第十二話:なん……で、あいつが……

 コーヒーショップから出ると、もう昼時だったので、レストランに入り軽く食事を取った。

 その後で、ヒマワリの言うように服を見ることとなったのだが……。


 ヒマワリが試着室に入り、はや十分。いや、体感的に十分くらい経ったというだけで、実はそんなに経過していない可能性もある。


 一般的な女性の例に漏れず、ヒマワリも買い物に時間がかかるタイプだった。ヒマワリ自身は、いわゆる一般的な女性像からかけ離れているイメージだ。だから、それなりの期待を込めて祈っていたのだが、どうやら俺の祈りは神やら仏には届かなかったらしい。


 不意に試着室のカーテンが開く。


「どう!?」

「どう……って」


 まぁ、悪くはない。固定化されたイメージを持たない、実にヒマワリらしいスタイルだと思う。


 例えば、地雷系だったり、ギャル系だったり、量産系だったり、そういったファッションスタイルは俺でも知っている。けれど、そのどれにも当てはまらない。


 ヒマワリが選んだ、ヒマワリ自身のためにコーディネートされたファッションだ。

 理解に困るかもしれないが、だからこそ、感想は言いにくい。


 何しろ、「お前らしいな」というものしか出てこないのだ。


 そして、その感想が初めてであれば良い。

 だがしかし、ヒマワリの「どう!?」からの、俺の「お前らしくて良いんじゃないか?」というやり取りが、これまでに複数回繰り返されてきたのであれば、話は変わってくる。


 さらに言えば、俺が「お前らしくて良いんじゃないか?」と言う度に、ヒマワリが「やれやれ」とでも言わんばかりの、少し不機嫌そうな顔をするものだからたちが悪い。


「さっきから、お前は俺に何を求めてるんだ」

「いや、もっとこう『可愛い!』とか、『綺麗!』とかないの?」

「俺に言われて嬉しいか? なら言ってやるよ。カワイイ、カワイイ、キレイ、キレイ」

「心がこもってな~い~」


 可愛いかどうかで言われれば可愛いのだろう。

 綺麗かどうかで言われれば綺麗なのだろう。


「そもそもが、お前は元が良いから、基本的にはどんな格好しても大丈夫だろ」


 偽らない本心だ。


 俺の感想を求めるまでもなく、ヒマワリの顔は一般的に言って整っているし、スタイルも良い。

 十人いれば、九人は「美人だ」と答える。残りの一人は恐らく、極度のあまのじゃくか、特異な美的感覚を持っているか、貧乳が反吐が出るほど嫌いか、巨乳にしか興味がないか、そのいずれかだろう。


 そんなことを考えていたら、ヒマワリが黙りこくってこちらを睨みつけていた。


「どうした?」

「……ふっ! 不意打ちっ!」

「どういうことだよ」


 ヒマワリがため息を吐く。


「ほんっと、そういうとこだぞ」

「どういうとこだよ」

「自覚がないのがまた……」

「いや、だから――」


 俺の声を遮ってヒマワリが「いーっ!」と歯を剥いた。かと思えば、試着室のカーテンをばさりと閉める。

 わけがわからん。


「お客様?」


 不意に声をかけられた。アパレルショップの店員だ。

 困ったような笑顔を貼り付けて、俺を見ている。


 一体何の用だろうか? うるさいからもう少し静かにしろ、とかだろうか。


「はい?」

「ちゃんと褒めてあげないと、彼女さんがかわいそうですよ?」

「え……っと? いや、彼女とかじゃないです」


 予想外の言及に少し驚きながらも、俺は淡々と答える。

 試着室の中から、ガタンと音が聞こえて、俺は店員さんと顔を見合わせた。





「長かった……」

「文句言わない~!」


 もう午後三時くらいになっただろうか。


 戦利品の入った袋を片手にホクホク顔のヒマワリとは対照的に、俺は疲れきった表情をしていることだろう。


 何しろ長かった。あれから、ショッピングモールを巡り巡り、歩き歩き、三店舗くらい見て回っただろうか。トータルで六店舗。

 しかも手近な六店舗というわけではない。モールの端から端まで、まんべんなく選んだ六店舗だ。疲労度が違う。


「しかし……」


 俺はヒマワリが手に提げている袋を見遣る。

 あれだけ服屋を回って、結局買ったのはこの袋だけだ。中には、三着ほどの服。


 六店舗回って、三着しか服を買わないというのは、いささか時間的効率に欠けると言わざるを得ない。


「なによ」

「いや……。あんだけ見て回ったのに、結局買ったのはそれだけか、と思って」

「わかってないなぁ」

「は?」


 ちっちっち、とヒマワリが人差し指を振る。


「予算の上限は決まってるんだから、その中で一番良い組み合わせを選ばないといけないんだよ?」

「だから?」

「つまり、本当はもっともっと回りたかったのだよ! 明智くん!」

「誰が明智くんだ」

「アタシに感謝してほしいくらいだよ! ヨウが疲れてそうで、早めに切り上げたんだから!」


 アレで早めに切り上げたのかよ。


「ちなみに、普段は?」

「うーん。長くて朝から夕方までずーっと見て回ってるかなぁ」

「時間もコストだと思うんだが?」

「メニメニタイムノーマネーの高校生が何いってんの」


 メニメニタイムノーマネー、って……。うまいこと言っているように聞こえるが、ただ英語に直しただけだろうが。

 しかも、なぜ「メニ」を重ねた?


「こういう時は、疲れた顔しないもんだよ!」

「疲れてんだよ。しょうがないだろ」

「疲れてても、こーんな可愛い女の子の買い物に付き合えたんだから、もっと喜びたまえよっ!」


 喜びたまえよ、じゃねえ。


「で? この後は? ゲーセン行くのか?」

「うーん。それでもいいけど……ねぇ」


 ヒマワリが俺の顔をニヤニヤしながら見た。


「意外と体力なくて、疲れてる方がいらっしゃいますので」

「そりゃ、ありがとよ」

「うん、ちょっとモール出て、休憩しよっか。近くに公園あったよね?」



 §



 ショッピングモールを出て、公園の方向へ歩く。

 朝よりも行き交う人々が多くなっているのは、時間的な問題だ。言うまでもない。


 とは言え、今日はただ「春休み」だと言うだけの土曜日だ。人は多いが、三連休や大型連休と比較すればまだましな方である。


 駐車場を横切り、東側に面した大通りに出て、ヒマワリと二人で歩道を歩く。


 ここから公園までは、歩いて十分しない程度だ。


 昼過ぎの、少しばかり南中から西へ下った日差しが眩しい。


「お、コンビニ! 寄ってこ?」

「おー」


 進む方向に見えたコンビニをヒマワリが指さして言う。

 一分とかからずにコンビニへ着いた俺達は、自動ドアをくぐった。


 ぴんぽーん、と音がして、コンビニ店員の「いらっしゃいませ」が店内に小さく響く。


「何買うんだ?」

「んー」


 意識をどこかに置き忘れたようなヒマワリの返事に、もう一度同じことを聞こうとして視線を遣ったところ、ヒマワリは既に消えていた。


 すわっ、どこに行った!? とキョロキョロしたところ、アイスが入っている冷凍ケースの蓋に顔を近づけて品定めしていた。


 ったく、と思いながら、そちらへ歩いていく。


「コンビニは、アイス食いたかったからなのか?」

「そうじゃないけど。入ったら、なんかアイスってお腹になった」

「なんだそりゃ」


 迷うような表情をしながら、冷凍ケースの中に目を走らせていたヒマワリが、不意に「これだ」という顔をする。


 ケースの蓋を開けて取り出したのは、なんとも懐かしく感じるソーダ味の棒アイスだった。


 一つに見えて、棒が二本ついているもの。昔二人で少ない小遣いを出し合って買っては、半分こしてたっけか。


「これにするっ」


 ヒマワリがそそくさとレジへ向かい会計を済ませる。


 息をつく暇もなく、ヒマワリが自動ドアへ向かい、俺を見た。


「あ、ごめん。ヨウもなんか買う?」

「いや、買わない」

「そっか。じゃあいこ」


 コンビニを出てすぐ、俺達は目的の公園へたどり着いた。

 公園のすみ、高い木のそばにあるベンチに腰掛ける。


 春の暖かな日差しが、肩もとを照らす。そよ風が梢をさらさらと揺らす。

 まだ、半袖になるには早いが、それでも今月に入ってからだいぶ暖かくなった。


 春の陽気に誘われて、少しだけ眠くなる。

 じわじわと襲ってくる睡魔に抗おうと気合を入れたタイミングで、ヒマワリが棒アイスを開けた。


 そして、二本の棒を持ち、真ん中で割った。

 さくっ、という小気味良い音が鳴る。


「はい」


 両手に一本ずつ持ったアイスの片方を、ヒマワリが俺に差し出した。


「ん?」

「いや、だから、はい。ヨウの分」


 よくわからないままに、アイスを受け取った。

 ヒマワリがアイスを口に含み、美味しさを顔全体で表現した。


「この味、懐かしー」


 俺も釣られて、手渡されたそれを口に含む。

 甘酸っぱい、爽やかなソーダ味が口の中いっぱいに広がる。


「これ、アタシとヨウがどっち食べるかでよく喧嘩したよね」

「よく覚えてるな」

「あはは。すっごい小さな差なのにさ、『こっちのほうが大きい』なんて言い合って」

「あったな~」


 しゃく、と音を立ててヒマワリがアイスを噛み砕いた。


「ヨウってば、結局アタシに言い負かされて、お姉ちゃんに泣きついてたよねぇ」

「そんで、お前がユリカさんに怒られてなあ」

「お姉ちゃんには誰も勝てないからねぇ」


 言葉の端々から、懐かしさがにじみ出る。

 アイスを咥えながら、あーでもない、こーでもない、と思い出話に花を咲かせた。


 こうやってこいつと話していると、本当に不思議に思える。


 今、こうやって気のおけない会話をしているのに、どうして俺はヒマワリと疎遠になったのだろう。

 思春期ならではの、心の揺れ動きによるもの、と断ずるにはあまりに結論が短絡的すぎる。


 しかし、考えても考えても答えは出ない。


 やがて、お互いアイスも食べ終わり、冷たさが口の中だけに残った。


「んじゃ、モールに戻る? アタシはこのまま帰っても良いけど」


 確かに、もう日も傾き始めてきた。

 ここで帰るというのも、一つの選択だろう。


 ただ、何故か「そうだな、帰ろう」の言葉が喉につかえて出てこない。


 そんな俺の顔を覗き込んで、ヒマワリがにまりと笑う。


「ふーん、そー」

「んだよ」

「いや、ヨウもアタシと同じ気持ちなんだなっ、って嬉しくてさ」


 同じ気持ちかどうかは知らん。


「まだ帰りたくない。もうちょっと、って感じ?」


 すぐに返答するのは癪だったので、後ろ頭をボリボリとかきむしった。


 しかし、黙れば黙るほど、ヒマワリが嬉しそうに、にやにやする。

 こうなってはもう、俺の答えは一つしかない。


「そうだな。もうちょっと遊んで帰るか」

「そうこなくっちゃね」


 この瞬間、この選択は正しかった。正しいはずだった。

 ヒマワリと俺のこれからの関係を考えれば、ベストな選択だったはずなのだ。


 しかし、現実というのは残酷だ。






 ショッピングモールに戻り、改めてゲームセンターコーナーに向かおうとした俺達の視界が、一人の女性の姿を捉えた。

 柱に隠れるようにして、フードコートを覗いている。


「あれ、岡平さんだよね?」

「ああ」


 岡平さんだった。あの時のビジネスルックではなく、カジュアルな私服姿でいかにもおしゃれな帽子を被ってはいるが、小動物的なその印象からすぐにわかった。


「こないだのこと謝ろっか」

「そうだな」


 岡平さんに直接謝罪をしてはいない。


 俺達は、なにやら訳ありそうな岡平さんに、何ら疑問を抱かずに近づく。

 そして、ヒマワリが彼女の肩を叩いた。


「岡平さんっ」

「ひうっ!」


 予想外に悲鳴じみた声をあげて、岡平さんが俺達の方を振り向く。ものすごいスピードで。


「あの、アタシ達――」

「静かにっ!」


 謝罪の言葉につなげようと喋り始めたヒマワリの口を、岡平さんが右手で塞いだ。

 そして、ぐい、とヒマワリを引っ張り、先程まで自分がいた柱の影まで連れて行く。


 何事だ? 何が起こっている?

 なにやらきな臭い。


 岡平さんが、唇に左手の人差し指を当てて、「しーっ」と言う。


「岡平さん。なにをされてるんですか?」


 岡平さんに口を塞がれて、うめき声しか出せないヒマワリに代わって事情を訪ねる。


 彼女は、何も言わずに、フードコートの真ん中くらいをそっと指さした。


 鈴川が、いた。


 見知らぬ女性と、向かい合って、鈴川が、座っていた。

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