ショートショート 8選
仲瀬 充
ショートショート 8選
ショートショート その① キャバ嬢
「
美海は今年で29歳になる。
キャバ嬢としては若いほうではなく、ひいきの客も少ない。
「運転手さん、止めて!」
店長の警告を思い起こしながら帰宅していた美海にある考えがひらめいた。
タクシーを降りた美海は歩きながら深夜の道端に1枚ずつ計4枚の名刺を
名刺は4枚とも中年のサラリーマンに拾われた。
加部卓也と庄司圭一は出勤時に、清水道雄と柳田雅史は帰宅時に拾った。
名刺の裏に携帯の電話番号が手書きで書いてある。
加部は面白がってすぐに電話をした。
「美海ちゃんっていうの? 奇遇だなあ。俺の女房もミミって名前なんだ。カタカナだけどね」
加部は美海の固定客になった。
庄司のほうはアメリカ人の妻のメアリーのほうが名刺に興味を示した。
「一緒に行きましょうよ。私、キャバクラってとこに一度行ってみたいの」
美海の作戦は成功した。
名刺4枚で二人の客を開拓できた。
二人の妻のおかげとも言える。
「加部にミミあり、庄司にメアリー」だ。
しかし、妻のおかげでシャレにならなかったのは清水と柳田だった。
この二人は「壁に耳あり、障子に目あり」ということを意識しすぎた。
住宅街は日中でも油断できない。
老人や引きこもりの人間がレースのカーテンごしに通りを見ているのはよくあることだ。
まして清水と柳田が帰宅途中に名刺を拾い上げたのは人通りの多い夕方だった。
二人ともイケメンだが、その分妻がひどいヤキモチ焼きという点も共通していた。
名刺を持って帰れば疑われて大変なことになる。
かと言って道端に捨てると、それを見とがめて拾った人からどんな噂が流布されるかしれない。
清水はとうとう名刺を持ち帰り、引きちぎってごみ箱に捨てた。
そのピンク色の小さな紙片を清水の妻がゴミ出しの日に目ざとく見つけた。
そして丹念につなぎ合わせた。
もう一人、離婚騒動に発展したのは柳田ではなくその隣人だった。
名刺を拾った柳田は清水同様に捨てるに捨てられず自宅に着いた。
そして玄関のドアを開ける直前、困り果てた柳田は発作的に隣家に向かって手裏剣のように名刺を放ったのだった。
その後のなりゆきは読者の想像にお任せしよう。
ショートショート その② アル中
俺は酒ぐせが悪いらしい。
前夜のことを覚えていないどころじゃない。
酔っ払って何か一言発する。
するとその場が静まり返るなんてことがよくある。
悪気はないのだ。
それどころか俺はいい奴なのだ。
場を盛り上げようと刺激的なことを言い、結果それが裏目に出てしまう。
家でも同じだ。
飲み会の翌朝、女房の機嫌がすこぶる悪い時がある。
多分、酔って帰って女房の気に障ることを言うのだろう。
今、俺は仕事も酒もやめている。
酒はやめていると言うよりやめさせられている。
女房が酒瓶を隠して飲みに出る小遣いもくれない。
心療内科に行けと言うが、やなこった。
暇を持て余した俺は散歩くらいしかすることがない。
昼間っぱらから我が家の裏手の山に入る。
山の中を歩くのはいいものだ。
国木田独歩になって武蔵野を歩いている気分になる。
今日は晩飯前に裏山に来てみた。
失敗だった。
「厄年も過ぎてお前は何をしているのだ」
俺を責めるように木々の梢が木枯らしに鳴る。
落ち込んだ俺は枝の頑丈そうな木を探しながら歩く。
すると木々の間を透かして眼下の我が家の灯りが目に入った。
帰って来いと呼びかけるかのように灯りが瞬く。
「
近所に女房の妹夫婦が住んでいる。
女房はしょっちゅう行き来しているが俺は義弟の言葉どおり久しぶりだ。
女房に誘われて訪ねたのも久しぶりなら酒も久しぶりだ。
出された酒を俺は黙ってちびちびと飲み続けた。
そんな俺を見て妻の妹が言った。
「お
一瞬、
いつもは
しかし口には出さずに俺はおでんを肴におとなしく飲み続けた。
酒の場で刺激的な話の応酬なんか誰も期待してはいないのだ。
皆、どうでもいいことをしゃべりたいだけなのだ。
俺は最近ようやくそのことに気づいた。
酒の席では人の話に相槌を打ちながら聞くに限る。
久しぶりの酒に酔った俺は部屋の隅で皆に背を向けて横になった。
するとひそひそ話が聞こえてきた。
「姉さん、この分なら病院に行かなくても大丈夫なんじゃない?」
「そうねえ、そろそろ失業保険も切れるし働いてもらわなくちゃね」
俺はわけの分からない涙がこみ上げてきた。
声を殺してすすり泣く俺の背中が震えていたのだろう。
女房が「寒いの?」と間抜けなことを聞いてきた。
「ああ。そろそろ帰ろうか」
俺も間抜け顔で鼻をすすりながらそう言うしかなかった。
ショートショート その③ 泣き虫店長
チェーン店の定食屋での出来事である。
若い男二人が座ったボックス席にウエイトレスが注文のカツ丼を届けた。
その直後、大きな声が響いた。
「なんやこら、ゴキブリが入っとるやないか!」
ウエイトレスが駆け付けると確かにゴキブリの小さな幼虫が1匹入っている。
「すみません、すぐに作り直して参ります」
だが男たちはおさまらなかった。
「作り直すだけですむと思うとんのか、こら!」
「お前じゃ話にならん。責任者は誰や!」
店内は静まり返り、食事を続けながらもなりゆきを注視している。
30前後と思われる細身の店長が問題の席にやってきた。
「申し訳ございませんでした。作り直させていただきます」
男たちは背もたれの上部に両腕を伸ばして置き、脚を組んだ。
「それじゃあかんのちゃうか言うとるやろ、ぼけ!」
ここで店長は顔を上げ、店内を見回しながら話しだした。
「お客様方、お騒がせして申しわけございません。こちら2名様のご注文をお作りしたのは私です。調理の過程でゴキブリが混入することはありえません。ホール係もテーブルに置いた時にゴキブリは入っていなかったと言っております。そこで今回の処理は警察にお願いしたいと思います。店の対応マニュアルとは異なりますのでそれでよろしいかどうか、同じお客様である皆様方で私どもの判断に賛同いただける方は挙手をしていただけませんでしょうか?」
恐る恐るという感じで2、3人の手が挙がった。
それからは速かった。
店内の全ての席で手が挙がった。
自分が警察に通報してもいいというつもりか、スマホを持って挙手した客も何人かいた。
二人組が物も言わず退散すると店長は再び店内を見回した。
「ありが……」
涙で言葉に詰まった。
「皆様の一人の手も挙がらなかったなら私は仕事を辞めるつもりでした。それが……こんなに、こんなにも……、ありがとうございました、ありがとうございました」
店長は両ひざを床につき、両手で顔を覆って号泣した。
客が立ち上がって拍手を始めた。
「というのが30年前のなれそめ」
「その時のウエイトレスだったあんたが店長にプロポーズしたってわけね。素敵な話だわ」
「けど、その旦那も今はハゲでデブの糖尿病予備軍。私に隠れてこっそり夜中に食べ物をあさってるの」
「それってまるで……」
「そう、ゴキブリ亭主」
ショートショート その④ 耳なし芳一のたたり
やっと険しい山を越えた。
周囲は一寸先も見えない闇。
ふもとに一筋の川が流れている。
おかしい、
僕はあやかしにたぶらかされているのか?
それとも夢を見ている?
静寂の中でお経を唱える声がかすかに聞こえる。
僧侶がいればあやかしは出ない。
僕はたぶん夢の世界にいるんだろう。
だけど暗すぎる、この暗さは恐怖だ。
『耳なし
琵琶法師の芳一は平家の亡霊によって墓場に招かれた。
そして平家物語を語って壇ノ浦に散った平家の霊を慰めた。
待てよ、芳一はたしか盲人だった。
なら真っ暗な墓場も今の僕ほど怖くなかったろう。
けど平家の亡霊に両耳をもぎ取られた痛さは半端なかっただろうな。
声も出さなかったそうだから偉い。
僕ならイテテテ!と叫ぶか失神するか。
そんなことを考えながら歩くうちにふもとの川岸に着いた。
川向うから読経の声が風に乗って朗々と響いてくる。
「……おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば……」
え? これはお経じゃなくて平家物語だ!
『耳なし芳一』の話と同じく死んだ僕の魂を誰かが供養しているのか?
だとしたら僕がたどっているのは
そして越えてきた山は「
全身の毛が逆立った。
三途の川を渡ってないからまだ間に合う、引き返そう!
そう思った時、前方から聞こえていた平家物語の語りが途切れた。
何者かが正面からつかつかと近づく気配がする。
すると後ろから押し殺した声が聞こえた。
「起きろ、先生が来るぞ」
寝ぼけまなこで頭を上げると、時すでに遅し。
「立ってろ!」
「イテテテ!」
古文の教師は僕の耳をつまんでちぎれるかと思うほど引っ張り上げた。
ショートショート その⑤ ロック歌手の着メロ
さすがに中年になっても人気の衰えないロック歌手の自宅だ。
門を入って玄関までけっこうな距離があった。
「『月刊 レジェンドジャパン』の坂崎です。初めまして」
リビングルームだけでも僕の賃貸マンションより広い。
テーブルを挟んでさっそくインタビュー開始。
「権威や体制に噛み付くスタイルでデビューしたあなた自身が今はレジェンドになっていますが、その辺については……」
ロック歌手の目がギラリと光った。
ひるんではならないと思いながらも体は正直に反応する。
僕の武者震いを見て取ったロック歌手はニヤリと笑った。
「いい度胸だ、気に入った。何でも聞きたまえ」
「じゃ遠慮なく。歌う時のあなたの視線がお若い頃と違ってきたのが気になります」
「?」
「視線が上向きになるのと比例して歌詞が抽象的で難解になってきたように思うんです」
「面白い。もっと詳しく」
「頭でこしらえる理念よりも見たままの情景がよほど新鮮で変化に富んでいて、」
僕の熱弁はスマホの着メロでさえぎられた。
曲はロック歌手には不似合いな昔の演歌だった。
通話が済むのを待つ間、僕は小さい頃の思い出を急いで手繰り寄せた。
両親の離婚に伴って兄は父に、僕は母に引き取られることになった。
幼かった僕は父親の顔も一回り年長の兄の顔も覚えていない。
二組に分かれて家を出る時に兄がキャラメルを一粒くれたことを覚えている。
もう一つ覚えているのが数十年ぶりに聞いたさっきの着メロだ。
父らしき人が家でよく口ずさんでいた。
「マネージャーからだ。話を途切れさせてすまん、続けてくれ。ん? どうした?」
おそらく緊張が顔に出ていたのだろう。
「いえ、なんでもありません。着メロが懐かしくて」
今度はロック歌手が口をつぐんで僕を見つめた。
僕はインタビューを再開したが半ばは上の空だった。
「ありがとうございました、いい特集記事が書けそうです。あの、最後に一つお願いが……」
「何だい?」
「お屋敷の見事な庭を一回りさせていただけませんか。拝見したらそのまま失礼しますので」
玄関を出てゆっくりと歩を進めた。
僕の歩くルートが
そんな卑屈で甘美なイメージを心に浮かべながら家の周囲を巡り終えた。
そして門の方へ向きを変えた時だった。
「おーい!」
背後から声が聞こえた。
振り向くと玄関のドアを開けてロック歌手が立っている。
「戻って来い。キャラメルは切らしているが旨いワインがある」
ショートショート その⑥ 大人の童話『上のお婆さんと下のお婆さん』
少し昔々日本のあるところに
上のお婆さんはいいことを思いつきました。腰がひどく痛んで起き上がれなくなったと嘘を言ったのです。結果は願いどおりにお爺さんに付きっ切りで世話をしてもらえるようになりました。お爺さんはこれまでの習慣で時には外出したくなりますがそんな時は下の家のお爺さんを訪ねて将棋を指すことにしました。すると今度は下のお婆さんが将棋盤を囲む二人をベッドから見ているうちに上のお爺さんに恋をしてしまいました。
7月の夕方のことです。上のお爺さんが庭で大きな声を出しました。
「お、咲いとる咲いとる!」
お爺さんは真っ白な花が2輪咲いている鉢植えをお婆さんの枕元に運びました。
「あら、月下美人がやっと咲いたのね」
二人で観賞した後お爺さんは下の家にも見せに行きました。
「わあきれい! 初めて見ました」
「ほう、これが年に1回しか咲かないという月下美人ですか」
上のお爺さんは他の人にも見せたくなりました。
「朝になればしぼんでしまうので付き合いませんか? この花を1輪切り取って行きつけの店にちょいと」
「たまには外で飲むのもいいですな」
上のお爺さんはベッドのお婆さんに視線を向けました。旦那さんをお借りしますという挨拶のつもりでしたがお婆さんは目が合って胸が高鳴りました。二人が出て行った後でお婆さんは月下美人の花言葉が「はかない恋」だということを思い出し、今後何かが起こりそうな予感を抱きながら眠りに就きました。
下のお婆さんの予感は悪い方に当たりました。お爺さん二人が出かけた後、飼っていた猫の尻尾が触れて焚いていた蚊取り線香が畳に落ちてしまったのです。お爺さんたちが酔った足取りで帰って来たのは消火活動の終わりかけの頃でした。下の家は全焼で上の家も一部が焼けました。下のお婆さんは助け出されましたが大やけどです。それよりも近所の人たちの間では上のお婆さんの話題で持ちきりでした。下の家と同じく寝たきりのはずのお婆さんが走って家から逃げ出して来たのですから。
ショートショート その⑦ 負けた
課長が女子社員を呼びつけて湯飲みを差し出した。
これはパワハラではないか。
どうしてこんなやつが課長で同期入社の俺は平のままなんだ。
仕事のスキルだって俺のほうが。
女子社員が
ん? 俺はパソコンに向かったまま横目で様子をうかがう。
机の引き出しから爪切りを取り出した課長は靴下を脱いだ。
そして足の指の爪を親指から順に切り出した。
爪の切れ端が机の上に不規則に飛び散る。
右足が終わって左足に移ったが俺はにんまりとした。
右足の小指の爪を切った時に切れ端がはねて湯飲みに入ったのだ。
机上の爪をゴミ箱に払い捨てると課長は湯飲みを手にした。
ぐびりと一口お茶を飲み下すと眉根を寄せて不快な顔つきになった。
やった! 俺は心の中で
なおも横目で見ていると課長は舌先を口から出して爪の切れ端を指でつまみゴミ箱に捨てた。
その後はおもむろに残りのお茶を飲み干した。
なるほど、俺が出世しないわけだ。
ショートショート その⑧ 至福のひと時
小学生の頃の思い出といえばゴールデンウイークだ。
と言っても近くの公園に出かけただけなのだけれど。
桜の木の下にピクニックシートを広げて親子3人で座った。
母さんが風呂敷をほどくと大小二つのタッパー。
大きい方には2種類のおにぎりが詰めてあった。
とろろ昆布で巻いたのとゴマ塩おにぎり。
小さいタッパーは卵焼きと魚肉ソーセージとたくあん。
僕はとろろ昆布のおにぎりにかぶりついた。
父さんはたくあんを肴にぼんやりとカップ酒を飲んだ。
母さんは箸を休めるごとにぼんやりと葉桜を眺めた。
父さんはカップ酒を2本飲んでも母さんに手をあげなかった。
母さんの顔も買い物で財布を覗きこむ時とは大違いだ。
晴れた空にはぼんやりと霞がかかっている。
幸せってぼんやりしてるんだな。
ゴマ塩おにぎりをほおばりながら僕はそんなことを思った。
「いい小春日和だねえ」
母さんは空を見上げて5月なのにそうつぶやいた。
「うん」
僕は卵焼きに箸を伸ばしながら生返事をした。
ぼんやりした親子の至福のひと時だった。
あれから50年以上たった今、父も母ももういない。
それでも僕はあの1日をふと思い出す時々がある。
たとえば終日の配達を終えて戻った夜、軽トラックを降りて翌日分の荷を積み込みながら。
ショートショート 8選 仲瀬 充 @imutake73
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