人魚姫と前世を見たサバ

タブ崎

1.断片的ノスタルジア

 誰しも、何となく記憶に染み付いている物があると思う。

 香り、景色、音。ふとした瞬間に思い出すそれらは、一番最初に体験した時期を明らかにしないまま私達を懐かしい気持ちにさせてくれる。

 私の場合は消毒液の香り、白い天井、スリッパを履いた足音。どれもこれも私の日常だった。そして私が存在していた世界そのものだった。


 ──なのに、僕にはそれらが何なのかさっぱり分からない。

 "消毒液"とは一体何だろう。それにあのような綺麗な天井は見た事が無い。そして、僕の住む場所に足を持つ生き物など居ないし僕自身も足が無い。そもそもスリッパという物を知らない。

 "ふとした瞬間に思い出す"のだが、詳しく思い出そうとすると全てが忘却の彼方へ消える。

 一体何なのだろう。どこでそんな物を見たのだろう。どうしてそれらを懐かしいと思えてしまうのだろう。

 なんて、幻想にも満たない意味不明な体験について友人に話した所──


「それは前世の記憶ってヤツじゃないかしら?」


 そんな当たり障りのない意見が返って来た。


「前世かあ」


「たまに居るみたいよ、儀式をする前から既に前世が見えちゃうお魚さん。ノカが見た物もきっとそういう物だと思うわ」


 続けてからかうように首を傾げた彼女は僕の瞳を見つめた。

 彼女はアフテプ・ヒナスカリア。"海底王国ヒナスカリア"を治める王家の第一王女でありながら自ら王位継承権を放棄し平民のように暮らしているよく分からない人魚である。

 僕と彼女は物心ついた頃からの友達であり、彼女には僕以外の友達は居ない。僕も彼女以外の友達は皆人間に釣られたり捕食されたりして居なくなってしまった。


「"前世が見えちゃう"というか…… いや、そんなはっきり認識している訳じゃないんだ。ただ変な夢か妄想を見ていただけなのかもしれなくて──」


「窮屈な考え方ねぇ。言うだけタダなんだからいいじゃない。『前世見ました』って、そう言った方が面白いわよ」


「そ、そっか……」


 言われてみれば確かに面白くない僕の思考に対して笑顔を浮かべたアフテプは遠くに見える建物を真っ直ぐに見据えた。


「まあ、どっちにしてもこれから分かる事じゃないの。楽しみが増えたわ」


 14の齢を迎えた時、人魚や魚は全ての教育課程の修了と共にその先の生き方の指標とするべく自らの前世を見る。この王国にはそういった文化がある。継承の儀と呼ばれるそれは、もれなく王国内の全ての魚介類に対して行われるのだ。

 結果として前世とは一切の関係が無い一生を歩む者も居るが、それはそれでいい。

 要は何をすればいいのか分からないという事を無くす為の"一例の提示"という訳だ。

 前世で叶えられなかった夢を目指してみるも良し。前世とは真逆の人生を往くのでも良し。前世を見るまでも無く既に夢を持っているのであれば、それを目指すのも大歓迎。実態としては儀式と言うよりも授業の一環といった感覚である。


「アフテプは前世を見たらどうする? この先の事決めてる?」


「冒険をしてみたいわ。何にも縛られずに生きたい」


「……前世にも?」


「ええ。命も思考も感情も全て今の私の物なんだから。前世をなぞる生き方なんて変よ」


「考え方は人それぞれだからね。僕以外の人にそういう事言っちゃダメだよ」


「ちゃんと弁えてるわ。で、ノカはどうしたいのかしら? ゴマサバの人生観って気になるわ」


 深く頷いたアフテプが僕を見る。

 彼女の毅然とした生き様に対して僕は特に目標らしい目標は何も持ち合わせていなかった。


「そんなゴマサバ代表みたいに言われてもな…… 特に目標とかは無いよ」


「あら、面白みのない魚ね。白身魚のくせに」


 話している途中で下らない閃きを得たアフテプがニヤリと笑ってこちらを見る。


「……キメ顔で言われてもあんまり上手いとは思わないなあ。そもそも僕赤身魚だし」


「うふふ」


 無責任に駄洒落を言い放ったアフテプがクスクスと笑いながら街を泳ぐ。そして飲食店の前で止まり、僕の方を振り向いた。


「ねえ、私達の番まで時間があるし何か食べて行きましょうよ」


「そうだね。いつ終わるか分からないし」


「決まりね」


 儀式前に腹ごしらえをする事に決めた僕達は目の前の飲食店に入った。ここは人魚よりも魚に向けたメニューがメインの店であるため、扱われている食材は専らエビや小型のイカ、そして虫などである。

 店内はそれなりに客が多かったが、幸運にも待たずに席へ着くことが出来た。

 それぞれメニューに目を通し、そして思い思いに注文を済ませて待っていると不意にアフテプが言葉を発した。


「前から思っていたのだけど、貴方は人魚化の儀式は受けないの?」


「ん? んー……」


 人魚化の儀式とは名の通り魚が人魚になる為の儀式である。

 生まれつき人魚の身体を持つ者はもちろん存在するが、今この国に居る人魚の三割程度は儀式によって人魚となった魚である。


「特に予定は無いけど」


「人魚になりたいって思わない?」


「そういった願望は無いなあ。それになんというか…… 今の姿と全く違う形になるのは抵抗があるよ」


「確かに鱗が剥げたり骨格が変わったりするものね。人魚から魚に戻る事も出来ないし」


「うん、親から貰った身体だし大切にしないと…… 君は人間化の儀式は受けないの?」


 隣の席に注文が運ばれるのを横目で見たアフテプは僕の質問に対して考えるように頬杖をついた。

 人間化の儀式とは、これまた名の通り人間になる為の儀式である。こちらは"下半身が水に浸かっている間は人魚に戻る事も可能"という大したデメリットの無い変化だが、陸上の社会に順応できるかどうかを見定める試練として指定された品を何らかの手段を以て入手し納める事を課せられる。


「受けたいわよ、人間化の儀式」


 アフテプが机の模様を指でなぞりながら答える。


「やっぱり受けたいんだ。どうして受けないの?」


「私が地上に出るとノカが独りぼっちになっちゃうじゃない」


「え、僕なんかが理由? 何にも縛られずに生きたいって言ってたじゃないか。僕の事は気にしなくてもいいよ」


「ふふ、確かにそう言ったけどね──」


 指先で僕の頭を撫でたアフテプが意地悪な微笑みを浮かべる。


「私達って同じサンゴ礁で生まれた仲でしょ。もはや姉弟のような感覚だし放っておけないのよ。貴方を残して陸に上がったら私だけ先に老いて死んじゃうじゃない」


「それはとても悲しい事だけど…… 別にそんな構ってもらわなくても生きていけるよ」


「あら、大丈夫? 一人で居たらすぐ捕食されるわよ? ガブガブって、ほら。うふふ」


 肉食生物の口に見立てて掌を広げたアフテプが齧り付く様を再現するように僕の背びれをつまむ。


「最近はそんなに治安悪くないでしょ、この海域」


「じゃあ人間に捕られて塩焼きコースね」


「それは君が居ても助からないんじゃないかな」


「言うじゃない。私を誰だと思っているの?」


 会話の途中で割り込むようにミノカサゴ型人魚のウエイトレスが注文した物を僕達の目の前に置いた。

 アカムシのダンゴと小エビの盛り合わせ、それと海藻のサラダ。全く同じメニューがそれぞれの目の前に置かれている。


「……庶民のゴマサバと同じメニューで満足するお姫様」


「何頼んだって一緒じゃない。庶民に向けた食べ物なんて皆同じ味にしか感じないんだもの」


「うわ、王族らしからぬ味音痴。でも高級店へ連れて行かれない点に関しては助かってるよ、ありがとう」


「感謝の気持ちは言葉よりもエビで示しなさいな」


 そう言い放ったアフテプが不意打ちとばかりに僕の皿へと手を伸ばす。


「こら、はしたない」


 咄嗟に身を翻し尾びれでその手を叩くとアフテプは不満そうに頬を膨らました。


「んもう。そんなにエビなんか食べて、シャケみたいな赤身になっても知らないんだから」


「僕は元から赤身だし鮭は白身魚だよ」


 そんな下らない言い合いを交えつつ食事が終わりに差し掛かった頃、先に儀式を終えたと思われる人魚たちが隣のテーブル席に着いた。

 楽しそうに談笑するその三人組は、それぞれの前世について『あれをやってみたい』や『自分にもできそう』等と早速自らの将来について考えているようであった。

 それを見つめるアフテプの表情からは思考や感情は感じられない。黙ってその場を去りそうにも見えるし、思いもよらない言動に走りそうにも見えてしまう。

 しばしの間を置いて僕の顔を見た彼女は柄にもなく透明感のある表情で首を傾げた。


「さっき私が言った『前世をなぞるのは変』って、変わり者の意見なのかしら」


 他者との違いに不安を覚えたのだろう。

 他人と深く関わろうとするような人ではないが、同世代の一般的な思考と異なる意見を持っているという事に関してはやはり何か思う事があるようだ。


「態度次第じゃないかな。君から見た反対の意見を持つ人の価値観を理解する事が大事だと思う」


「……価値観」


「それと君自身が持つ価値観をちゃんと説明できるかどうかも大事だと思う。中身のない反対意見をただ主張するのは、それこそ変わり者だ」


 ちょっとした経験則から来る意見を述べるとアフテプはエビを頬張った。


「懐が深くて芯のある人間になれば良いのね」


「そうだね。結局の所変わった意見である事に変わりは無いけど、寛容さと芯の強さがあれば変わり者じゃなくて一味違う奴になれるかもしれない」


「随分と達観してるのね、私と同い年なのに」


「魚ゆえのマインドですよ」


「なにそれ。よく分からないわ」


 それから十数分かけて食事を終え、会計を済ませて外へ出た。

 時計を見ると丁度いいくらいの時間になっていた。


「今から向かえばいい感じの時間に到着できそうね」


「うん」


 街を泳ぐ。

 普段と比べて出歩いている者が多い。年齢的に皆儀式を受けた者だろう。

 ワクワクした表情を浮かべる彼らを見ていると、やはり前世に自らの未来を見出している者が多いのだと感じた。

 そんなこんなで辿り着いた神殿の入り口には受付の人魚と数人の警備員が居た。


「ノカ様とアフテプ様ですね。奥へどうぞ」


 事務的な案内に従って儀式の間へと進んでゆく。初めて入る場所であるだけに変に緊張してしまう。

 さほど広くはない神殿の中を進んでゆくと、案内の石板によって示された部屋に到着した。


「……あら、天井が無い。もっと暗ーい感じを想像していたのだけど結構良いじゃない」


 部屋へ辿り着いたアフテプは中で待っていた者よりも先に内装へと興味を向けた。


「ちょっと、家主の前だよ。今のはギリギリアウトじゃない?」


「あら、失礼」


「ふふふ、お気になさらず」


 僕達よりもいくらか年下の女の子が微笑む。丸みのある帽子やフリルのある衣服から紫色の触手が伸びている姿からしてムラサキクラゲの人魚だろう。話には聞いていたが実際に姿を見るのは初めてだ。珍しさからじろじろとその姿を見ていると、彼女は帽子を揺らして微笑んだ。


「お待ちしておりました。私は七代目蒼海の魔女、マヨと申します」


 蒼海の魔女とは継承の儀式や人魚化・人間化の儀式を執り行う者である。

 王家と関係が深く、今では主に文化的観点からこの国に無くてはならない存在となっている。


「存じ上げているわ。いくつになったのかしら?」


「今年で八歳です!」


「八歳。まあ…… 可愛いわね」


 魔女が選ばれる上での基準や制約は特に無い。

 大抵の場合、魔女はその役職に就いている間に一人だけ弟子を取る。その弟子へと引き継ぐ形で代替わりとなる。故にマヨのような子供が魔女になる事もあり得ない事ではない。


「僕はノカと申します。ドルテさんの件に関しましては心よりお悔やみ申し上げます」


「まあ。お心遣いありがとうございます、ノカさん」


 マヨが幼くして魔女になった背景には並々ならぬ事情がある。六代目蒼海の魔女であるドルテ・メルクーシアの死だ。

 とある人魚の少年の"人間化の儀式"を執り行う関係で陸に上がり、そして脚に矢を受けて帰って来た。

 毒でも塗られていたのだろう。約一ヶ月に渡る治療を経ても傷は治らず、最期は水面に揺れる彼方の光を見つめて"何者かの名前"を呟き、そして弟子であるマヨに見守られながら息を引き取った。

 つまるところ師匠の死によって魔女にならざるを得ない状況になってしまったという経緯があるのだ。


「まだまだ日は浅いですが、お師匠様より受け継いだ役目をしっかりと果たせるよう頑張りますね!」


「はい、よろしくお願いします」


 互いに深々と頭を下げると、次にアフテプが堂々と名乗りを上げた。


「私はヒナスカリア王家の第一王女、アフテプ・ヒナスカリア。よろしくね」


 アフテプの自己紹介を受けたマヨは僕の時と同じように深々と頭を下げた。

 しかしその表情は言葉に迷っているような困った笑顔であった。


「お噂はかねがね…… 本日はよろしくお願いします」


「あの感じ、絶対良い噂じゃないわ。王位継承順位17位とかそういう噂よ、きっと」


「僕の事笑わせようとしてる?」


「なによ貴方まで。失敬な鯖ね、焼くわよ」


 王位は継がないと明言していても不名誉な噂に関しては快く思っていないようである。


「今の時期は焼くよりも煮付けがオススメ」


「どうでも良すぎるのだけど」


「あの、お話がお済みになったら声をかけて下さいね」


 コソコソと話す僕達を眺めつつマヨが水晶玉を取り出した。


「あら、ごめんなさいね。進めて下さいな」


「すみません、緊張感が無くて」


「いえいえ、では始めますね。この水晶玉を注視してください」


 言われた通りに彼女の手にある玉へ意識を集中させると、急に眩暈のような感覚に襲われた。


「この玉を媒介として貴方達に魔力干渉を行っております。体質によっては不快感を感じるかもしれませんが、抵抗はしないで下さいね」


「あら、そうなの? 私は今の所特に何も感じないわ。ノカは?」


「水流に身を任せる感覚に似てる」


「うわ、酔いそう。私あの感覚キライなのよね」


 身体を揺らされている様な感覚は、徐々に頭の中をかき混ぜられているような感覚へと変わっていった。目が霞み音が曇り始めた。あと数秒もすれば意識を保つ事すらも困難になるだろう。


「そのうち気絶に近い状態に──ます。無理に意識───必要はあ──せんからね。アフテ──も」


 マヨの説明を受けている途中で既に意識が朦朧としてきた。


「そう、分か───。じゃ─遠慮──眠────


 最後に聞こえたのはアフテプの声だった。

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