~夏目漱石の詩文を読んで~(『夢時代』より)

天川裕司

~夏目漱石の詩文を読んで~(『夢時代』より)

~夏目漱石の詩文を読んで~

 今、ふと思った事だが、私の〝物を書く感覚(いしき)の四肢(てあし)〟は、漱石氏の書く幾多の作など読んだ後(あと)にて筆を取ったら、するする解(ほど)ける固い口火が四方(しほう)を伸ばして主張して活き、結局〝自由にいい物書ける〟と、素直な顔して未熟に笑える楽を得るのに適当だった。それに気付いた。丁度「夢日記」の一作を書く合間にちらちら覗いた〝青空文庫〟の氏の作と、太宰の「畜犬談」から横へ横へとスライドして行きぽんと出会えた際に思えた事であり、その氏の作が「一夜」というのは、五十音で並んだ〝文庫〟の氏のリストで上から二番目に付された短い作で、その短さと、〝上から二番目〟という少々目立った位置にて注意を取られ、ふらふら読み付け、ふわふわ浮んだ妄想へと又、私の想いは流れたのである。氏の書く物は、まるで「夢日記」を書く際、私の内では流行(はやり)を象る一作とも成る。これは他の作にも言える事だが、すらすら、ちまちま、皆が夫々独自の主張を奇麗に畳めた経過の様子は、「夢日記」を書く私独自の経過の内へとスライドして行く模様が浮き立ち、好く似た懊悩(なやみ)に皆が夫々陥(はま)った事実(こと)など、脚色(いろ)を付されて私へ仕上がり確立するのだ。他人事には想えぬ妙味を執筆最中(しっぴつさなか)に吟味しながら、陶酔させ行く気分の芯へと浸れて行くので、私はまるで、孤独の個室(へや)でも〝同志〟を得るほど気丈を憶え、励まされて活き、創作を前に、新たな気力(ちから)を貰えた気がして嬉しいのである。実際、これまで、何度も何度も、そうした順序で活気を貰い、私は「夢日記」」を書くのに少々疲れて留まる時など、そこで覚えた疲れの全てをまるで呑み込み乗り越えて来た。そうした〝活気〟や〝気力〟の手足を一番くれ得た作というのが、夏目漱石その人に依る作品に在る。自分が自然に覚えた文体と、氏の文体とが、語調(リズム)に乗って〝似ている〟等と思えた故にか、〝私と氏とは、作家として似た者同士〟なんて勝手に仕上げて得意に成って、これまで憶えた氏に依る業績なんかを念頭(あたま)に置きつつ想像しながら、その〝似ている事実(こと)〟から次々湧き出す可笑しな〝調子〟に依っては、ふと又違った土台がふっと現れ私を護り、私の物書く際での感覚(いしき)の程度は力量(ちから)を見定め、まるで中毒にでもなったかのように、行き詰った時、又、調子の好い時でも、更にある程度の目途を私事(しごと)に付せた時でも、氏の作を青空文庫で気楽に気軽に読んで歩いて、まるで明治から大正の文壇詩壇に恰も一番大きく根深(ねぶか)に座った文豪・漱石氏と、同じ文学仲間に共に座れる自分の姿を想わせられて、今でもはっきり、その中毒から抜け切れない我が身を認めてはにかんで居る。〝ああ、この漱石氏と同じような気質・性質を以て生れて、俺は良かった。言葉遊びを、漢字を適当・気儘に合せて行って、自分の意の儘、実(み)の好い形に仕上げて行って、それ等が象る主張の在り処は、初めから在る作の主張にすっぽり落ち着き泰然足る儘、そうした経過が自然に馴らされ立脚するのが一番嬉しく見て居て飽きず、俺が氏の書くあらゆる作へとふらりと寄り付く契機を知るのは、立派に育った経験豊かの端座に在るなど、俺の精神(こころ)は寵児を儲けて気付けるのである…〟、こんな所で私から成る漱石氏に向く憧憬心(どうけいごころ)の景色は語れるのであり、〝自然〟に居座る互いの立場が自然に蠢く奇妙な景色に取られて生(ゆ)くのが、何とも言えずに嬉しいのであり、私が見上げた氏の作、氏の品(ひん)、氏の経歴から成る不敵の執筆、氏の夢想(ゆめ)、氏の表現方法・語の選び、氏の紅潮して行くあらゆる雰囲気(ムード)が、各自実(み)を振り、独立闊歩の極点まで観て高踏して行き、私の思惑(こころ)はふらふら上がって気力を携え、誰の間(あいだ)に止まれぬ程度の保身を仕上げて朗笑している。

 大学での、或る講義に於いて、夏目漱石「夢十夜」の「三夜」を取り上げ、あれやこれや、と演説していた女性講師の気色が在った。それを観た時、私の中では何やらむずむずむずむず、騒ぎ始めた微(よわ)い快感(オルガ)が四肢(てあし)を伸ばして頭脳を携え、それまで描(か)き得た自分の〝日記〟の温かみを見て、〝それ見た事か〟と、小さく騒いで古風に割られた優等に立ち、一緒に集った他の生徒を見廻すついでに壇にて指揮する女性講師も呑み込む程度に増長して活き、静かに微笑(わら)った思春の名残は、教室内にて悶々していた。そうした独気(オーラ)が他(ひと)に知られず矢庭に騒いだ私の胸中(なか)にて懐いて居たから、私に見取れたあらゆる景色は凡庸成るまま輝いても行き、こと文学に纏わるあらゆる講義は、私の目下(ふもと)で生長させられ、私の感覚(いしき)に監督され行く柔い範囲(クラス)へ解釈され行き、私の〝庭〟から脱出出来ない談合・講義へ脚色され行く一途(いちず)な経路を辿って行った。言わば、そうした〝講義〟へきちんと寄り付く教授も講師も生徒も誰も、私の権利に監督され行く可愛い傀儡(どうぐ)に落ち着いたのだ。これ等の過程は私の感覚(いしき)に画して在る故、誰も気付けず誰にも問えずに、時の経過に関係無い儘、地道に生長(そだ)って〝不動〟に呼吸(いき)する臨機の変化を有してさえある。故に、私の黒目が細目に見取れる景色の範囲(うち)でも、何気に小躍(おど)った他(ひと)の衝動(うごき)は如何(どう)でも尽きない私の我欲に実体(からだ)を操(と)られて言動(うごき)も止めて、柔い妄想(おもい)に四肢(てあし)を括った屍(かばね)の態(てい)して活きて行くのは、現行(いま)から離れた私の感覚(いしき)に真実(ほんとう)とも成り脚色されない。誰も、この真実(ほんとう)を見付けられずに、右往左往に跋扈しながら未熟に遊泳(およ)ぎ、時々信じる自分の実力(ちから)に、私に好く似た〝傀儡(どうぐ)〟を仕立てて体温(ぬくみ)を知るが、その場に於いても自分の片付く見得ない感覚(いしき)に四肢(てあし)を縛られ悶絶して行き、私の憶える小さな空気(もぬけ)へ、次第に寄り添い延命(いのち)を観る儘、初めて辿れた〝自分の宇宙間(すきま)〟を〝許容〟へ仕立てて落ち着き始める。そうした空気(もぬけ)が西日の差し込む小さな許容(クラス)に生長する頃(とき)、生徒各自の念頭(あたま)の上には、初めから無いしどろもどろの〝演説(ことば)〟が交響(ひび)いて無体が飾られ、生徒を初めに壇から下りない教授や講師も、〝俺〟の微熱にほとほとやられる絵図を仕上げて脆(よわ)って来るのだ。

      *

 俺は最近、大学では、夏目漱石への魅力について話す事、漱石の作品について話す事、をしない。誰に話したところで直ぐに熱意が冷めてしまうので、〝もういいや〟と成ったのである。俺は、漱石の書く作品での表現法が好きである。最近、この漱石について、ふと語りたくなって、質問した相手は、今俺が在籍するゼミの担当者である、西田房子准教授である。恐らく、その他に居ない。居ても、憶えていない。俺が自分の精神症状に依る受講法の変更について相談しに、房子氏の研究室へ行ったとき、その場でした質問であり、これははっきり憶えている。四年目の春学期が始まる前の、四月初めの事であり、人気(ひとけ)が大学に疎らの為にか、何故か俺は陽気に揺られて嬉しくなって、予め約束された通りに、先生の研究室へと入って行って、何時(いつ)も行くと焚いている、お香(こう)の匂(かおり)がその日に限って黙々上がって行き過ぎており、俺の心身(からだ)が精神病にて病んであるのにその時知らずの房子せんせは、普段通りの気品を携え、奥から出て来て俺へと近付き、「一寸焚き過ぎちゃって、ドア開けましょうか」と笑いながらに優しく気遣い、部屋の間内(まうち)に風を通して環境(かたち)を調え、〝いざ始める俺の話〟に、普段通りに、真面目な表情(かお)して聞き入ってくれた。そう俺は、こんな柔らかい春風の吹く気持ちの好い日に、この先生の元を訪れ、世間話から文学の話などを、したかったのである。その時には気付けなかったが、後(あと)になって、〝あれは先生の、女性の警戒心が、男性(おとこ)の俺の下心を見てながら、ああした環境(まわり)を調えたのか?〟など、在る事無い事想うついでに、そうした空想(おもい)の内にて静かに残った真実など追い、煩悩(なやみ)に卑弱(ひよわ)い自分の姿勢(すがた)を、それ程真面目に想わなかったが、今、これを書く程後になって、ふと、反省出来た。その時、相談(はなし)のついでに、それまで三、四度訪れて見て知って居た、先生の研究室に置かれた蔵書に目を留(と)め、寺山修司が棚の上の方に詰まれて在るのに、せんせの過去の様子が追って見取れて、先生の子供心が露わに成るのを愉しんでいた。「あんまり読まないから…」と、寺山修司を部屋の隅っこの方に追い遣った房子ちゃんの質(しつ)には、ぽんと浮き出た童心(こどもごころ)の健気な様子が俄かに表れ、可愛く見得て、やっぱり彼女の容姿(すがた)に決して崩れぬ真面目さを観て引かれて行った。甘えついでに、抱擁されたい〝無謀な気持ちを持った自分〟が、彼女の匂いが漂う傍(そば)まで、じりじり、じわじわ、近付ける妄想を孕んで空気に寝ていた。彼女を離れて時間が経つ程、俺の素直は脆(よわ)さを識(し)りつつ自重して行く。しかしその時は、房子ちゃんの表情(かお)が酷く和んで微笑(わら)って居た為、俺はその表情(かお)に従い調子に乗って、〝文学話し〟に揚々気取って花を咲かせた。話すついでに、幾らか和んだ気色を見て取りタイミングを見て、俺は、精神症状にて長時間人混みの中で椅子に座るのが困難であり、それを元に、今後の講義を床(じべた)に座って受けさせて欲しい、と、二週通った精神科による診断書と、自律神経失調症の説明が書かれた説明書を添え相談して行き、どんな話も真摯な態度で聞いてくれる彼女の姿勢(すがた)に幾らか勇気を貰って気持ち良く成り、〝この女(ひと)ともっともっと話をしたい〟という気持ちが恐らく膨れ上がった。机上に紙を拡げて説明しながら、それでも少々疲労を覚えた俺の心身(からだ)は、又、話の流れにタイミングを見て、床(ゆか)に座れる機会(チャンス)を窺い床へと落ち着き、せんせはそんな俺の様子を観ながら「何か私が罰を受けさせているみたいですね(苦笑)、ドア、閉めた方がいいですか?」と又、俺を気遣う優しい言葉を並べてくれた。それからである。俺は、床(ここ)の方が安心するから大丈夫、と伝えてから後(のち)、夏目漱石と先生との関連を探る為にと、〝先生は、夏目漱石を好く読まれましたか?〟から始め、〝漱石のどんな所に魅力…、というか、共感出来る所、感想なんかを覚えましたか?〟など、心から口からするする湧き出る思いの丈など、何とか一つ、一つ、言葉にして行き、自分の良く知る漱石への先生の想いを識(し)ってやろうと、俺は躍起に成って居た。先生は、するする答えてくれた。「私は文学の道に入る前に、この漱石(の本)が家に在ったのでよく開いて読んで、こんなに面白い表現が、嘗て文学の領域(せかい)に在ったのか!?こんなに面白いんだったら、もっともっと読みたい、ってなって、だから、文学の世界に入り込んだきっかけに成ったのが漱石だったのかも知れません。」と言うような内容(こと)を、微笑みながら話してくれた。俺があんまり漱石について執拗(しつこ)く訊くものだからと、唯、調子を合せてくれて居ただけなのかも知れないが、その場の俺には、中々冷めない感動が在る。そんな、容易(やさ)しい所があの女(ひと)にはある。今も、そう思う。〝成る程、この先生さえも、以前(むかし)に虜にしたのか漱石は、〟等と、まるで自分の成果のように、先生の回答を悦び、俺は益々、漱石の作品を描(か)く実力(ちから)が振り撒く〝陶酔〟のようなものに、溺れて行った。その場限りの陶酔でもある。又、〝漱石よ、よくやってくれた!〟などの、溢れた気持ちも確かに在った。まるで、先生の過去に現れた漱石は、〝俺の漱石〟とでも成って居るかのように、無暗矢鱈の衝動(うごき)の範囲(うち)にて、俺の心を跳躍させた。飛躍でもある。

 漱石と出会って後(のち)の俺の経験録には、何気に憶えた淡い連動(ドラマ)も濃い連動(ドラマ)も、共に繋げて内包して在り呼吸をしながら、最近憶えた感動事には、〝せんせ〟と自分の変らぬ連動(ドラマ)も講じられ行く身近に迫った〝再生譚〟まで膨れて在って、日頃、私事(しごと)と対峙して居る孤独に居座る俺の心を、ぽんと浮かせて励ましさえする、強い〝土台〟が敷かれるのである。俺は漱石を好きに成り、先生と保てる〝文学的な時間〟を好きに成った。共に、文学を語る上での話である。



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~夏目漱石の詩文を読んで~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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