第十話 恩人

「ふう……」

 呼吸を整え、俺は大剣を構える。レクレスを完全に斃す為に。

 数か月戦うのが遅ければ、俺は負けていただろう。鉄蛇剣とまともに切り合っていたら一瞬で手首を落とされていた。終始間合いを詰めて戦い、ようやく勝てた。

 だからここで殺す。取り逃がして、力をつけて戻らないように。若い芽は摘んでおく。

 俺は大剣をレクレスの頭目掛け、振り上げる。その時、周りの土が盛り上がったかと思うと、土が槍のような形に変形した。その数、二十本。槍と化した土は、俺を串刺しにしようと一斉に襲い掛かって来た。

「⁉」

 真上に飛び上がり、槍を回避する。見ると、レクレスの身体も槍に貫かれていた。

「がはっ!」

 槍に貫かれたレクレスは、地中から現れた巨大な口に飲み込まれる。

 土が動くなんて、魔法を使うことでしかあり得ない。恐らく敵が使う魔法は「土を操る魔法」。その魔法を使う者は一人知らない。だが、その人物は死んだ。〈薬の国〉の為に。

「馬鹿者が……」

 地中から土の繭に包まれて現れたのは、立派な髭を蓄えた老人。老人は金のブローチを握りしめていた。

「一人で先走るからだ……」

 そう言うとブローチを握りつぶした。そして老人は俺を見る。その顔は紛れもなく、十年前に死んだはずの男だった。あれから一度も歳をとっていないかのような出で立ちで。

「アダリス」

 俺は〈薬の国〉のもう一人の英雄の名を呼ぶ。戦場で散った恩人。当代最強とも呼ばれた魔法使いの名を。

「お前、私の名を知っているのか」

 アダリスはまるで初対面かのような反応をする。初対面の筈が無い。アダリスとは背中を預けて戦った仲だ。一緒に酒を飲んだこともある。

「アダリス、俺だ。ゲルグだ」

 俺は目を白黒させながら言う。

「ゲルグ……? 知らんな。まぁよい。お前の事は殺せと命じられた」

 アダリスの金のブローチが輝く。レクレスも身に着けていた、レナトゥスの証だ。俺の敵である事を意味している。

「レクレスを倒した強さは認めよう。あの子は無鉄砲ながらも、強かった……。もう一年もすれば、私に匹敵するほどの兵士になれただろう。だから私はあの子の仇を取るとしよう」

 アダリスは魔紙を取り出すと、地面に投げつけた。すると、地面が盛り上がり、怪物の形に変わっていった。その姿は土で出来た巨大な蜘蛛。まさに土蜘蛛と呼ぶにふさわしい怪物が現れた。

 アダリスは土蜘蛛の頭に乗ると、杖を抜いた。

「……アダリス」

 戦わなければならない。戦わなければ殺される。戦わなければレーテーを守れない。その思いを胸に恩人に刃を向けた。


 気が付くと、辺りには馬車の破片が散乱していた。見渡すと、ルナリアとハイネルが馬車に挟まれたカガチを助け出そうとしている所だった。

「カガチ! 大丈夫?」

 カガチは足を挟まれている。

「大丈夫ですよ。この手では破片をどけられないだけで」

 ハイネルが馬車の破片の山から長い木材を持ってきた。木材を馬車とカガチの隙間に挟み込む。

「もう大丈夫だぞ……!」

 一気に力を込めると、重い馬車は持ち上がった。

「ありがとうございます」

 カガチは這い出る。骨が折れている様子も無い。

「よかった……」

 一行が安心した直後、スパイクが夜の森に向かって吠え始めた。何か恐ろしいものが近づいている。スパイクの本能がそれを伝えているようだ。

「なんでしょう……?」

「わからない……」

 ハイネルが馬車に取り付けていたランタンを拾い上げ、吠える方向を照らす。ランタンが照らしたのは、身体中に包帯を巻いた男。その手には血に濡れた蛮刀。周囲の空間が歪んで見えるほどの殺気を放っている。その場にいる全員が恐怖を感じた。今まで感じた事の無いほどの恐怖を。

「みんな逃げろ!」

 ハイネルは木材を構える。武術に関しては素人のハイネルでも、男が恐ろしい腕前を持っていることは容易に感じ取れた。同時に、こんな木材程度ではルナリア達を守れないと。

「はやく!」

「でも……」

 ルナリアも薄々感じているのだろう。ハイネルは身を挺して私を守ろうとしているのだと。その行動がどれだけ無謀かも。

 その時、スパイクが主人を守る為に勇敢にも立ち向かった。

「うるせぇ犬ころだ」

「スパイクっ! やめ——」

 男が蛮刀を一振りすると、スパイクはバラバラになった。

「はっ……」

 次は自分だ。ルナリアは恐怖で後ずさる。

「行け!」

 ハイネルの言葉を合図に子ども達は森へと逃げて行った。

 子ども達が森へ行ったのを見計らって、木材を構える。

「……逃げるのを待ってくれたのか」

「いや、どこまで逃げられるか気になってな」

 男は笑う。

「そうか……」

 目の前にいるのは本物の殺人鬼だ。殺しに快楽を覚える狂人だ。こんな男、娘に指一本触れさせる訳にはいかない。せめて、逃げ切れるだけの時間を稼いでやりたい。

「うおおおおおお!」

 普段の自分からは想像もつかないほど大きな雄叫びをあげる。私が死んだら娘は、病気の妻はどうなる? 二人とも私がいなければ生きていけない。必ず生きて帰ってみせる。

 次の瞬間、男は視界から消えた。それが私の見た最後の光景だった。


「はあ……はあ……」

 息が上がってきた。脇腹が握られているかのように痛い。足もだんだん重くなってきて、動かすも辛くなってきた。それでも走らなければいけない。生きる為に。生きてレーテーの花畑を見る為に。

「レーテーさん、もう少しです。あと少しで森を抜けられます」

「うん」

 あと少しだ。そう言い聞かせ、わたしは更に走る。

「ひぐっ……ひぐ」

 ルナリアちゃんはずっと泣いている。目の前でスパイクが死んだのだ。無理もない。そして、父ハイネルも、命の危機に瀕している。

「ほら、ルナリアちゃん。あと少しだからがんばろう」

「……うん」

 ルナリアは涙を拭い、少しでも遠くに逃げる為走り出す。

 しかし、もう随分走っている。ここまでくれば大丈夫だろうか。

そう思った矢先、背後から恐怖心を撫でまわすような声が聞こえてきた。

「みぃつけた」

 恐怖で全員の足が止まる。動かそうと思っても動かない。それほどの恐怖を男は持っている。

「さぁ、おとうさんと同じところに行くか」

 ルナリアの横をゆっくりと歩み寄って来たのはネルケ。殺人鬼は蛮刀を見せつける。刃には血がべっとりとついていた。その血はまだ新しい。

「えっ……?」

 ルナリアは、ただ口を開ける。その目は見開いており、瞬きすらも忘れている様だった。

「ははっ」

 ネルケはルナリアに向かって凶刃を振るおうとする。刃が彼女に刺さる、かに思えた。ルナリアとネルケの間に、ナイフを構えた男が割って入った為である。

「なんだ、お前」

「……これ以上、ルナリアさんを傷つけさせない」

 金色のナイフを腕で挟み込んだカガチは言い放つ。その腕には血が滴っていた。

 雄叫びをあげ、カガチは突撃する。短い間でも、自分に優しくしてくれたルナリアの為に。

 だが、ネルケは造作も無く、ナイフを蹴り上げる。腕で挟んでいるだけのナイフは軽々と宙を飛び、ネルケがキャッチする。

「このナイフいいな、鋭くて持ちやすい。貰っていくぞ」

 カガチの奮闘も虚しく、殺人鬼はじりじりと近寄る。その時、ネルケの背後の地面が盛り上がる。

「なんだぁ?」

 土の繭から現れたのは、アダリス。アダリスと戦っていたはずのゲルグは何処に。

「お前か、遅かったじゃねぇか」

「すまんな、少し手こずった」

 アダリスは髭をいじりながら子ども達を見つめる。ハイネルとおぼしき男は死んでいたが、子どもは全員生きている。

授命族ヴィルデは殺すな、まだ使えるかもしれん。……まさか殺そうとはしていないだろう?」

「そうだったな。危なく殺す所だった」

 そう言うと、手始めにカガチの命を絶つため、じりじりと近寄る。

「ひっ」

 カガチは手足の震えが止まらなくなり、尻もちをつく。

 その時、アダリスの手が一瞬動いたような気がした。すると、ネルケの足元から土の槍が飛び出す。ネルケは辛うじて避けるが、避けた槍が変形し、足を捕まえた。

「なっ! この野郎!」

 殺人鬼は吠える。アダリスの手には杖が握られていた。そして、言い放つ。

「行け! ゲルグ!」

 ネルケの眼前から土の繭が現れ、その中から大剣を手にしたゲルグが突撃する

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る