第14話 インスピレーション

 新宿西口センタービルの、夜景の見えるステーキハウスがリュウの指定だった。

「あれっきりあんたの顔を見なくなった。303号に淀橋なんて表札はねえし、最近引っ越して来た家だって一軒もなし。おかしいってんで調べたんだ。グループサウンズの本のどこを見ても、スクラップなんてバンドは載ってなかった。そのかわり、フェニックスのベーシストの顔が謎の男にそっくりだった。そんな時、真奈美の騒ぎが起きた。謎の男が、真奈美に妙にこだわってた事を思い出した。でも、真奈美と元フェニックスの関係はピンと来なかった」

 200gのレアを赤ワインで流し込みながら、止めなくリュウはしゃべった。この前はコーヒーしか飲まなかったくせに、今夜は居酒屋チェーンの御曹子ぶりを見せている。

「元芸能人の消息を探すのは、テレビの特番のレポーターだろ。誰かさんを真似して身元を偽った。あんたまだ半分芸能人なんだな。真奈美と同じ事務所で、どういう仕事をしてるかまで解った。わざわざ芸名で電話帳に載ってるのは助かったよ」

「意外と頭が回るんだな。探偵になれるかもよ」

 俺の前にはコーヒー一杯だけだ。目の前の肉を見てるだけで胃がもたれそうだった。

「週刊誌に写真送ったのは俺じゃないぜ」リュウが言った。

「送ったヤツはわかってる。喫茶店の店長だ。あの暗い野郎が真奈美に捨てられた腹いせに、恨みを晴らそうと。そうだろ」

「まだわからない」

「真奈美を泣かすヤツは許せない。店長を見つけて腕をへし折ってやる」

「店長が犯人だとは言ってないだろ」

「真奈美の悪い噂を聞いたかもしれないが、つき合った男は俺と店長だけのはずだ。他に誰がいる、あいつが有名になるのを邪魔する男がどこにいる」

「もう犯人捜しはやってないんだ」

「何で?それが仕事だったんだろ」

「クビになったんだ。たぶんね」

「一緒に突き止めてくれよ。仕事も放って出て来たんだから」

「悪いけど、これ以上彼女には関わりたくないと思ってる」

「探偵と聞いて頼りにして来たのに」

「犯人を知ってどうするんだ。下手な事をしたら、また週刊誌のネタを増やすだけだ」

「俺の気が済まねえんだ。なあ、誰が写真を送った。知ってるなら教えてくれ」

 知らない、で俺は通した。

「まずいステーキだな」八割方食べ終わった皿を見ながらそうつぶやくと、人が振り返るほどの音で椅子を蹴り、リュウは立ち上がった。細い目は狼のように金色に光り、血走っている。

「あんたには頼まねえ。これから店長を殺しに行く」

 吠えるようにリュウはまくしたてると、フォークを投げて出口に向かった。



 もんた&ブラザースの『ダンシング・オールナイト』がボリュームいっぱいに響くBMWの車中にいた。首都高から東名へ、大型トラックの間を縫って車は滑るように走り抜けた。三十分前のワインを思うとなかなかスリルなドライブだ。ステーキをやめといてよかった。

 この気短な青二才の暴走を、止める理由も必然もなかった。明日の朝刊にリュウと村木の写真が載ろうとも、それは彼らが生まれた時から決まっている結末だ。それなのにリュウを追って車に乗ってしまった俺もまた、天が決めた筋書き通りに動いているのか。

 リュウはマナについて語り続けたが、半分以上は知っている話だった。短い間にずいぶんマナに詳しくなったものだ。

 シャネルズの『ランナウェイ』、アリス『狂った果実』、さだまさし『防人の詩』など今年の大ヒット曲をひと通り聞いているうちに、車は沼津インターを降りた。



 十二時をとうに回っていたが、寒々とした暗い海岸に来ていた。冷たい風が轟音をうならせて耳をかすめる。

 狼男の光る目は、ここへ来る間に人間の目に戻っていた。海に向かって立ち、吠えるような声で背中の俺に語りかけた。

「俺は毎晩ここをランニングしてた。その夏の晩、ちょうどあの先で女の悲鳴を聞いたんだ。駆けて行くと、高校生くらいの野郎が三人で女を輪姦してた。やられてたのが真奈美だった。」

 リュウが砂につばを吐く。その砂が続く数メートル先で若気の野獣たちがさざめく情景が目に浮かぶ。

「野郎どもはすぐにのめしてやった。真奈美はもう何人かにやられたあとで、丸出しの股から白いものが伝わってた。すぐにスカートを拾ってやったけど、下着はズタズタに破れてた。野郎を殴ってる時にC組の万藤だって事はわかった。あいつは涙を見せない女で、その時でさえ泣いてなかった。家まで送る間、真奈美は一言もしゃべらなかったし、俺も余計な口はきかなかった。玄関に消える前、『ありがとう‥』って暗い声をかすかに聞いた」

 数日後、リュウがまた走っていると、マナが待っていた。陸上部だった彼女はリュウと一緒に走り出し、走りながら、つき合って欲しいと告げる。他に女がいるし、俺とお前は合わないとリュウが断ると、私が合わせると答える。間もなくマナは暴走族のグループに入って来る。

「この浜で初めて真奈美を抱いたんだ。誰もいない夜に、あいつは自分から俺を誘った。いつかのお礼にいいもの見せたげるとか言って、ジャージを脱ぐと下着を着けてなかった。貧弱なおっぱいだったけど、夢中でむしゃぶりついたら、あいつは俺の耳元でこう言った。私のほんとのヴァージンをあなたにあげるって」

 波が竜のようにうねる果て、霞のように灰色の島が見える。沈黙が冷海の轟きを耳に寒く響かせる。

「真奈美から妊娠を知らされたのもここだ」

 リュウが投げた小石が海面を滑って五回弧を描く。

「まだ中学生なんだから産めるはずがない。それより、俺の子じゃないかも知れない。それでも女っていうのは産みたいって思うらしいな。中絶の後、初めて目を真っ赤にしている真奈美を見た」

 婦人科の台の上で、涙をいっぱい溜めて天井を見つめるマナの姿がフラッシュ・バックする。

 それは一瞬、智子の顔とオーバーラップする。



 智子と俺の子供は、この世界を見ることもなく消えた。

 バンド絶頂期にあった俺はマスコミに結婚を隠していた。当時は不思議なくらいにもてた。入籍間もなく、前からファンだった女優Mに誘惑され、彼女の部屋に泊まり、憧れのスターを三回抱いた。初めての浮気だったが、運悪く週刊誌に掴まれた。結婚と浮気が同時にスクープされた。

 雑誌を見た智子は、ショックで階段から落ちて流産した。病院に駆け付けた時、ベッドで振り返った彼女の目、全てを訴えかけたあの瞳を一生忘れる事はないだろう。



 浜辺に停めたBMWの中にいた。

 テープはもんたの第二弾『赤いアンブレラ』を歌っている。『ダンシング・オールナイト』もセンスのいいソウルロックだが、これまたしみるような名曲だ。

「マナに中絶経験があるなんて、報告書にはないぞ」

「前に来た、いかつい男は気に食わなかったから、いい加減な話しかしてないんだ」

 桑田レポートに誤りが多いわけだ。他にどれだけ漏れた話があるのか。

「どうしてマナと別れた」

 リュウはすぐには答えず、窓を開けつばを吐き捨てた。つばを吐く人間というのは、口中に唾液が溜まって困る体質なのだろうか。一瞬の外気で車内が冷え込む。

「俺が捨てられたんだ。真奈美は店長を選んだのさ」


 リュウが語ったところによると、こうだ。

 それぞれに最低レベルの男子高と女子高に進んだ二人は、それからも付き合いを続けた。バイクの免許を取ったリュウが、放課後マナの学校へ迎えに行き、毎日のように富士山や伊豆に足を伸ばしたり、リュウの部屋で夕陽を浴びながらセックスした。

 やがてマナが、金が要ると言ってバイトを始めた。言うまでもなく村木の喫茶店だ。週に三回のバイト、二人が会う時間は当然減るが、マナが決めた事なので仕方がない。

 ある日ラブホテルのベッドの上で、突然マナはリュウに別れを切り出す。理由は、将来歌手になる夢のため、貯金を早く増やしたいのでバイトを週六回にしたい、会えないで寂しい思いをするよりは、いっそ別れて忘れたいという趣旨だ。リュウとしては納得のいく話ではない。問いつめたところ、バイト先の店長を好きになった、妻子のある人だがもう何度か抱かれた、と白状した。

 リュウは“くりいむ”に殴り込んだ。店を目茶苦茶に壊し、村木に挑んだ。無抵抗だった村木の前に、リュウのひっくり返したテーブルが倒れた。喫茶店の重いテーブルは、村木の左足の骨を潰した。普通なら器物破損と傷害で少年院行きだが、村木が被害を訴えなかったため、御用にならずに済んだ。その代わり、リュウはマナを完全に失う事になったし、村木は左足を代償にマナという最高の女神を手に入れた。


「村木の足はお前がやったのか」

「どうしてあいつが俺より勝るっていうんだ。あいつにあって、俺に足りないのは年の数だけだ。真奈美があいつのどこに惚れたのか、俺には分からない。だまされたとしか思えない。悔しくて気が狂いそうになる日が続いたよ。今でもそうだ。あんないい女、他にいない。一生そう思い続けるだろうね」

 リュウは少し声を震わせた。

「可愛い奥さんがいるじゃないか」

「ひとみはいい女だけど、真奈美みたいに男を悦ばせる女じゃないんだ。美人だから鑑賞用にはなっても、それだけじゃ物足りない。汚れを知らないような顔は同じでも、風呂場でトルコごっこしたり、シックスナインが好きだと口走ったりするのは、真奈美だけなんだよ」

 リュウの未練は意外だった。マナは、男たちに今のリュウのような台詞を吐かせるような女なのか。

「あのアイドルが、三年前は俺の腹の上で、腰を振って悶えてたんだ。俺の息子をくわえて、出たものを飲みこんだりもした。チーズみたいな匂いのする赤い襞々だって、明るい日差しの中で見せてくれた」

 リュウが語る卑猥な光景は、やがて俺と智子の姿に、そして俺とマナに、目まぐるしくカットバックした。乳房を揺さぶって騎乗位で達する智子の顔が記憶に甦り、見たことのないマナの恍惚の顔にいつの間にか変わる。清純の仮面を着けた早熟な淫花が、覚えたての禁悦の味を欲して蕾を開いていく。それは男にとって、欲望をくすぐる最高のシチュエーションかもしれない。

「あいつは遠いところへ行っちまった…」

 曲はマナのデビュー曲『インスピレーション』になっていた。リュウがつく溜め息は、マナの元気な歌声にかき消される。初な少女が男友達に覚えた感情を、これが恋なのかしらと戸惑う歌だ。今のこの場で聞くと、お笑いにしかならない。

「真奈美の人気はもうだめなのか」

「多少のダメージは避けられないだろうが、オノプロが大枚賭けてるタレントだ、そう簡単にポシャったりはしないよ」

「それを聞いて安心した」

 時計を見ると二時を過ぎていた。

「なあ。あんた、犯人捜しはクビになったって言ってたけど、俺に雇われて探偵やってくれないか。金なら出せると思う」

「俺は私立探偵じゃない。ただのサラリーマンなんだよ」

「じゃあ、アルバイトでやればいいだろ」

「そんな事したらクビになる」

「もうクビだって言ったじゃないか」

 そうなのだ。いったい俺の首はまだつながっているのか。

「リュウ、こうしよう。もし職を失ってたらお願いするよ。引き続き仕事に就ければ、経過を報告しよう」

「わかった。俺たちの友情に賭けて約束だぜ」

 リュウも血の気が引けば、世間知らずで気のいいただの未成年だ。それが時に我を忘れ、一人の男の片足と人生を潰したりもする。

「さあ、殺意が治まったら、そろそろ帰ろうぜ」

「音楽聞いて、あんたと話してたら、バカな気が失せた」

 ギアがドライブに入った。砂を掃き出してBMWが発進する。今日何度目かの『ダンシング・オールナイト』を聞く。


「もう一つ教えてくれ」海の音が消えた頃、俺が尋ねた。

「レコード大賞のノミネート見たか」

「ああ」

「あれに出てたのは、マナの本当の家族か」

「ああ、その事か」

「その事とはどういう事だ」

「真奈美には母親はいない。小さい頃死んだはずだ」

「何だって?」

「父親も新聞社勤めとか言ってたな。ウソだよ。あいつの親父は会った事はねえけど、どっかの製茶工場で働いてるって聞いたぜ」

「本当か?」

「笑っちまったよ。芸能界ってのはここまでするのかってね」

「じゃあもう一つ。いかつい男はマナの家族の事何か言ってたか」

「俺に聞いたよ、知ってるかって。知らないって答えたよ。そうしたら、えらそうにこう言ったよ」

「何て?」

「人から聞かれてもそう答えるんだぞって」

 午前三時。BMWは国道を爆走していた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る