負け犬正義
紛れもなく天才という者はいる。どの界隈にも潜んでいて、ある日凡人の努力を踏みにじるかのようにぽっと姿を現して誰よりも上へと登り詰める。
「平井先生? どうかしました?」
声をかけられハッと我に返る。
「あぁいえ。お気になさらず」
「そうですか。それにしても朝比奈さんの絵、やっぱりすごいですね」
佐藤先生はポニーテールを揺らしながら目の前に掲げられた朝比奈という生徒の絵を見て感嘆の声をこぼしている。
朝比奈はテニス部に所属していた。すでに引退しているがエースだった。勉学も優秀で有名大学への指定校推薦も勝ち取った朝比奈は校内での冬のコンクールというものに絵を提出していた。毎年、夏と冬に創作物コンクールを開催するわが校で朝比奈は三年の夏に初めて絵を出して金賞を取って一躍有名となった。
「そうですかね」
気づけばわたしはそう口にしていた。佐藤先生には聞こえなかったか、にこにことしながら別の作品にも目をやっている。
「うーん。今回も朝比奈さんが一番かなぁ」
佐藤先生は美術の先生である。学生時代、絵の勉強をやってきた彼女の目がどこまで本物かは知らないが、少なくともわたしよりはずっといい目を持っている。だからこそか、朝比奈の作品がまた一番になる未来が見えたとき、わたしは奥歯をぐっと噛んでいた。
コンクールの評価をするのはコンクール部門に所属する先生と生徒である。わたしもその中に入っていて、夏のコンクールでは初めてのこともあって朝比奈の精密な絵描きに感動し高い評価を与えた。しかし冬までの間で、それが不当な評価であることを知った。
音楽の教員のため絵に対しての知識は多くない。イメージが広がるとか色彩の具合だとか、そういう初歩的な、視覚的にわかりやすいことにしか目にいかないから惑わされただけ。夏のコンクールを終えた日、細田さんが泣いているのに出くわした。吹奏楽部の顧問として空き教室を探している時だった。彼女は放課後の教室でしくしくと泣いていた。彼女は顔をあげると恥ずかしそうに涙の溜まった瞳を乱暴に拭った。
「何でもないんです」
そういってそそくさと帰ろうとする彼女をとめた。
「そういえば細田さんのあの絵も、すごくよかった」
引き留めようとした、というよりは自然と言葉がでただけ。
「え、本当に……?」
彼女は足をとめ遠慮がちに、しかし縋るようにわたしの顔をみた。もちろんだと頷くと彼女は嬉しそうに顔を赤らませた。話をきくとコンクールで狙っていた金賞を取れなかったことがよほど悔しかったそうだ。学校ごときでと思ったがどうしても朝比奈には負けたくなかったと。中学の頃朝比奈にいじめられていたから、と弱弱しい声で細田は言った。
「なにそれ。本当の話なの?」
「やめてね先生。過去の話。今はなんの接点もない。ただ悔しくて。あたし、中学の頃から美術部でずっと絵を描いてきた。一位なんて取れなくてもいいけど、ぽっと出の朝比奈に、いじめっこの朝比奈に絵で負けるのが悔しくてたまらなかったの」
彼女のその痛い声をきいてから、わたしは朝比奈の絵を改めて見つめなおした。学校の一角を描いた絵。白黒という単純なコントラストのみで描き切った学校とグラウンドと空。画角もいいしやはり単純にうまい。細かな部分に手抜きは一切なく、その精密さ、丁寧さには圧倒されてしまう。だからこそ、これはいけないと思った。いじめをするような人だからではない。いやそれもあるけど何よりその天才じみた才能に罪があった。美術部としての努力のない天才。同じ量だけ努力したとしても片方にだけ実力が現れるなんて、そんな天才みたいな能力、凡人には犯罪みたいなものなのだ。
「では、判定をしましょう」
コンクール部門全十五名で評価した結果をまとめるのはわたしになった。夏のコンクールで公平な評価まとめをしたわたしが今回も担うことになった。信頼があるのならばその信頼を利用する他ない。
そうして迎えた発表の日。全校生徒が体育館に集められ、わたしは金賞に細田さんの名前をあげた。朝比奈は銀賞でも銅賞でもなく選外。学校の先生というのはいささか怠惰だ。多忙を理由にして人任せにする。そういう怠慢さがこの結果を生んだともいえるんだぞ、とざわついたコンクール部門の人たちを横目に思う。
朝比奈は泣かなかった。当然だ、努力をしていないのだから悔しくもない。凡人を殺すのなら天才はなり下がる必要がある。それが公平というものだ。
過去、ピアノのコンクールでわたしの夢を、心を、ぼっきり折った心底憎い天才の顔が浮かんで、心の中でぶん殴ってやった。
「ちょっと平井先生、朝比奈さんが金賞なんじゃないんですか?」
「あら? わたしは公平に評価したまでですが」
依然として釈然と。けれど佐藤先生は腑に落ちない表情のままわたしをみる。
だって、本当にすごいものを上にかかげちゃったら、みんなの心が折れるでしょう? 天才の作り上げたものって他を殺すのよ。そんなの、要らないから。
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