第6話 リュウ

 古い歌ばかり流す喫茶店で、入るなりカール・パーキンスが飛び込んで来て足元が回転した。

 リュウは席に着くとテーブルを指で叩きながら鼻唄を始めた。

「『マッチ・ボックス』、リンゴ・スターのレパートリーだ」

 俺がそう言うと、リュウの指が止まった。

「ビートルズはカール・パーキンスの曲を三曲カバーしてる。『マッチ・ボックス』『ハニー・ドント』『エブリバディ・トライング・トゥ・ビー・マイ・ベビー』」

「詳しいじゃない」

「昔からふけて見られるけど、これでもジョージ・ハリスンよりずっと若いんです。ビートルズなら武道館伝説の生き証人でね」

「えっ、武道館見に行ったのかい」

「本当は前座で出たかったんですけど、選ばれなくて。コネで切符取ってもらって、女と行きましたよ」

「バンドやってたの」

「サウスポーのベーシストです」

「ポールみたいじゃんか。何てバンドだい」

「スクラップ‥」

 正確に言うと、当時はまだフェニックスだ。

「知らねえな。レコード出したの」

「二枚出したけど、三百枚くらいしか売れなかった」

 これは本当だ。

「でもすごいな。レコード出した事のある人と喫茶店にいるのか、俺は。帰ったら、ひろみに自慢しなきゃ」

 リュウが狭い店いっぱい響くような声ではしゃいだ。サングラスの男二人が妙に盛り上がっているのを、露骨に怪訝な顔で見ながら、ウエイトレスがコーヒーを置いて行った。リュウは小さなカップにミルクとシュガーを並々と注いだ。

 コーヒーカップの下では、インベーダーの群れが横へ上へと這い回っている。インベーダー・ゲームを置いた喫茶店など、東京ではもう見かけない。

 しばし60年代のロックについて語った後、完全にこっちのペースに引き込んだと見て、本題に入った。

「芸能人とヤッたことあります?」

「静岡にいて、どうやったらできんの。あんた、あるのかよ」

「女優のY.H.知ってますか」

「やったの?」

「同級生が付き人で会わせてくれてね、一緒に飲んでて意気投合しちゃったもんで、彼氏もいないっていうから誘ったところが」

「ついてきた?で、どうだった?」

「もうピチピチよ。若いのにあんな感度のいい娘は初めてでしたね。相当場数を踏んでるって感じ」

 面白おかしく語って、リュウを乗せる。興味津々に目を光らせ、もう腰が落ち着かない状態になるまで話を盛り上げる。

「あんた、結構やるんだね」

「いやあ、黒崎さんだっていろいろあるんじゃないの」

 リュウは一瞬考えたあと、身を乗り出して来た。

「ここだけの話だけど‥」顔を近づける。

「歌手の直木マナ、三島出身なんだけど」

「だそうですね」

「中学校の同級生なんだよ」

「え、ほんとに?」

「それでさ…」小声になるリュウ。

「俺の女だったんだよ、あいつ」

 テーブルの下で思わずこぶしが入った。頭の中でくす玉が割れ、紙吹雪が散って、ラッパが鳴った。わざと大げさに反応する。

「うそでしょー!」

「うそじゃねえよ。十五くらいの時だ。他に女がいた俺に、あいつの方から近づいて来たんだ」

 それはレポートと違う。

「ほんとに本当の話なの?」

「こんな作り話を思いつきでできるほど、俺は頭良くねえよ」

 確かにそうだろう。

「学校でも目立った美人だったから、不良の仲間に入ってきた時も驚いたけど、誘惑された時は信じられなかったよ。あのかわいい顔で迫られたらどうする?押し退けられる男がいたら会ってみたいね」

「じゃあ、あの直木マナと、ナニしたわけ?」

「何十回とね」

 リュウは、口止めを受けているはずのマナとの関係を得意気に話し続けた。レポートと食い違う部分が時折あった。リュウの話は途中で破綻することがあり、その場で面白く脚色しているきらいがある。ただし、リュウが口からでまかせを言っていたとしても、調査員は必ず裏付けをとるはずだ。レポートの方が真実に近いものと考えるべきだろう。

「女同士の争いってすごいよな。元の女とはかなりやりあってたけど、最後は真奈美が勝ってさ。あいつ、おとなしそうな顔してんだけど、ホントはすげえ気が強いんだ。決闘があったんだよ、俺のこと取り合ってだぜ。負けた女はそれで学校やめちまった」

 そういう一面はレポートにはない。道はそれたものの、あくまでおとなしい少女のまま描写されている。調査が手抜きなのか、意図的に書かれていないのか。

「まだ信じられないな、証拠でもないと。何かないんですか。たとえばヤッた直後の写真とか」

「そんなの撮るかよ。俺にはそんな趣味ないから」

「彼女の方にあったりして」

「そういうノリはあったかも知れねえな。酔っぱらって素っ裸で踊ったり、ストリップの真似事して俺から金取ったり。結構びっくりするような事やるんだよ、あのかわいい顔でさ」

「ショックだな。直木マナとヤッた男と、俺は喫茶店にいるのか。ねえ、どのくらいの間つきあってたんですか」

「中三の夏ごろに始まって、高校で離れて会わなくなったんだから一年くらいだな」

「高校に入って別れたわけ」

「あいつ喫茶店でバイト始めてさ、そこの店長とできちまったんだよ、二十歳も違う中年男とさ。俺はね、逃げた魚は追わない性分なんだ」

 その中年男の名前もリストにある。

「それから全く会ってないの」

「二人きりではないね。俺もすぐひろみと知り合ったから」

 リュウとマナの交際期間は少なくとも三年以上前という事だ。問題の写真は日付が入っていないので分かりにくいが、三年もさかのぼる物には見えない。リュウの証言が本当なら、彼は撮影者ではない。

「彼女が関係した男を他にも知ってます?」

「喫茶店の店長以外は知らないね。特に興味もないし」

「いくら疎遠になっても、電話くらいはあるもんじゃない」

「一度だけあったよ。スカウトされて、いよいよ上京する直前に。リュウ、わたし歌手になるの、東京へ行って何とかプロダクションに入るの、もうすぐわたしテレビに出るのよ、ってね」

「歌手になるのはマナ、いや、彼女の昔からの夢だったんだね」

「歌はいつも歌ってた。テレビ見ながら、ああいう風に歌ってみたいって、よく言ってたよ。あいつ可愛いから、もしかしたらタレントにだってなれるかも、なんて思う事もあったけど、まさか現実になるとはね」

「その電話が最後で‥」

「そうだね。それから一年ちょっとして、あいつが本当にテレビで歌ってるのを見たんだ。興奮したね、こいつは俺が寝た女なんだってさ」

「言い触らしたの?」

「いやいや、とんでもない。それは口が裂けても言っちゃいけない約束だから」

「誰と?」

「プロダクションだよ。口止めされたのさ、金積まれてね」

「今、俺に話したじゃない」

「あんたが初めてさ。ひろみにだって秘密にしてんだから」

「こんな話漏れてるって知れたら、どんな事になるかわかんないよ。芸能界なめてたら、きっと後悔しますよ」

「他でもないあんただから、ついしゃべっちまったんだよ。」

 どうやら彼に気に入られたようだが、こっちは大いに気に食わない。最近の若い連中はみな嫌いだが、特にこいつのような穀潰しの脳無し野郎は見てるだけでも不愉快だ。

 だが、この男は案外ウソのつけない奴かもしれない。口調、しぐさ、落ち着きを観察すればだいたいのウソは見破れるが、どれも演技を感じさせない。初め獣のように見えた瞳が、今は少年のようにも見える。

 少なくとも今、リュウがマナに対し固執した感情を持っているようにはとても思えない。会話に幾度、ひろみ、ひろみと愛妻の名前が出てきたことか。

「最後にもうひとつ、聞かせて」

 グラスに残った氷を噛み砕くリュウに、俺は聞いた。

 プラターズの『オンリー・ユー』が流れていた。これもリンゴ・スターがソロになって取り上げている曲だ。

「マナ、いや、彼女ヴァージンだったのか」

 リュウは喉をごくんと鳴らして、口元でにやけて見せた。

「ああ、俺が真奈美の最初の男さ」





   十一月二十三日 日曜日

 勤労感謝の日。昼まで眠り、昨日のリュウの話の裏付けを行う。

 リュウの友人複数の証言を得たが、マナの方がリュウに横恋慕して、決闘があったというのは事実らしい。レポートの行間には、かなりの隙間が空いているものと感じた。

 リュウは恐らくあのままの男だ。多少の創作はあるにせよ、口をすべらせた、あの話がほとんど事実であろう。人を欺く才能などない。仮に写真を隠し持っていたとしても、それを雑誌社へ送るような動機がない。宛名書きを繕って送るような頭もないだろう。

 ミス小野に報告を入れた。

「ジョージ、次の男は手ごわいわよ」

 レポートの記載によると、万藤真奈美が明確に関係を持った男は二人。高校に入って間もなくアルバイトした沼津の喫茶店“くりいむ”の店長 村木伸介が、その栄えある二人目だ。

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