌をうかがっているような。
自分が側にいないから、か。
輝がこのまままっすぐアパートへ帰って姿を見せた途端、また自分のなかへ、閉じこもってしまうのだろうか。
そう考えると、足は自然と回れ右をして、アパートとは逆方向へと歩きだしていた。
足を止めていたのは、いつものマスターのバーだった。そのドアを開ける直前、二十代くらいの女性とぶつかりそうになる。彼女は酷く怒った様子で去っていく。
「さっき出てった女性、どうせテルさんが関係しているでしょう。いいんですか? 追わなくて」
人が誰かさんの実の息子のことで、こんなにも悩んでいるというのに。まぁ半分は、輝の自業自得の部分もあるのだが。
バーのカウンターにかけていた主は投げやりに、
「来る者拒まず、去る者追わずが俺の心情なんだよ」
そう返すテルの眉間には、サングラス越しでもわかるくらいの深い皺。
「テルさんもなんだか不機嫌ですね」
「あの女が、せっかくいい男なんだから外した方がいいよっつって、サングラス外すよう強要したからだ」
「あんな若い女性に褒められてるんだから、少しくらいいいじゃないですか」
とは言ったものの、テルが他人に自らの言動を強制されるのをとにかく嫌う傾向にあることを、輝は知っていた。容姿に関しては、特に。
「途中までいい感じだったんだけどな」
カウンター越しのマスターが愉快そうに話す。
「女の方から積極的にくっついてきて、テルの方へ寄りかかって指を絡めてきたりして。てっきりあのままホテルにでもしけ込むもんだと思ってたら」
女性が見惚れるようにして、テルの顔をひとしきり見つめる。店内に他の客がいなかったこともあり、そこから軽い抱擁と濃厚な口づけ。
マスターにとってもテルにとっても特に珍しくもない展開。首に腕を絡めつつ至近距離を保ちながら、テルを上目遣いで熱っぽく見ていた女性が、ふとどうしてこんな薄暗い店内でもサングラスをつけているんだという一言を発し、そこからサングラスを外す云々の話になっていったという。
それからテルの機嫌が一気に悪くなり、色っぽい雰囲気から一転、テルが相手の女性を邪険に扱う光景は、想像に難くない。
マスターがテルの内情をどこまで把握しているのかはわからないが、サングラスを外すよう強要した女性に加勢をしなかった程度には、わかってくれているようだ。
テルが自らの容姿(主に顔)に対し、異性に好かれるという理由で愛着を持っているのと同じくらい、自らの容姿を嫌悪していることを。
不意に輝は、過去のことを思い出していた。
彼の仕事の経験もまだ浅かった頃。
鍛え上げられた、適度な筋肉に固められた体。その、一見どんな凶器も跳ね返してしまいそうな、頑丈にも見える肉体が、眠っていながらにして荒い息遣いを苦しそうに繰り返す。そんなテルの姿を。
まだ子どもで、テルの側にいることでしか、自らが生きていく術を知らなかった輝には、そんなテルの横で、ただ黙って寄り添うことしかできなかった。
輝の知らぬところで場数を踏み、数多くの修羅場をこなしていくうちに、次第にそれを目撃する回数は、減っていったが。
まぁそう簡単に、ありのままの素顔では生きられないよな。
あの火事のあと、
彼らの住む場所を甲斐甲斐しく世話し、これを気に、既に成人して社会人となっていた息子三人は、それぞれでアパートを借り、一人暮らしを始めた。
残った鈴木家夫妻と蓮で、安澤の父親が所有しているマンションで新たな生活を始め、そこへ安澤は蓮の実の父親としてでなく、あくまで
輝も、たまに。手土産を持って。
あの火事のあった夜の、直道の質問には、答えられないまま。
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