オモイデと黄昏のモノガタリ

月野璃子

オモイデ屋と少年

都筑颯太視点

第1話

 土曜日の午後、学校帰りに歩く桜宮商店街。

 向かうのは大学生の兄貴、涼太りょうたのバイト先。兄貴がバイトを始めたのは2ヶ月前。僕ら家族が知らされたのはバイトを始めてすぐのことだった。


 ——いい所見つけたんだ。オモイデ屋っていう店なんだけど。


 オモイデ屋。

 妙な響きに父さんと母さんは顔を見合わせた。


 僕と兄貴は人付き合いが苦手だ。

 人見知りでも人間嫌いでもない。

 だけどざわめきと笑顔に囲まれる中、孤独ひとりになりたいって思うことがある。寂しさなんて求めてないけど楽しさは時に秘めた痛みを疼かせる。


 働きだしてから兄貴は変わった。

 よく喋るようになったとか、積極的になったとか目に見える変化はない。だけど僕と両親おやを見る目が優しくなったように思う。

 僕が小学生の頃。

 柴犬チビと過ごした時の兄貴が戻ってきたんだ。


 雪が降った数日後、学校からの帰り道。

 チビは公園の入り口で鳴いていた。

 痩せた体と折れたうしろ足。チビを連れて帰った僕は両親に叱られた。住んでいるアパートは動物を飼っちゃいけなかったし、叱られるのはわかってたけどチビをほおっておけなかったんだ。


 ——父さんも母さんも落ち着いてよ。チビちゃん怪我してるじゃん。病院に連れてってあげようよ。寒い中チビちゃんがんばったよな。颯太そうたが助けなきゃ死んじゃってた。父さん、チビちゃんは生きたいんだよ。母さんもそう思うだろ?


 泣いてる僕の頭を撫でながら兄貴が言ってくれたこと。父さんが大家さんに頼み込み飼うことになったチビ。兄貴はおやつをいっぱい買ってきたし、チビの世話をかかさなかった。チビは少ししか生きれなかったけど幸せだったと思う。


 兄貴はいつしか人付き合いが苦手になってしまった。

 兄貴と一緒にいる僕も。真似るとか、兄貴と同じでいたいとかそんなんじゃないんだけど。

 友達は大切だし嫌いになれっこない。

 だけど僕を捕まえる孤独ひとりへの願望。誰にも踏み込んでほしくない心の中。

 たぶん、僕と兄貴は自分を守ろうとする気持ちが強すぎるんだ。チビが死んだ時生まれた、大切なものが消えたあとの喪失感。


 大切なものを失うのが怖い。

 もう何も、無くしたくない。


 チビの死が僕と兄貴にもたらした思い。

 働きだした場所に、兄貴が優しさを取り戻した何かがあるなら。それがなんなのかを知りたい。


 活気に満ちた商店街。

 すれ違う人達や同じ制服の生徒を見ながら思う。

 オモイデ屋はどんな店なのか。


「いらっしゃいませ〜っ‼︎ コロッケ揚げたてですよ〜っ‼︎」


 大きな売り込みの声に足を止めた。

 目についたのは1軒の惣菜屋。割烹着のおばさんが、僕を見るなりにっこりと笑った。今の売り込み、あのおばさんだよな。


「颯太君? 何してるの?」


 背後からの声に足を止めた。

 振り向いて見えた親しげな笑顔。

 三上理沙みかみりさが立っている。同じクラスの女の子だ。肩まで伸ばされた髪と鳶色の大きな目。


「三上は? 買い物?」

「違うよ、帰ってきたの。颯太君が見てたお店私の家なんだ。店主はね、私のお母さん。わかるでしょ? 大声で売り込みをしてる」


 言われてみればおばさんの目元、三上にそっくりだ。


「で? 颯太君は?」

「兄貴のバイト先を見にきたんだ。オモイデ屋っていう店なんだけど」

「驚いた。颯太君のお兄さんが商店街ここに来てるなんて。オモイデ屋かぁ」

「三上は知ってる? どんな店なのか」

「骨董品のお店でしょ? 行ったことはないけどね」

「高いものとか売ってるのかな」

「うん、あると思うよ?」


 兄貴ってば怖くないのかな、壺とか割っちゃったらどうするんだろう。バイト代、弁償でなくなるんじゃないのか?


「颯太君、お腹空いてない? うちのお店に食べたいものはある?」

「いきなり聞かれてもな」

「なんでもいいよ。1番に浮かんだものとか」

「メンチカツ、お勧めですよ〜っ‼︎ いかがですかぁ」


 おばさんの声が響く。

 そういえば、最後にメンチカツを食べたのはいつだっけ?


「メンチカツ……かな」

「ほんと?」


 声を弾ませ、三上は嬉しそうに笑う。


「それじゃぁ、2番目は?」

「なんだろう、唐揚げ。あのさ……なんでそんなこと聞くの?」

「興味を持ってくれたのが嬉しくて。颯太君、時間ある? すぐ戻るからちょっと待ってて」


 背を向けるなり、三上は店へと駆けだした。

 同じクラスで少し話すだけ。なのになんで三上はあんなに親しげなんだろう。

 誰かが言ってたな、三上が名前を呼ぶ男子は僕だけだって。都筑つづき君って、三上には呼びにくいのかな。


「オモイデ屋……か」


 小学生の頃、母さんと何度か歩いた商店街。

 嘘みたいだな、こんな所に骨董品屋があるなんて。

 兄貴、僕が行ったらびっくりするかな。それとも平静を装って、店員として僕を出迎えるだろうか。


「颯太君、これ持ってってよ」


 近づくなり、三上が差しだしたビニール袋。

 やけに香ばしい匂いがする。


「唐揚げ、少しだけど食べてみてよ」

「売り物だろ? 貰えないよ」

「特別だよ、お店の宣伝ってことで。美味しいって思ったらメンチカツを食べてみて。これは颯太君の自腹で……ね?」


 にっこりと三上は笑う。


「メンチカツはね、味わって食べてほしいんだ。お父さんのこだわりの品だから。お父さん、お店を始めてすぐに死んじゃったの。交通事故でね……お客さんが喜ぶ顔を見るのが好きだったのにな」


 空を見上げ細まった三上の目。

 父親のことを考えてるのか。


「颯太君が食べてくれたらいいな。それでね、気に入ってくれたら嬉しい。お父さんも喜ぶと思うんだ。……またね、颯太君」


 三上と別れオモイデ屋に向かう。

 スマホで調べる中、写真で見たコンクリートの古びた建物。

 店内の写真はなく、店の名を記した看板もなかった。

 あんなんじゃ客は来ないだろうに店主は何を考えてるのかな。


「そうだ、飲み物」


 足を止め、お金を数えながら何を飲もうか考える。

 炭酸が飲みたいけど、揚げ物に合うのはお茶だよな。

 当たりつきの自販機、当たったら兄貴にも持っていかなくちゃ。

 ボタンを押して、すぐに鳴った抽選音。

 776……はずれ。

 そう甘くはないか。


 お茶を鞄に入れ、歩きだした僕の目を吸い寄せたもの。それは見知らぬ人達の中、歩いてくる若い男。

 腰まで伸びた白い髪と黒いロングコート。左目を隠す黒い眼帯と頬にある抉られたような傷痕。

 女のような綺麗な顔立ち。

 すれ違う誰もが振り返るけど、男は気にする様子もなく歩いている。すれ違った時、僕を包んだ香水の匂い。

 風になびく艶やかな髪が、日に照らされて鮮やかな光を放つ。


 男の風貌はを思わせる。


 中学生の時、繰り返し読んだ物語。

 主人公は不死の命を持つ死神リオン。白い髪と身に纏う黒い衣、背中にある大きな黒い翼。

 リオンが愛した人間の少女、霧島絵梨奈きりしまえりな


 願いを放ち、自ら翼を斬り落としたリオン。

 人になって絵梨奈と一緒に生きていきたい。


 神に向け、リオンが投げかけた叫び。


 人の命をください。

 人の心をください。

 人の心をください。

 人の愛をください。


 それは物語の中、最後まで神に届かなかった。



 消滅したリオンと、時の流れの果てで生き絶えた絵梨奈。物語のタイトルは【黄昏の慟哭】。作者の名は霧島貴音きりしまたかね


 また読もうかな。

 続きが書かれてるなら探して読まなくちゃ。リオンと絵梨奈がどうなっていくのか知りたい。

 死に別れたままなんてないよな。

 現実は喜びと不条理が混じり合う世界。

 だけど綴られる物語は、作られる世界は不条理が消え去ってもいいじゃないか。


 足を止め見るオモイデ屋。

 なんだか緊張する。仕事してる兄貴なんて想像つかないし。

 落ち着こうと息を整え、ゆっくりと戸を開けた。


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