右手にイタリア(短編集)
一藤
右手にイタリア
50年生きてきたが、ついに体にガタが来たようだ。視界が歪んで見える、左に。
これもしょうがないのかもしれない。会社では電卓を打っては、経理経理の毎日で、思えば、音楽やら映画やら僕には趣味がなかった。いつも数字と睨めっこをしては頭を抱えていた。そりゃあ体も堪えるか。
会社からの帰り道、ふらりふらりと道を歩く。すると右手に本屋があった。入ったことはない。趣味…。店内に足を運ぶ。少し古びた本屋だったが、店内はカラフルな本で満たされていた。
とあるコーナーが目に入った。「海外旅行」か。一度くらい妻と旅行に行けばよかったな。英会話の本を手に取った。表紙には自由の女神や星条旗が書いてある。はぁ、全くそそられない。僕の感性は死んでしまったのか。英会話の本を置く。そして、イタリア語会話の本を手に取った瞬間、
何か、歯車が綺麗に噛み合ったような感覚があった。それは今までに感じたことのない、美。圧倒的な美。先に言っておくがフィレンツェの街並みや、コロッセオに心を打たれたわけではない、勿論美しいとは思うが。だが、ここで感じた美的感覚はもっとこう根源的なもので、言葉で表現するのは難しい。なんなんだ。これは。
ふと右を見る。ガラス張りの向こう、夕暮れを過ぎた通りは暗くなっており、反射で右手にフランス語会話の本を持った自分が映る。
これが僕・・・?
き・・・
きれいだ・・・
ガラスに映る私は、鋭い眼光、凛々しい表情、美しいほどに計算された体の曲線、ミケランジェロの彫刻と錯覚してしまうほどだった。気が付くと会計をすましていた。考えるよりも先に体が動いていたのだ。買え、と思ったころには、すでに店を出ていた。ほぼ万引き。お金を払った万引きだった。それほど先に体が動いていた。
道を歩く。一歩。一歩。街灯は暗い道を照らすものではなく、美しい自分自身を照らすためだけに存在している、そう思いながら歩いた。ここはランウェイだ。私だけしか歩くことが許されなかったファッションショーなのだ。もしくはヴァージンロード。私が、美しくなった私自身と愛を始めるための晴れ舞台。エスコート役はもちろんイタリア語会話の本。そして、イタリア語会話の本がなぜこれほどにも私に自信を与えているのか、美しい脳みそで考えた。
なるほど、脳みそ。そうか。仕事によって計算漬けの毎日は、言語や計算、論理を司る左脳のみを肥大化させ、その重みで体をゆがませていたのだ。どおりで視界がゆがむわけだ。そういえばキャップやヘルメットも被れたためしがなかったな。
そして、右手にイタリア語会話の本を持つことで、その重みにより左脳とバランスが取れ、見事な美を誕生させたのだ。英語でもフランス語でもない。イタリア語のアッチェント・アクート分の重みがうまく作用したのだろう。これは推測だが。
見える世界が30°変わるだけで、こんなに・・・・。
揺れる電車。右手に持ったイタリア語会話の本をぱらぱらと開く。
「イタリアへ旅行に行ったとき、様々な親切を受けるかもしれません。長い階段で重い荷物を運んでくれる人、慣れない鉄道で席を譲ってくれる人、地図片手に迷っていると、優しく助けてくれる人。そのようなイタリアの優しい方々に、笑顔で感謝の気持ちを伝える言い方を覚えましょう!イタリア語で「ありがとう」はーーーー」
これは本に対する感謝だけではない。万物。私をここまで導いてくれたすべての人、万物、事象に対する感謝だ。そんなことを考えながら、単語を声に出して読んだ。
「
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