魔法の使えない大聖女候補は、呪われた王子の探し人でした

銀野きりん@7/31婚約破棄アンソロジー

第一話

 屋敷の床を、ぞうきんがけしているときだった。

 聞き慣れた足音が聞こえてきた。従姉妹のイザベルが近づいてきたのだ。

 その時点で悪い予感しかしなかった。


 足音が止まり、隣のバケツが持ち上げられた。

 私が顔を上げ、イザベルの意地の悪い目つきを確認した瞬間、彼女は私の頭にバケツの水をぶちまけたのだった。


「きゃっ」


 当然私は、頭も身体もずぶ濡れになってしまった。


「セレーナ、何しているの? 廊下が水びたしじゃない。しっかりと掃除をしなさいよ」


 水をかけられた私は、ただただ呆然とその場に座り続けるしかできなかった。

 両親のいない私は、叔母の家にもらわれ、暮らしている。これくらいの嫌がらせなど、がまんすればいいだけのこと。


「あらあら、せっかく染めた髪の毛も、気持ちの悪い色に戻ってしまったわね」


 水をかけられたことで、染めた顔料がとれ、本来の髪色があらわになってしまった。

 私は自分の髪にコンプレックスを持っていた。なぜなら、私の髪は老人のような灰色をしていたからだ。若くして、こんな醜い髪色の女性は、私以外に見たことがなかった。

 なので、いつも髪は黒く染めていた。安物の顔料なので、こうして水をかけられると、すぐに色が落ちてしまい元の色に戻ってしまうのだけれど。



 そんな私の灰色の髪を見下ろしながら、イザベルは自分の髪を誇らしげに右手でかきあげた。彼女の髪はつややかな藍色をしていた。


「騒がしいと思ったら、これはいったいどういうこと?」

 叔母の声だ。叔母は不機嫌そうに水浸しになった廊下を見つめていた。


「お母様、またセレーナが自分でバケツをひっくり返してしまったの」


「本当にどうしようもない娘だね。こんな娘、引き取るんじゃなかったわ」


 この言葉を何回聞かされたことか。

 私は、何も言い返すことができず、じっと耐え続けるばかりだった。


「さあイザベル、今日は大切なパーティーがあるのよ。そろそろ準備しなさい」


「そうでしたわ。ついにあのお方とお会いできる日が来たのね」


「あなたの美貌なら、きっと王子の心を射止められるはずよ。自信を持って行きなさい」


「わかってます。私に振り向かない男などいないんだから、お母様も落ち着いて吉報を待っていてください」


「まあ、頼もしい」


 叔母は楽しそうにそんな会話をしていたが、急に表情を硬くするとこう付け加えた。


「セレーナ、なぜかあなたもパーティーに呼ばれているのだから急いで掃除を済ませなさい。それと、その不吉な髪は染めておきなさいよ。くれぐれもチェスター家の恥をさらさないように注意しなさい」


 そう、今日はローレンス王子主催のパーティーがクリスタルパール城で開催されるのだ。

 どういう事情なのかはわからないが、ローレンス王子はこうやって定期的にパーティーを開き、自分と同じ年頃の女性を招待していた。


 将来のお妃選びに違いない。


 みんなはそう噂していたが、結局今まで、王子が招待された女性とお付き合いしたという話は聞いたことがない。それに王子は超が付くほどの美男子でもあった。わざわざこんなパーティーを開かなくても、王子の周りには、彼に気に入られようと心をときめかせている女性でいっぱいなのだ。こんなパーティーを開かなくても、お后候補などいくらでもいる。


 そんな多くの若い女性の憧れであるローレンス王子だが、私は特に王子を好きだとは思っていなかった。実を言うと私は、王子だけではなく、世の中のすべての男性に対して不信感を持ってしまっていた。

 こんな感覚を持ってしまった原因は分かっている。父親のことがあったからだ。


 そんなことを考えていると、イザベルのきつい口調が耳に届いた。


「セレーナ、くれぐれもでしゃばった真似をして、私の邪魔をしないでちょうだいね。王子は魔法の使える女性が好きなのだから。ろくに魔法も使えないセレーナのことなど興味ないんだからね」


 イザベルの言う通り、私は魔法がほとんど使えない。いや正確に言うと、ある出来事があって使えなくなってしまったのだ。


 幼少の頃、魔法の天才として聖女候補にあげられるほど、私は魔法に長けていた。司祭様は、この子は間違いなく将来大聖女になると太鼓判を押してくれた。


 そして事件は七歳の時に起こった。

 従兄弟のイザベルと村を歩いていると、吊り橋の真ん中で、一人の男の子が立っているのを見つけた。


 私は男の子の様子を見て、とっさに言った。


「あの子、橋から飛び降りようとしているのでは?」


「放っておきなさいよ」


「そんなことできないわ」


 私は男の子の元へと駆け寄った。

 年齢は私と同じくらいだろうか。

 息は荒く、顔は苦しそうにゆがんでいた。

 そして何より驚いたのは、全身から瘴気を発散していることだった。


「セレーナ、関わったらだめよ。この子、魔界の呪いにかかっているわ」


 私はイザベルの言葉を無視して、両手のひらを男の子の身体に近づけていく。


「司祭様の言葉を忘れたの? 回復術なんかかけたら、あなたに伝染るわよ」


「大丈夫」


 今にして思えば、私は天才とまでいわれていた自分の魔力を過信しすぎていたのかもしれない。

 イザベルの言葉を聞いておけば良かったと今になって思ってしまうこともある。

 だけど、目の前で命を断とうとしている男の子を見捨てるわけにはいかなかった。


 私は両手に魔力をこめ、回復術を施し始めた。


 白い光が男の子を包み込む。

 魔力を強めると、男の子の表情が変わった。歪んでいた顔が、穏やかになってきた。

 けれど、逆に私の心は波打ち始めた。なにか不吉なものが身体に入ってきたのが分かったからだ。おそらく男の子の中にあった呪いが、私に移動してきたのだろう。


 しばらくすると、目の前の男の子から、もう瘴気は出てこなくなっていた。

 完全に呪いが抜けたのだ。

 そして、呪いのすべては、私に転移していた。


「ありがとう」


 元気になった男の子は、信じられないといった顔をしている。


「よかったね。もうこれで大丈夫だから」


 私はそれだけを言うと、あわててこの場から立ち去った。

 早く一人になって、自分になにか不吉なことが起こっていないか確かめたかったのだ。

 そして、一人になって分かった。

 瘴気は私の中に閉じ込められ、運良くあふれ出てくることはなかった。けれど、そのかわり、私の魔力は極端に弱まり、あれほど才能に満ちていた魔法を使うことができなくなってしまっていたのだ。


 悲劇は続いた。

 八歳になったとき、父は私と母を捨てて家を出て行ってしまった。他に好きな女性ができたからだと聞かされた。

 残された母は、どれだけ苦労をして私を育てようとしたことか。

 その姿を見て、私は父を恨んだ。そして、この時から私は、男性という生き物を信用できなくなってしまった。


 そして私が十歳のとき、母が亡くなったのだ。

 魔法学校から家に戻ると、母が部屋に横たわり、苦しそうにもがいていた。見ると、母親の身体からは瘴気が溢れ出ていた。母は、魔界の呪いにかかってしまったのだ。


 どうすることもできなかった。

 結局母は、ろくな治療もされないままにこの世を去った。

 もし私が、天才的な魔法使いのままでいたのなら、おそらく母の瘴気を自分の中に閉じ込めることぐらいはできただろう。昔の私なら、母を救うことができたはずなのだ。


 母を亡くした時、私は心から後悔した。どうしてあの時、男の子を助けてしまったのだろうかと。

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