クマVS怨念温泉〈雪降る宿に、鹿のアラが降る〉

緋色 刹那

 若いの、そこは写真を撮るような場所じゃないよ


 ……ここで何があったのか、だって?


 何年も前に、事故があったのさ。

 「祟り」と呼ぶ人もいるね。


 ……何の祟りだったのかって?


 あれは、そう……



 クマと温泉の祟りさ。



 ❄️



「あの露天風呂、すってぴー!」

「ねぇ、若女将さぁん。あそこの露天風呂には入れないんですかぁ?」


 二人の女性客が、三階の窓から見える露天風呂を指差す。双子の姉妹だそうで、他人を小馬鹿にする表情も甘えるような声もそっくりだった。名前も「カナ」と「カコ」と、一文字しか違わない。


 若女将の雪子ゆきこは無理やり笑顔を保つ。客がどんな人間であろうと、あの温泉だけは入れられない。


「申し訳ございません。あちらは改装中でして、ご利用いただけません」

「ざんねーん。すっごくキレイなのに!」

「ねー。改装するにしたって、繁忙期の今やらなくたっていいじゃないですかー。もったいないですよぉ」


 私もそう思います、と雪子は危うく口にしかけた。



 ❄️



 温泉旅館「雪ノ宿ゆきのしゅく」。

 人里離れた山奥にある隠れ家的旅館で、地元の食材を使った料理や、四季折々の自然、多種多様な温泉などを売りにしている。行楽シーズンは特ににぎわい、常連も多かった。


 そんな雪ノ宿には一部の従業員しか知らない、ある秘密があった。


 改装中と偽り、絶対に客を入れない温泉……「怨念の湯」の存在である。


 江戸時代、この土地は処刑場だった。何人もの罪人が処刑された。無実の者もいたらしい。

 彼らの死体は墓ではなく、一つの大穴にまとめて埋められた。罪人の怨念か、処刑人が一夜にして全員失踪。処刑場は閉鎖した。


 時は流れ、百年前。何も知らない雪ノ宿初代オーナーは処刑場だった土地を山ごと購入し、雪ノ宿を作った。

 目玉となる露天風呂は、広大な山々を見渡せる、最も景色の良い場所に作った。そこが罪人の死体捨て場だったと知らずに。


 雪ノ宿がオープンし、異変はすぐに起こった。露天風呂に入った客が何かに足を引っ張られて溺れたり、首を切られたりなど、事故や怪現象が相次いだ。

 露天風呂は「怨念の湯」と呼ばれ、客や従業員から恐れられるようになった。旅館全体の客足も減った。


 初代オーナーは土地を調べ、この場所に何があったのか知った。幸い、異変は怨念の湯のみで起きていたため、雪ノ宿の経営は続け、怨念の湯のみを閉鎖した。

 同時に、怨念の湯の埋め立て工事も計画された。が、工事でも作業員の溺死や機械の故障が多発し、どの業者にも断られてしまった。


 時の流れのおかげか、現在の客で怨念の湯の存在を知る者はいない。元会社員である雪子も、現オーナーである夫(細雪ささめ)と結婚するまで、そんないわくつきの温泉が雪ノ宿にあるとは知らなかった。


 知っても、怖いとは思わなかった。雪子は生来、オカルトの類いを信じないタイプで、むしろ疑ってすらいた。

 万が一、何かあっては困るので、客は入れないが、いずれ怨念の湯のリニューアルオープンを果たそうと目論んでいる。


 女将である義母はぎっくり腰で不在、前オーナーの義父は数年前に他界した。夫は気弱な性格で、怨念の湯と同じくらい雪子を恐れている。怨念などないと証明できれば、雪子の指示を聞かざるを得なくなるだろう。


「怨念の湯のリニューアルオープンで、売り上げ爆増……オススメ温泉旅館ランキング一位、リニューアルして良かった温泉ランキングも一位……それを実行した私は、『今年の顔』に選出、全国若女将ランキング、上司にしたい若女将ランキング、女将に格上げしてほしい若女将ランキングのトップを独占……ぐふ、ぐふふ」


 雪子は双子の姉妹を部屋まで送り、人知れずほくそ笑んだ。



 ❄️



「どうぞ、ごゆっくりおくつろぎくださいませ」

「「はーい」」


 雪子は廊下の角を曲がり、階段を下りていく。「ぐふふ」と悪そうな笑い声が遠ざかっていった。


 雪子の姿がいなくなると、カナとカコは同時にニヤリと笑った。


「入っちゃダメって言われるとぉー?」

「入ってみたくなるんだよなぁー」


 二人はスマホを手に、怨念の湯へ急ぐ。彼女達は温泉巡りと写真撮影が趣味だった。写真映えする温泉を見つけては無断で撮影し、SNSへ投稿している。たびたび炎上しているが、全く気にしていない。


 外へ出て、怨念の湯を囲む竹垣を上る。

 泳げるほど広い露天風呂だ。真っ白な雪がチラつき、もうもうと湯気が立っている。庭の椿の花の赤が雪景色に映え、美しい。


 石張りの床には、うっすらと雪が積もっている。作業員のものか、温泉のまわりにいくつもの足跡がついてしまっているのが残念だった。


「思ったとおりきれー」

「見つかる前に、早く撮ろ!」


 カナとカコは怨霊の湯を背景に、自撮りを始める。確認すると、どの写真も湯気で曇っていた。


「この湯気、顔に見えてキモい」

「あとで加工するからいいじゃん」


 最後に、足湯をしている写真を撮ろうと、スリッパを脱ぐ。湯気で気づかなかったが、血を注いだように赤い温泉だった。他所にも赤い温泉はあるが、ここまで赤いのは初めてだ。


「これ、本当に入って大丈夫なやつ? 足赤くならない?」

「ね。ちょっと不気味」


 躊躇していると、背後でガサガサと竹垣が揺れた。竹垣の一角が、ひとりでに揺れている。外に誰かいるのか、フンガフンガと荒い鼻息が聞こえた。


「覗き?」

「警察呼んだほうがいいかな?」


 二人は顔を見合わせ、再び竹垣へ目をやる。

 ひょこっと、竹垣の上にクマの顔が現れた。鼻息が白い。着ぐるみでもぬいぐるみでもない、本物のクマだった。


「「く、クマァァァーーーッッッ?!」」


 カナとカコは腹の底から絶叫した。逃げようと、慌ててスリッパを履く。二人同時に雪で転倒し、怨霊の湯へ落ちた。


 上がろうとするカコを、カナが止める。


「このまま隠れてよ! そのうち諦めるかも!」

「えー! こんな汚い温泉、潜りたくないんだけど!」

「いいから!」


 二人は息を吸い、潜る。彼女達はアーティスティックスイミングの強化選手で、三、四分なら余裕で潜っていられた。


「ボフゥ?」


 クマはカナとカコを見失い、厨房のほうへ走り去っていく。


 しかし三分経っても、四分経っても、カナとカコは顔を出さなかった。雪は降る勢いを増し、二人の足跡を消した。

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