錬金研究所の主従



要石の上に血が飛び散った。

トロットで飛んだ先でふらついて、上手く立てなかった。

まだ千切れないが、そのうち足が腐って千切れるかも知れない。


魔法研究所と違って、ここの要石は玄関の前ではなく扉の横の窓の前に置いてあった。

その窓に男が立っていた。窓を開けて煙草を吸っている。

急に現れた俺を見て、その煙草を口から落とした。


息が切れる。

冷や汗も出ている。

俺が汗をぬぐうと、男が慌てて外に出て来た。


「大丈夫か!?」

男が俺の肩を掴む。

その瞬間にパキッと足元から音がして、痛みのあまり視界が真っ白になった。




錬金研究所。

昔に立てられた古い建物は、エオルカ王国の北北東の山の奥にある。


80年前の大戦であまり被害はなかったが、研究者はすっかりいなくなり、今では錬金は趣味で本業は古代の歴史編纂という、何の役に立つのか分からない仕事をしている男が住んでいた。


何時も通り食後のお茶を飲みながら窓を開けて煙草を吸っていた。

今日も明日も明後日も。

変わらない日々が訪れる事に疑いを持っていなかった。


その男の眺めている窓の外に、不意に人が現れた。

銀髪で藍紫の目を苦しそうに歪ませた青年が、身体を少し屈めている姿で、小さく呻き声をあげている。


口からタバコが落ちたが、それどころではない。急いで外に出て肩に手を掛けると

パキッと音がした。ぐらりと青年の身体が揺れて倒れる。


「はあっ!?」

「…ブロウス様は鬼ですね」

後ろからファイゲが話しかけてきた。倒れた青年を片手で肩に乗せて家の中に入っていく。いつ見ても少女の身体をしたファイゲが力待ちなのが納得できない。

昔の錬金術師は、何を考えてファイゲを造ったのか。


唯一の客室に寝かされた青年の足をファイゲが手当てしている。

さっきのは骨が折れた音だったらしい。人生で初めて聞いた。


「ブロウス様がとどめを刺したのですから、責任は取らないと」

「え、責任って何?」

ファイゲが頬に両手を当てて、くねくねと動いた。

「それはもちろん、貰ってあげることですよ」

「も、貰うって何を?」

「いやん、いけず」

その動きで全くの無表情なのが、何時もながら怖い。


「骨は大丈夫そう?」

「はい。それぐらいなら修復できる錬成陣が残っていましたから」

「よかったよ」

ブロウスがほっと息を吐くと、ファイゲは血塗れの布を処理しに台所へ移動した。


それにしても。

ベッドの横に椅子を引いて座り、青年の顔を見る。


あの場所にある要石とやらは、決められた場所に移動する魔法だとファイゲが言っていた。そしてこの80年は全く使われていないと。

そこに現われたのなら、この青年は魔法使いで、何とかって魔法で移動してきたわけか。凄いな、魔法使いって初めて見たわ。


「そんなに鼻息荒くブロウス様が見ていては、その方も眠れないと思います」

「ファイゲはどうして何時も俺に辛辣なんだよ」

「無能だからです」

「そ、それは錬金が下手だからって事!?」

「よくお分かりですね」

ファイゲは盥に水を入れて持ってきていた。ベッドの横に置いて青年の額に絞ったタオルを置く。


「あれ、熱もあるのか?」

「はい。骨に罅が入っていたのを我慢している間に無理をされていたのでしょう」

「そうかあ。薬はあったっけ」

ブロウスが移動する先にファイゲもついて来た。

薬の調合も錬金の分野であるため、信用がならないという目で見ている。


「俺って信用無さ過ぎないか?」

「これでも譲歩しております」

「それで!?」

ブロウスが手に取る薬を見て、ファイゲが文句を言う事はない。実はブロウスの父は薬師なので薬に関しては信用しても良かった。

人間的に信用が足りないだけである。


熱冷ましを飲ませたいのだが、どうしようかとブロウスが悩んでいる間に、ファイゲがてきぱきとゼリー状の物にすりつぶした薬を混ぜて、ブロウスに手渡した。

「え、ファイゲがやればいいじゃん。そこまでやったなら」

「ブロウス様が責任を持っておやりください」


責任とはなんぞや?

ブロウスは仕方なく、背中に手を回して青年を抱き起した。

「少し、起きられるか?」



寝ていたのか、身体を抱えて起されている気がする。

目を開けるとすぐ傍に男の顔。その向こうに女の子が立って見ている。


「ここは?」

「まあいいから、これ飲んでよ」

「え、どうして」

「熱冷まし飲んでほしいだけだから」


有無を言わさず口にスプーンが入る。すっと喉を落ちていったが別に嫌な味はしなかった。男を見るとまだ口に入れてくる。

何故か身体が動かしにくくて、抵抗も出来ない。

飲み込むと、背中から手を離されてベッドに寝かされる。


「君ね、熱があるんだよ。骨折のせいらしいから、ゆっくり寝てな」

そう言って男が離れていく。女の子は俺の額にぬれタオルを置いて頭を下げて男の後を追った。


ここは錬金研究所だったはずだが。

簡素な部屋で寝ていて、来たのは白衣を着た医者っぽい男と看護師の服を着た女の子。

あれ?ここは、どこだ?

俺、来るところ間違ったのか?


…それなら、それでいいか。

元々薬を貰えないか交渉に飛んできたのだから。

自分で首を触ってみる。確かに熱いかもしれない。それならば薬が効く間だけ休ませてもらおう。熱が下がったら、また走り出さなければいけないから。



「眼福でした」

「え、なんだよ、ファイゲ?」

「ごちそうさまでした」

「ファイゲってご飯食べないよな?」

「心の食事です」

「それなに?こっわ」

主従が戯れている間に、ディザイアは久しぶりに深く眠っていた。


その顔をそれぞれブロウスもファイゲも見に来ては、安心して出て行くという、よく似た行動をした主従に見守られながら、意識は深く沈んで行く。



鳥の声で目覚めた。

ベッドから起き上がって、自分の首を触ってみる。

熱は下がったようだ。お礼を言わなければと部屋の外に出てみると、来る先は間違ってなかったと納得した。


この建物の大半はこんな感じなのだろうか。

石と鉄鋼で出来た人形がうず高く積み上がり、部屋の壁を覆い隠している。


その間に何かの装置が置いてあり、昨日見た女の子が、何やら運んでいるのを見かけた。

俺に気付いて頭を下げられた。

「おはようございます、お客様」

「おはようございます」

「ブロウス様を起こしてまいりますので、そちらにお掛けになってお待ちください」

「あ、はい」


大きな部屋の真ん中にあるテーブルの横の椅子に座る。

多分食事をする場所なのだろうが、やけに大きいし椅子も多い。


眠そうな男を女の子が連れて来てくれた。欠伸をしながら体調を聞かれる。

「起きたのか。身体はどうだ?」

「大丈夫です。有難うございました」

「ああ、いいよ、そういう堅苦しいの苦手だからさ。一緒に飯食わない?」

「え、あ、うん」

ニコニコと笑っている男に言われて、台所に案内された。

そこにはまたテーブルが置かれて、椅子があって。こちらの方が見知った食事の場所だと思えた。


パンとか目玉焼きとか、焼いた肉とか。

数日ぶりのまともなごはんが並んでいく。

「俺はブロウスって言うんだ。あの子はファイゲ。君は?」

「ディザイアだけど」

ファイゲが次々とご飯を作っては俺の前に並べていく。


「え、あの?」

「栄養不足です。たくさん食べて下さい」

ブロウスが笑ってファイゲを止める。

「ちょっとファイゲ、いっぺんには無理だって。ディザが驚いてるからさ」

俺はブロウスを見る。俺の視線に気付いたブロウスがウインクしてきた。


「ディザイアってちょっと長いから。気に入らないなら直すけど?」

「いや、別に、どう呼んでくれてもいい」

「そっか、良かったよ。栄養が足りて無さそうなのは本当だから、後でまた食事を取ろう」

俺の顔を見てそう言われた。

横でファイゲがくねくね動いている。表情を変えずに。


「そういう時の、気を使わないブロウス様は良いです」

「何を認められたのか、分からないのだが!?」

仲が良さそうな二人でほっとする。

「顔色が悪いのですから、もう一日二日は泊まっていってください」

「…ファイゲが言ってるなら、そうした方がいいぞ?」


俺は二人を見る。

茶色のくせ毛の髪、少したれ目で茶色の瞳、見ている俺に気付いて笑顔な男前のブロウスに、薄金色の髪を二つに縛り、緑の大きい瞳が長い睫毛で囲まれている、ミニスカの看護師服の美少女ファイゲが無表情でこっちに指を見せている。指は2本だ。


肯かなくても強制な気がした。

あと2日の休日。


休日とは言っても、ブロウスに魔法をせがまれて、使う事になった。

「空飛べるって。マジで?」

「ああ、やってみようか?」

「ぜひ!」

人差指を意識して疾風を上空に向けて足元から放つ。一番上に来た時に翼を出して研究所の周りを滑空して降りた。滑空している間ずっとブロウスが上を見上げて付いて来ていた。子供みたいに。

降りてからも、凄い嬉しそうな顔で笑っている。


「魔法ってすごいな」

「喜んでもらえて何より」

「ああ、すごく嬉しい。魔法使いは初めて見るし」

俺も錬金術師は初めて見る。


半分趣味だというブロウスはファイゲに怒られながら、幾つかの錬成陣を書いてくれた。羊皮紙に書かれたそれは、紙に書いたものよりも効能が高いそうだ。


「ブロウス様がもう少しまともなら、効能も倍なのですが」

「ファイゲが書ければいいのにな」

「私には書けません。書けていたらブロウス様を主人にしません」

「何時も通りファイゲが冷たい」

安定の会話だと思えるようになってきた。


「ファイゲが書けないって?」

「はい。私はアゾットですから。無理なのです」

「アゾットというのは?」

「はい…」

ファイゲがブロウスを見る。ブロウスが肯くと頷き返してから俺を見た。


「錬金術の秘匿である、ホムンクルスの完全体です」

「…待った、それは聞いちゃいけないやつじゃないか?」

俺の狼狽えた顔を見ながらブロウスが、にやついている。


「まあ、良いじゃないの。どうせディザはよそに言わないでしょ?」

「ブロウス様の言い方がアレですが、ディザ様は他言されないと思います。二回目ですし」

「うん?」


二回目?

ファイゲが俺を見ている。

何処かで会ったか?いや違う。

俺は此処を登録してあったんだ。要石で。

来た事があるんだ、昔に。


何かが見える気がする。だけど今は見たくなかった。

勇者の時代の自分は見たくなかった。


「おい、大丈夫か?」

ブロウスが顔を触っていた。

記憶を探る揺らぎがふっと消えた。俺はブロウスを見上げる。

眉を寄せて訝しげな顔をしていた。

「ディザが薄くなった気がしたが、気のせいかな?」


「その感じは良かれと思います」

ファイゲが後ろでくねくね踊っている。それを振り返ってブロウスが見た。

「ファイゲの基準とは?」

「ブロウス様には永遠に分からないと思います」

「永遠は長くないか!?」

そんな会話で冷えていた奥底がゆるりと溶ける。


急がなくてはならない。

けれどこのままの俺では、駄目な気がしている。




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