丘のむこうは海蛇座

みきくきり

第1話 ブドウ Viteto



 叔父おじ書斎しょさいたずねることは好きだ。


 そこには鉢植はちうえの、とても小さな葡萄ぶどうの木がある。


 くなった叔父がたいせつにしていたそれを、大きな両びらきの窓を開け、露台ろだいえたテーブルに置く。


 わたしは椅子いすこしかけて待つ。れた空からとどく風が心地ここちよい。




 そのうちに、こまかく地面をむ、かるい足音が近づいてくる。


 足音が露台にのると、おさない男の子の姿すがたがあらわれる。


 彼は葡萄の木におはなしをひとつ持ってきたのだ。


 身ぶりをくわえ、夢中むちゅうで男の子は葡萄に物語ものがたる――つかえながら、時にはもどってやりなおしながら。


 彼にわたしの姿は見えないらしい。

 たぶん、彼の目には、家も、庭をかこへいもなく、テーブルと鉢植えの葡萄だけがあるふしぎな場所として見えているのではなかろうか。


 わたしも、叔父の家のそとのことからはなれ、日差しの光にただふわふわとただよっているような気分になって、物語をく。




 男の子がかたえ、期待きたいする目で葡萄の木を見つめる。


 すると、葡萄の木に一房ひとふさだけあらわれる。そして、ほらどうぞ、という感じにふるりとれるのだ。


 男の子はその一房をもぎとり、さっそく実をひとつ口に入れる。彼のくちびるが左右に大きく引っぱられて笑顔えがおとなる。


 彼が小走こばしりでっていく足音とかさなり、つぎの子がためらいがちに近づく足音が聞こえる……。


 こんなふうに、入れかわりながら次々つぎつぎに子どもたちが、小さな葡萄の木に小さなお話を聞かせにやってくる。いろんな服装ふくそう、いろんな顔立かおだち、いろんな言葉ことば


 わたしは次第しだいにまどろみのなかにけていく。


 わたしに最近さいきん起こったかなしいこと、ずいぶん前の出来事できごとなのにいまだにわたしの心を乱暴らんぼうにぎりしめるような記憶きおく、すべて子どもたちがお話にしてあまい葡萄のつぶえてくれればいいのに、とぼんやり思う。




 ふと目をさますと、すでにが落ちかけていた。


 赤紫色あかむらさきいろまった広い空、青紫色あおむらさきいろちた小さな庭。


 もう子どもではいられないおんなの、吐息といきのような風。

 

 おもての道を、静かなエンジン音を立てて、自動車がとおっていった。


 わたしは鉢植えを叔父の書斎にそっともどし、窓を閉める。



 Fino


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