シーン1 ~孤島に向かうフェリー~

フェリーは、白波をけたてて進んでいた。三階建ての定期運航船で、定員はおそらく百人ほどだろうか。南国の潮風が辺りを包んでいた。


二階のデッキに、一人の男が佇んでいる。前髪が勢いよく風になびいていた。やや俯きがちで、一見すると何事か考えこんでいるかのようだ。


「ここにいたんですか、メイタンテーヌさん」


「、、、」


若い女性が、階段を上がってきて声をかけた。メイタンテーヌ、と呼ばれた男が振り返る。


見ると、顔はすっかり青ざめ、額に脂汗がにじんでいた。


「さ、、、かわ、、、か、、、?」


「はい?」


「も、もう死ぬ、、、! 今渡っているのは、三途の川か、、、?」


「まぁた、船酔いですかメイタンテーヌさん。あなた、どんだけ三半規管が弱いんですか」


男は、息も絶え絶えだ。中肉中背、とりたてて特徴のない体型だが、髪型にこだわりがあるのだろう、右耳の前で一筋、長い前髪がたらりと垂れていた。


紺色のジャケットに、グレーのパンツでビジネスマン風だが、全体的に企業勤めの人間ではない雰囲気がしている。


「君には、、、分かるまい、フラグミール君。。。乗り物酔いしやすい人間の苦悩が、、、!」


フラグミール、と呼ばれた女性は、メイタンテーヌより十歳ほども若い。おそらく二十代前半だろうか。丸い、牛乳瓶の底のようなメガネをかけている。パンツスーツ姿で、2人はおそらくビジネス上のつながりがあるのかと見えた。


フラグミールをよく観察すると、メガネの奥の瞳が大きく、肌も美しいことに気づく。おそらく着飾れば、かなりの美人になるだろう。しかし全体に飾り気がなく、オシャレに関心がないのだろうと思われた。


「しっかりして下さい。もうすぐ絶海の孤島こと、ゼッカイ島ですよ。依頼人からのお仕事が待ってます。」


「君は、、、観光気分なんだろう、だから、いつもはこの手のビジネス出張について来ないのに、珍しくついて来た、、、」


「人聞きの悪いこと言わないで下さい、ちゃんと探偵業務の助手はやりますよ!」


フラグミールがむくれっ面を見せる。


「、、、といっても、時給制の『バイト探偵助手』ですけどね!」


「おや、、、あれは、、、?」


メイタンテーヌがうつろな目を向けた先に、恰幅の良い中年男性が現れた。おにぎりのような輪郭の顔に、ちょび髭が印象的だ。頭部にはほとんど毛髪がないが、申し訳程度にちょこんとホイップクリームのような毛量が残って、潮風にたなびいている。


「おおー、マヨエルホー君、どうしたんだね、元気ないな!」


「ボンクラー警部補のほうは、お元気そうで、、、なによりです、、、」


「おや、フラグミール君も一緒かね! 先ほど乗船時にバッタリ出逢ったときは随分と驚いたが、、、君たち二人がコンビで活動しているということは、アレかね、またいつもの探偵ごっこかね?」


「『探偵ごっこ』ではありません、ボンクラー警部補」


心無い言葉にブライドを傷つけられたのだろう。きっ、と顔をあげてから、メイタンテーヌは前髪を人差し指でかきあげつつ言った。


「『名探偵』の、メイタンテーヌ・マヨエルホーです。警部補も、いつぞやの迷宮入り事件で、私の名推理が冴えわたった時のことは、よく覚えておいででしょう」


「めいたんてい! 迷える方の、『迷(めい)探偵』じゃないかね、マヨエルホーくん!」


ワッハッハと、ボンクラー警部補は腹をゆすって笑い声をあげながら言った。


「迷宮入り事件とは、、、あれかね? あの、迷子の猫を見つけたときの? 確かにあれは役立った、飼い主の貴婦人は、いたく感謝しておられたな。もちろん地域社会への貢献ということで、警察もありがたく思っているよ。それで今回は、どんな難事件に取り組むのかね?」


メイタンテーヌが、「答えるな!」と目配せしたが、助手のフラグミールはそんな様子にまったく気づかず、即答した。


「ーー今度の依頼は、不倫の調査です。、、、最近の探偵稼業は、やはり不倫調査がメインですね」


「そうだろう、そうだろう!」


ボンクラー警部補がまた、大きな体をゆすって笑う。よく見ると、結構ガタイが良い。さすがは警察だ。


「まあ、密室殺人事件とかね、、、怪盗が宝石を盗むとか、その手のいかにも探偵が活躍しそうな事件は、現代社会では、そうそう起こらんよ」


メイタンテーヌが悔しそうに唇を嚙んでいるのに気づかず、ボンクラー警部補は機嫌よさそうに言葉を続ける。


「しかしまあ、あれだ、私の趣味の一つ『絶海の孤島巡り』の一人旅に、君たち二人が偶然居合わせるとは驚いた。せいぜい、事件が起きないことを願うよ! なにしろ、久しぶりのバカンスだからね、なにごとも平穏無事に進んで頂きたい。警察の仕事は、ノーサンキューだ」


リラックスした中年男性の隣で、フラグミールの牛乳瓶の底のようなメガネがきらりと光った。


「でも、あれですね、、、『探偵一行と、知り合いの警部補が偶然居合わせて、絶海の孤島に向かう』、、、って、なんか結構、ありがちなシチュエーションですよね。完全に、事件発生フラグが立ってますよ。これが『金田一少年の事件簿』だったら、そりゃあもう、三人は死亡確定でしょうね」


「何か言ったかね、フラグミール君?」


「いや、別に」


「おや、海鳥が飛んでいる」


メイタンテーヌが空を見上げて言った。


「、、、アルバトロスだな」


「へえ、メイタンテーヌさん、鳥に詳しいんですか? アルバトロスって、カッコいい名前ですね」


「そうだろう! 飛翔能力が極めて高く、昔の船乗りの間では畏怖の対象だったとも言われる。ゴルフのスコアでも、バーディ、イーグルよりも良い成績のスコアを『アルバトロス』というんだ。これはめったに出ない、好スコアを指すんだよ」


突如、語り始めたメイタンテーヌだったが、ボンクラー警部補はふむふむと聞いている。


「そして、そのアルバトロスの日本語名が、、、アホウドリ。」


「なんだ! アホウドリですか」


「日本語になると、急にアホっぽいな」


「名前を聞いただけで『ああ、きっと、この鳥はアホなんだな』と思いますね」


二人が口々に言い合うのを聞きながら、メイタンテーヌは感慨深げに言った。


「そうだろう、、、だから名前というのは、大事なんだ。名前を見ただけで、人はその人の性格や特徴、下手をすると、『その後の運命』すらも紐づけて考えてしまう。。。『アホウドリ』が小説に出てきても、どうせマヌケなことばかりするに決まっていいるが、これが『アルバトロス』だったら、きっと活躍しそうだろう」


フラグミールが、たしかに、と頷いた。


「名は体を表す、とも言うが、、、皆さんが今後、登場人物の人名を見たら、きっと名前から本性を推測することだろう。それは大抵、当たっているが、裏切られることもあるから、そこのところは十分にご注意ください。。。」


「メイタンテーヌさん、いったい誰に向かって言ってるんですか??」


「いや、別に、世間に対してだよ、、、」


「おや、ゼッカイ島が見えてきたぞ」


ボンクラー警部補が、呑気な声をあげた。海鳥が鳴き声をあげながら、空高く舞う。


3人を乗せたフェリーは、いまや広大な海の中の一つの点となって、妖しげな運命にゆっくりと引き寄せられていった。

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