第27話 ゆれる想い

   十二月二十三日 火曜日

 電話で目覚める朝が多過ぎると思われるかも知れないが、こんな暮らしをしていると実際こういうものだ。

 この朝は、またミス小野だった。

「聞いたわ、ありがとう。あなたならやってくれると信じてた」

 受話器を持ちながら首筋を掻いた。

「これで安心して賞レースに集中できるわ。マナも喜んでる」

 犯人が誰かをマナに言ったかと聞くと、社長はイエスと答えた。マナがどんな反応をしたかは聞かなかった。

 事務所に戻って欲しいというミス小野の言葉に、考えさせてくれと返した。社長には不満な返答だった。

「お礼をしたいんだけど何がいい?」

 少し間を置いて、俺は答えた。

「マナに会いたい。二人きりで」

 ミス小野はしばし沈黙したが、余計な事には触れずこう言った。

「いいわ。今夜のFNS歌謡祭の後、ただし十五分だけ」



 FNS歌謡祭はフジテレビが主催する音楽賞である。グランプリは、実質八代亜紀よりレコードの売れている五木ひろしの『ふたりの夜明け』が選ばれた。

 マナは聖子、田原を差し置いて新人賞を獲得した。『ゆれる想い』を歌いながら、マナは涙を幾しずくか流した。テレビで泣かない女が、記者会見以外で初めて涙を見せた。



 昼間借りたレンタカーを、武道館からひと駅離れた竹橋の毎日新聞近くに停めて待った。受賞者となったマナは、番組終了後一時間半たって現れた。前に停まった車から風間と二人降りて来る。

「十五分ですよ。この後雑誌の取材が三本あるんでよろしく」

 田舎のプレイボーイは、無愛想にそう告げると車に戻った。

 いつかのように質素な田舎娘ルックのマナが助手席に座った。

「新人賞おめでとう」

「こんな賞、あんまりうれしくない」

「でも、泣いてた」

「ママが泣けって言うから」

 風間がルームミラーからこちらをうかがっているのが見えた

「ありがとう。優秀な探偵さんにお礼を言わなきゃ」

 犯人の名前を聞いたか尋ねた。

「クミちゃんだって事より、あの子に恨まれてた事がショック」

「そんなどろどろした話は売るほどある。それが芸能界って商売だ」

「クミちゃんはどうなるの?」

「ママがうまくやるだろう。自社の元タレントの仕業にはしないよ。クミはもう芸能界を去るつもりだし、全ては闇の中さ」

 ラジオは壊れていて鳴らない。会話が途切れると、途端に間がもたなくなる。俺たちには十五分しかない。

「雑誌の取材ってのは大事なのか」

 ギアがバックに入る。

「下らない仕事よ。意味なし」

 サイドブレーキを解いて、アクセルを踏み込む。

 マナがのけぞる。借り物のカローラは車道に飛び出る。

 風間があわてて振り返るのが見えたが、既にギアはドライブに入り、風間の車は左の視界を後ろにフレームアウトする。

「何てことするの!」

 車体がジグザグに揺れていた。車の運転は一年半ぶりだ。クラウンにクラクションを鳴らされて、頭に血が上る。

 風間の車が追って来ていた。とっさに車線変更などしてみるが、今度は軽四のクラクションを受ける。

「免許持ってるの?」マナが叫んだが、次には手を叩いて喜んだ。

 大手町に出ると車が増えた。黄から赤に変わった信号を突っ走る。まだ風間は追って来る。高速の入口を探す。

 神田橋で首都高に乗って間もなく、追っ手を完全に巻いた事を確認した。



 いつかの海岸に来た。風に波が乱れる様を車の中より望んだ。

 マナは、ここへ来た理由を抗議するように俺の方を睨んでいた。

「いい奴だな、リュウは」

 何も答えないマナ。

「若い奴にしては、結構話が合った。最後はけんかになったが」

「何が言いたいの?」マナが不機嫌に言った。

「こんな所に来た理由は何?」

 風か波か区別のつかない音が外で鳴り響いていた。叩いたラジオから、『オール・ナイト・ニッポン』のテーマが流れ始める。松山千春が、歌とは違う明るい声でしゃべり出した。

「お前の事を全部調べた。どうしても知りたくてね」

「わたしの事なら何でも知ってるとでも言いたいわけ」

「親父さんにも会ってきた」

「お父さんに?…じゃあ、お母さんの事も」

 俺はうなづいた。

「わたしを怖くなった?」

 首を振った。

「おふくろさんと、お前とは別の人間だ」

「沖縄での事、無かったことにしてもいいよ」

「自分の母親を誤解しちゃいけない。おふくろさんは確かに過ちを犯したが、それを後悔している。十分過ぎるほどの代償も背負って生きて来た」

「生きて来た?」

「会いたいか」

「生きてるの?死んだって聞いてるわ」

「素晴らしい人だよ、お前のおふくろさんは」

 車内のかすかな明りの中にマナの顔を見る。非の打ち所の無いマスクに、智子をダブらせている事に初めて気付いた。

「明日行こう」

「明日はかくし芸の収録があるの」

「大丈夫。昼までには終わる」





 昭和36年3月9日、静岡県三島市で二十一歳の男子工員が、いわゆる連れ込み旅館で顔を切り刻まれて殺される事件が起きた。

 翌10日、違う旅館で若い男が血まみれで発見される。同じ印刷工場の同期の男で、一命は取り留めたが、鼻から口を切り裂かれ声を出すことが出来なかった。

 二人が同伴した女性について、目撃証言が一致した。顔が半分隠れるような大きなマスクにサングラス、頭には赤いスカーフ。

 3月12日、同市に住む二十歳の女が自首する。女性の顔には、左頬から右顎を斜めに貫く痛々しい切り瘍があった。自供した女は、名を最上まき子と言った。

 市内大手デパートの店員であったまき子は、社内でも評判の美人だったが、前年5月六歳年上の上司と結婚退職。新郎は二年前妻と死別しており、彼女は四歳の息子の母となる。

 まき子は高校時代より男関係が盛んで、二人の若者はまき子の同期、いずれもかつては恋人関係にあった。

 結婚後しつこく誘われて、ある日まき子は三人で遊びに出掛ける。二人は最初からまき子を強姦するつもりでアパートに連れ込む。順番に犯された後、まき子は割れたガラスコップのかけらで自殺を図る。止める二人ともみ合ううち、ガラスがまき子の美しい顔を斜めに裂いた。

 まき子は真相を夫に隠した。顔の真ん中にフランケンシュタインのように赤い瘍のある妻を、夫は抱けなくなった。一方、二人のワルどもはしつこく付きまとい、夫にばらすと脅した。外出も出来ない日が続いた。

 やがて、つわりを憶え妊娠三ヵ月を告げられて、彼女の苦悩はピークに達する。生まれてくる子供の父親は誰か。それにふさわしくない人間を消す事を彼女は決意する。

 男たちを次々と旅館へ誘い込んだ。薄情な男たちは、抱く時も彼女の顔を見なかった。関係した後の無防備な男の顔を刺す時、ためらいは感じなかった。自分の顔を奪った憎い男たちの顔を、その手で血だらけに染めた。

 事件後、夜は全く眠れなかった。お腹の子供の実の父親を殺したのではないか、人殺しの母親から産まれる子供は不幸ではないか。二日後、夫に打ち明けることなく一人で三島署へ出頭する。

 6月30日、初公判にまき子は哀れな傷をさらして出廷し、全面的に犯行を認める。

 事件後デパートを退職した夫、最上養蔵は証言台に立つと、妻の苦悩に気付かなかった事を嘆き、それでも妻を愛していると叫んだ。

 弁護人は被害者である男たちを鬼畜と呼び、裁判官たちは被告人の顔の傷を正視出来なかった。それは情状酌量につながった。

 9月13日、最上まき子に懲役7年の実刑判決。

 10月10日、獄中にて女児を出産。






「全部知ったのは中学三年の時。兄貴の机の上にあった大学ノートを偶然読んだの。兄貴は大学も文学部で本の虫だったから、小説でも書き始めたのかと思って。そうしたらそこには、兄貴が二十歳になった時にお父さんから教えられた秘密と、それを知ってからの悩みが延々と書いてあったわけ。頭がパニックして、日が暮れた部屋にいつまでも座ってた。泣いたのかどうか、よくわかんない。兄貴がこう書いてたの。少なくとも殺人犯の息子でなかった事は助かった、もし真奈美の境遇だったなら僕は自殺しただろう。この言葉は何度も読み返したわ。それからはもう自分の事なんて大事じゃなくなった」

 ホテルのベッドに腰掛けて、マナは話し続けた。

 母譲りの美少女はこうして不良少女となった。桑田の報告書の空白がやっと埋まった。

「悪い仲間とつき合って、成績も最悪に落ちたわたしを兄貴は叱ったわ。その時、ノートを読んだ事を言ったの」

 五歳上の腹違いの兄は、美しい妹に兄弟以上の感情を抱いていた。妹に流れる血に恐れを感じながらも、その想いは胸に抑えても滲み出た。

 マナもまた、言葉や視線などから本能的にそれを感じ取っていた。幼き頃より見る者の目を引いたマナが、初めて男から見られていることを自覚したのが、兄の目だった。

「一週間後の土曜日、兄貴は貨物列車に轢かれて死んだ。遺書もなくて、あのノートも見つからなかった。結局事故という事になったけど、絶対にそうじゃない…」

 十五にして自らの血と、兄の自殺という二つの十字架を背負ったマナは、歌手という夢を未来に掲げて歩き始める。涙を流す事も止めた。この忌まわしい町を離れ、這い上がったステージの上から人々を見下ろす事を夢に描いた。

「高一の時刑務所に行ったのよ。でも七年の刑でしょ、もうとっくに出所してて行方もわからないの。お父さんに打ち明けて尋ねたら、出所して半年後くらいに交通事故で死んだらしいって」

 少し間を置いて、マナはため息と一緒にこう言った。

「マスターのお父さんも刑務所で死んだのよ」

 同じ傷口を見出した二人は、激しく互いを求め合ったわけだ。

「わたしの父親は誰だかわからない。きっとお母さんが憎んだろくでなしの一人がそうだったのよ」

「俺が会った親父さんは、お前そっくりの目をしてた」

 首をちぎれるほど振って、マナはかすれた声を上げた。

「わたしはお腹の中から見てたんだ。お母さんが父親の顔を切り裂くとこをね。わたしの本当のお父さんを‥」

 哀れなこの娘を、抱き締める事で黙らせた。

「やめろ…」

「わたしは人殺しの娘なのよ!」

「明日わかる。教えてやる」

 興奮したマナが腕枕で眠っても、俺は朝まで寝つかれなかった。横たわる小鳥のような寝顔は、見飽きる事がなかった。


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