第十三話:アタシは思わない。あの二人の距離感。なんか違う

 鈴川と女性の雰囲気は、何と無く不穏な感じがする。


 女性はなにやら切羽詰まったような、不退転の覚悟を持ったような、そんな表情をしているし、鈴川は眉間に縦皺を作り気難しげな顔をしている。


 長い漆黒の髪の毛が、フードコートの照明を反射する。大勢が「手入れを欠かしていない美しい髪」と表現しそうだが、一方で女性の雰囲気も相まって危うげな様子を醸し出していた。


 どういうことだ、という意味を込めて岡平さんの顔を見遣る。岡平さんが俺の視線に気づき、困ったように眉をハの字にした。


「私もわからないんです」


 そう言いながら岡平さんが、ヒマワリの口を塞いでいた手を離す。ヒマワリもどうやら状況の一部分を把握できたようで、それ以上騒ぐことはなく、岡平さんと俺のように、柱の陰から様子を窺う。

 客観的に見れば、柱から身を乗り出してフードコートの様子を窺う三人の男女が俺達だ。怪しすぎることこの上ない。


 ので、少し気になって周囲を見回す。胡乱げな視線を寄越すだけ寄越して「自分は関係ない」とばかりに足早に去っていく通行人が大多数で、残りはそもそもこちらに興味が無い人間である様子だ。


 現代的で無味乾燥だと言われがちな、他者との希薄で絶妙な距離感に少しだけ感謝する。

 どうやら、しばらくは怪しげなことをしていても、誰も彼も見ないふりをしてくれることだろう。


 もう一度フードコートの中に視線を移す。


 鈴川と女性は、何やら話している。口論、とまではいかないまでも、和気あいあいと談笑しているわけでもない。


「何、話してるんだろ」


 ヒマワリがボソリとつぶやく。

 確かにこの距離だと、二人が何を話しているのか全く聞こえない。


 少し考えた後に、誰に向けたわけでもないヒマワリのセリフに返事をする。


「昔の知り合いとか、兄妹とか、どうせそんなとこだろ?」


 そういうことにしたい。してしまいたい。

 よくわからないが、このまま見ててはいけない気がする。


 好奇心は猫を殺す、とはよく言ったものだ。この場合の好奇心に支配された猫は俺達だ。

 勿論好奇心は大事だ。しかし、今俺とヒマワリが抱いている感情は、恐らく悪い方の好奇心・・・なのだろう。


 ヒマワリがちらりと俺を見て、すぐにまた鈴川たちの方に視線を遣る。


「ヨウは本当にそう思う?」

「ああ」


 昔の知り合いもしくは兄妹だ、なんて楽観的が過ぎる。自分でもそう思うが、一刻も早くここから立ち去りたい。


 しかし、裏腹に俺もフードコートで話をしている二人をじっと見つめてしまっている。視線を動かせない。


「アタシは思わない。あの二人の距離感。なんか違う」


 そう。距離感が違う。ヒマワリの言うとおりだ。


 ただの知り合い、旧知の仲。そんなふうでは決してない。


 もっとこう。親密な。いや、そう言うと語弊がある。あの二人の今の状況を見て、今なお「親密な関係」だと言う人間などいないだろう。


 しかし、鈴川の表情が、女性の表情が。二人が口を開くタイミングが、実際に聞こえているわけではない声のトーンが。


 二人の間に積み上げられてきた歴史を感じさせる。


 だから、正確には「昔親密だった」という推測が最も正しいのだろう。


「アタシ、ちょっと行って――」


 我慢の限界を迎え、柱の影から二人のもとに駆け出そうとしたヒマワリの右腕を、岡平さんが引く。


「ひ、ヒマワリちゃん、気持ちはわかるけど、落ち着いてください」

「そうだ。ここは様子を見てだな」


 すかさず岡平さんの言葉に俺も便乗する。


「でもっ」

「あそこで何が起こっているかわからない以上、お前が出ていってもこじれる可能性が高い」

「そうだけどっ。何話してるのか気になるじゃんっ」

「馬鹿。お前が出ていっても話し合いが中断されるだけだ。気になる話の内容なんてわかりっこない」


 ヒマワリや俺が想像しているような、知人に聞かれたくない後ろ暗い話ならなおさらだ。

 もしそうなら、ヒマワリが出ていった瞬間、鈴川は話を切り上げ、誤魔化すだろう。


「でも私も気になります」


 俺とヒマワリがあわや口喧嘩すれすれの雰囲気を出し始める中、岡平さんがボソリと言った。

 唐突に話の腰を折るように喋り始めた岡平さんの顔を、俺とヒマワリが見る。


「気づかれないように、そうっと、とか、どうですか?」


 数秒ほど、顔を見合わせて黙り込んだ。

 岡平さんのイメージからは予測できない、大胆すぎる提案だったからだ。


「そりゃ、気づかれないように、であれば良いと思いますが、どうやって」

「ふっふっふ。これ、なんでしょう?」


 怪しげに笑う岡平さんがカバンから取り出したるは、人数分のマスクと買ったばかりっぽい帽子だった。


「本当に偶然も偶然。たまたま今日、帽子を買い漁りに来てたんです」


 取り出したそれらを、両手で広げて、岡平さんが小首をかしげる。

 小動物のように可愛らしい仕草ではあるが、目つきは獲物を狙う肉食獣のそれだ。鈴川と女性が何を話しているのか、何が何でもつまびらかにしたいという意思がありありと感じられる。


「これは、ヨウ君のぶんです」


 カジュアルな黒いキャップとマスクを岡平さんが俺に差し出す。


「こちらは、ヒマワリちゃんの」


 そして、ベージュのバケットハットとマスクをヒマワリに差し出した。


 予想外すぎる岡平さんの勢いと行動力に、俺もヒマワリも首を縦にふることしかできない。


「さ、早く早く、行きますよ」


 言われるがままに俺とヒマワリは渡された帽子とマスクを装着した。





 念の為、とメッセージアプリで各々連絡先を交換してから、俺達は突入することとなった。


 ――良いですか? こういうのは意外と堂々としてればバレないものです。


 柱の影からフードコートに向かう直前に、岡平さんがそう言った。


 続けて、「キョロキョロしない」、「忍び足で歩かない」、「鈴川たちの方を見ない」などといった、諸々の注意を受けた。


 確かにそうらしい。先程柱の影でやいのやいの静かに騒いでいた時よりも、通行人の注目を集めてはいない。

 極力周囲を見ずに、飽くまで「空いているちょうどよい座席を探している」風を装いながら、歩く。


 岡平さんが俺をちらりと見た。その後でヒマワリの方も。

 視線の意味を悟る。「私に着いてきてください」といったところだろう。


 岡平さんが迷いなく、鈴川と女性が座っている場所から、テーブル三つ分離れたテーブルに向かっていく。俺達もそれに続いた。


 鈴川が気になって気になってしょうがないが、その度に「鈴川たちの方を見ない」という岡平さんからの注意を思い浮かべる。


 得も言われぬ緊張感に、冷や汗が背中を数滴伝い終わる頃、ようやく岡平さんが目的のテーブルに着いた。

 俺達も何食わぬ顔で岡平さんと同様に座る。


 岡平さんが俺達に目配せをした後で、カバンからスマートフォンを取り出す。


 少しだけ解釈に迷ったが、きっと同じようにしろ、と言っているのだろうと当たりをつけ、俺もスマートフォンを取り出す。少し遅れてヒマワリもスマートフォンを取り出した。


 スマートフォンがぶるりと震える。通知を見ると、岡平さんと俺、ヒマワリの三人で構成されたグループチャットルームが作られていた。

 続けて、岡平さんのメッセージが画面にぴこりと表示される。


『良く意図を理解してくれました。二人共、声は出さないでください。感づかれます』


 言わんとしていることはわかるが、この人ノリノリである。


『このまま、疲れてスマートフォンをいじり倒す買い物客のふりをして、鈴川さんらの話を盗み聞きます。よいですね?』


 そのメッセージが届き、俺達のスマートフォンがぶるりと震えた瞬間、岡平さんが目を細めた。

 マスクをしているので口元は確認できないが、俺達に向かって微笑んでいるのだろう。


 右の方から、鈴川の声が小さく聞こえる。スマートフォンに集中すると聞き逃しそうな音量だ。


 俺は岡平さんに返事をしようとしたものの、文字を打っていると掴みかけた鈴川らの声を逃がしてしまいそうだと思い、ただ「OK」と書かれたスタンプを送った。

 ヒマワリも同様に「了解」と書かれたスタンプを送ったようだ。


 飽くまでスマートフォンをいじっている感じを装って、耳をすます。


 数秒ほどかけて、フードコートの喧騒にかき消されそうな二人の話し声の切れ端を捕まえた。


「――わかってくれるまで何回でも言うからっ! リカはねっ!? まだトウジのこと好きなの!」


 おおう!? いきなり、核心に迫るようなワードが飛び出したぞ。


 甘えるような、なにかをねだるような、粘着質な響きを持つか細いキンキンとした声。話し方はアニメキャラのように舌っ足らずでかわいらしい。


 しかし、「かわいらしい」と形容した話し方とは裏腹に、想像させられる性格は「かわいらしい」とは真逆だ。早口で声の抑揚にジェットコースターを思い出す。

 どちらかというと「激情家」という単語が真っ先に浮かぶ話し方で、甲高い声と相まって、ヒステリックな感情が言葉の端々から受け取れた。


 ――なんとも厄介そうな女だ。


 端的に感じた内容がそれだ。


「こっちも何度だって言う。すまないが、俺はそうじゃない」


 一方の鈴川は、すっかり疲れ切ったような声を出している。

 無理もない、と思った。公衆の面前でこんなふうに激しい感情を向けられれば誰だって疲れる。


「そんなこと言わないでよっ! どうして、リカが悲しくなるようなこと言うの!?」

「大声を出さないでくれ」

「はぐらかさないでっ! 約束したじゃんっ! 二人で幸せになるって!」


 二人で幸せに、か。その約束はユリカさんとされるべきもののはずだ。


 雲行きが怪しい。

 とは言えまだ、クロであると断ずることはできない。


 俺は二人の話しぶりから、リカと言う女性は鈴川の元恋人かなにかだろうとあたりをつけた。大きく間違ってはいないだろう。

 恋人同士であれば、気まぐれに「将来はずっといっしょにいよう」などという、約束とするにはあまりにもお粗末な甘ったるい会話をするものだ。


 別に俺自身にそういった経験はないが、そういうものだろう? 偏見だろうか。


「それはっ」


 鈴川が言葉を詰まらせる。否定の言葉を吐こうとしたのだろう。

 しかし、鈴川の言葉を遮ってリカという女が突如しゃくりあげるように泣き始めたのだ。人目もはばからず。


「ぐずっ! ひぐっ! 約束したっ! 『リカが世界一可愛い』って言ったっ!」

「な、泣くなよ」


 得てして、男は女の涙には弱いものである。俺も勿論だが、鈴川もその例に漏れることはないらしい。

 先程までの突き放したような態度から一転、少し声色に動揺が感じ取れた。


「そっ、そもそも、なんで連絡してきた。もう連絡するなと言っただろ」

「だってっ! リカはっ、トウジのことまだ好きだもんっ! なのに、あんなに突然っ!」


 更に雲行きが怪しくなってきた。

 今の会話だけ切り抜けば、立派に浮気やら不倫やらが想像できてしまう。


「もう終わっただろ、俺達は」

「終わってないっ!」


 あぁ。これはもうダメだ。疑惑を払拭しきれない。


 クロに限りなく近いグレー、といったところだろうか。

 ヒマワリを見る。目を真っ赤にして、わなわなと震えていた。


 その真っ赤に潤んだ目と、俺の目が合う。


 ――気持ちはよく分かるが、抑えろ。どうどう。


 そんな想いを込めて小さく頷く。


 そう。まだ決定的な証拠のようなものは出てきていない。

 飽くまで状況的に限りなくクロに近しいというだけだ。


 俺の知る、鈴川という男は、そのようなことはしない。しないはずだ。

 お前が鈴川の何を知っているのだ、と問い詰められれば困ってしまうけれども。


 勿論これにはそうであってほしい、という俺の願望も多分に含まれている。

 ユリカさんが認めた相手だ。誠実に決まっているのだ。


 そこまで考えて、「鈴川トウジ」という人間に対して俺が保証できるものがそれだけしかないことに気づく。

 ユリカさんが好きになった相手。ついでにいえば、ヒマワリが好きになった相手。

 俺は余りにも鈴川という人間を知らなさ過ぎる。


 ヒマワリは当初「遊び人」だと称していた男ではあるが、それは「顔の良い男はすべからく遊んでいる」という大いなる偏見から引き出されたものに過ぎない。そのはずだ。


 だが、そんな俺の願いとは裏腹にリカという女から衝撃の発言が飛び出すこととなる。


「それにっ!」


 一秒にも満たない間をあけて。


「リカのお腹のなかに、トウジの赤ちゃんいるからっ!」


 それは、俺達三人を、鈴川本人ですらきっと、凍りつかせる一声だった。

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