第52話 八代英次と、潮江かや

《三人称視点》


 そのとき、八代英次がその場にいたのは、ただの偶然だった。

 たまたま、瘴気を浴びた者達を救護室や“回復師ヒーラー”の元へと誘導している内に、翔が戦う近くに来ていただけの話。


 だから、英次の横10メートルの位置に、少女が落ちてきて、今まさに襲われようとしていたのも、ただの巡り合わせだ。

 

 英次と潮江かやには、特に接点など無い。

 強いて挙げれば、初対面で頬に強烈なビンタを喰らったくらいか?

 でも、英次は迷わなかった。


「くっ!」


 危ない! と思った時に、既に彼は駆けだしていた。

 あの忌々しいドロドロモンスターの吐き出す瘴気が、酩酊や錯乱など、様々な効果を持っていて、都度切り替えられることは知っている。

 どんな効果が付与された瘴気が吐かれるかは運任せ。

 

 しかも、確定で何かしらのダメージを負う。

 例えるなら、フルで弾丸が装填されたリボルバー拳銃でロシアンルーレットをやるような感じに近い。

 当たりか外れかなど、弾の種類が違うくらいの差違なのだ。

 それでも――彼は迷いなく少女を庇うように躍り出た。


 へたりこむ潮江と“ヴェノム・キング・デーモン”の間に滑り込み、紫色の瘴気を背後から浴びる。

 刹那、全身を貫くような激痛が英次の身体を襲った。


「ぐっ、ぁああああああああああああああああっ!!」


 歯を食いしばっても、耐えることは出来ない。 

 肉体的には何のダメージもないのに、ただただ痛みだけが脳にガンガンと響く。

 それでも、八代英次の膝は折れない。

 理不尽に巻き込まれてしまった少女を、これ以上の不幸に曝させないと言うように、歯を食いしばって耐え抜いた。


「や――八代英次っ!!」


 瘴気が晴れ、ピンチに駆けつけた存在が誰かを知った翔が叫ぶ。

 激痛の効果があるのは、瘴気を喰らっている間だけだったらしい。

 急速に退いていく体中の痛み。が、瘴気を浴びている間が地獄すぎて、危うく意識がとびかけていたから、翔の声すらどこか遠くに感じられる。


(くっ……ただなんとか、守り切れたみたいだな)


 英次は、目の前にいる少女が無事なのを確認して、安堵した。

 そんな少女が、俯いたまま唇を動かす。


「――して」

「?」

「どうして!」


 顔を上げた少女は、目尻に涙をためていた。

 この状況が理解できないとばかりに、潮江かやは叫ぶ。


「なんで助けてなんてくれるのよ! あたしが前にしたこと、忘れたの!?」


 前にされたこと?

 英次が覚えているのは、まあこれしかない。


「ビンタされたけど」

「何平然としてんの! あたしは、あんたに酷いこと言って、ほっぺたを叩いた! そんな人間を、なんで助けたいって思うの! バッカじゃないの? 嫌いになってもおかしくない相手を、なんで身体張って助けんのよ!」


 潮江かやは、一気にまくし立てた。

 ひょっとしたら、彼女は


 まるで、素直にお礼を言うのを恐れているような。

 自分の気持ちに正直になれない事情があるから、突き放す言葉しか言えなくなったような、そんな葛藤が透けて見えた。


 ――が、そんな事情。

 八代英次にとっては、


「……、――ならないだろ」

「え?」

「~~っ!」


 あまりの衝撃に、潮江かやは言葉を失っていた。

 反論の隙を失った潮江へ、英次はあくまでいつもの調子で言葉を叩き込む。


「俺がお前のことを嫌いになって当然? 助けたいって思うことはバカのやること? はっ、知るかよバーカ。お前の認識で、勝手に俺の行動決めんな。。……それによ、この状況でお前を助けに行かなかったら、SSランクのヒーローの親友やってる俺の立場どうなるんだよ。情けなくて、縁切るしかなくなるだろうが」

「…………」


 少女はただ、絶句していた。

 まるで、凝り固まっていた自分の常識がガラガラと崩れ去っていくような――そんな顔をしていた。

 やがて、潮江かやは僅かに顔を逸らし、小声で言った。


「……バカ。ほんっと、バカ」


 ぽつりと呟いた少女の頬が、僅かに赤く染まっていたことに、果たして英次は気付いただろうか。

 


 ――が、そんな二人だけの世界を崩すかのように、背後の“ヴェノム・キング・デーモン”が動く。

 再び瘴気を吹きかけ、二人を今度こそ行動不能にしようとして――


「流石に、これ以上隙は見せないよ」


 ドンッ! と。

 鋭い音と共に、“ヴェノム・キング・デーモン”の身体が真横に吹き飛ばされて、ダンジョンの壁に激突した。

 息吹翔が、光属性の「魔法矢」を容赦なく解き放った格好で、油断なく敵を見据えながら2人に声をかけた。


「……ごめん、2人とも。これ以上は、危険に曝させないから、今のうちに下がってて」

「おうよ。それより、お礼はいいからあとでサインくれ! 俺の分と、あと親父とお袋……それから、姉ちゃんの分。あ、持ち歩く分と部屋に飾っとく分と、予備の分も欲しい」

「現金なヤツ。そもそも、サインとか考えてないし」

「へへっ」


 英次は軽く笑い、それから顔を引き締めて言った。


「んじゃ、あとは頼んだぜ。英雄ヒーロー

「任せとけ」


 2人の親友は、揃って視線を交わす。

 そして。英次は潮江に肩を貸してその場を離れ、翔は“ヴェノム・キング・デーモン”と向きあう。


 かくして、悲劇に巻き込まれた少女は救われた。

 あとは――息吹翔が全てを終わらせるだけだ。


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